21.赤毛の女④
「何でドゥーラの町に戻ってきてるんだ? 男爵夫人になったはずだろう?」
淹れてもらった茶をすすりながら、スティーブは単刀直入に聞いた。
「二年前に男爵が亡くなったのよ。まあまあおじいちゃんだったしね」
ブレンダはそっと目を伏せる。故人を思い出しているのだ。
それは金のためだけに結婚した相手にする表情ではない。男爵とブレンダとの関係が察せられて、スティーブは安堵と苦味の混じった気持ちで伝えた。
「そうか……安らかな眠りをお祈りする」
「ありがとう」
ふわりとブレンダが微笑む。いつもの余裕たっぷりのものではなく、素朴な笑みだ。男爵とは親子ほど歳が離れていたが、やはり悪い関係ではなかったのだと分かった。
「だが、それならお前は男爵の未亡人だろう? 嫁いできた女の面倒は婚家でみるのが普通だよな。なぜ町に?」
「彼のあとを継いだ息子にね、気まずいから出て行ってくれって言われたのよ」
「は? なんだそりゃ、放り出す理由が気まずいからだと?」
そんな理由で、身よりも、帰るところもない女を追い出したというのか。
スティーブはぐっと拳を握った。
「ちょっと、怒らないでよ。別にいいの、元々男爵が亡くなれば出て行くつもりだったし…………っていうか、こっちも気まずいしね。ずっと喪に服すなんて私は無理だもの」
ブレンダの口調は途中でがらりと変わった。先ほどまでのしんみりした空気を振り払うようにひらひらと手を振り、雰囲気も婀娜っぽくなる。
「年がら年中、暗い服を着ておじいちゃんを思い出す柄じゃないでしょ? だからいいの、こうして住む所は用意してくれたし」
「ブレンダ」
「お金のためだった結婚よ。十年ほどよい思いもさせてもらって、もう充分だったのよ。ちょっと飽きてたしねー、出て行けてちょうどよかっ」
「ブレンダ!」
強く名前を呼ぶと、ブレンダはびくりとなって口をつぐんだ。
「女の一番いい時期を取っておいて、それはないだろう」
絞り出すように言うと、ブレンダは困った顔になった。
「ねえ、男爵は本当によくしてくれたのよ。前の奥さんを重ねてるって分かったけど優しかった。死ぬ間際にはお礼と謝罪もされたの。息子の気持ちも分かるのよ。だって嫌でしょう、自分とほぼ同い年の父の妻なんて。きちんと話し合って納得して出てきたの」
「…………」
「まあ、戻ってきてすぐは大変だったけどね。好色爺の慰みものだったっていうすごい噂が立っちゃって、変な男が寄ってくる、寄ってくる。でも全部撥ねつけてやったわ」
ふふんとブレンダが得意気に胸を張る。
武勇伝のように話すブレンダだが、嫌な思いや怖い思いをしたに違いなかった。
スティーブの体が熱くなる。間にテーブルがなかったらきつく抱き寄せていただろう。
「……大丈夫よ。ミゲルもいろいろ助けてくれたし、噂は半年もすれば落ち着いたから今は普通に過ごしてる」
「ミゲルが?」
「三人で飲んだりしてたもんね。ほら、奥さんも私の紹介だし恩義を感じてるのよ。あの人、あなたに連絡しようとしたから必死に止めたわ」
「連絡しろよ。俺を頼ればよかっただろ?」
イラつきながら言うと、ブレンダの瞳は大きく揺れた。
「……ば、馬っ鹿ねえ。振った男に頼るなんて、みっともない真似できないわよ」
前髪を触るブレンダにスティーブは大きく息を吐く。
ブレンダの本心ではないとすぐに分かった。こういう時、過去の自分はただ悲しく悔しくて、苛ついて黙ってしまうだけだったが、今は違う。
「違うだろ。どうせ、俺には迷惑かけられないとか思ったんだろ。何なら、俺が騎士を辞めた責任も感じてて自分を責めたりしてたんだろ」
「なっ、ないわよ、そんなこと。スティーブ、私はお金のためにあなたを振ったのよ? あなたとだって、暇つぶしだったし、悪い女なのよ」
「あのなぁ、本当に悪い女は自分で“悪い女なのよ”なんて言わねえよ。男爵と結婚したのも、ていうか金持ちを探してたのはお袋さんのためだろ?」
これを告げるのは、ブレンダのプライドを傷つける気もしたが、これ以上、自分で自分を貶めるブレンダは見ていられなかった。
ブレンダの顔色が変わり、スティーブはがしがしと頭をかく。
「………………知ってたの?」
「………………お前さぁ、誤魔化す時とか動揺した時に前髪触るんだよ」
「えっ」
「癖なんだろうな。俺を振った時も触ってた『やっぱり、お金持ちがいいもの』って言いながら」
「うそ」
「本当。それでこれはなんかあるな、と思って調べた。そしたらお袋さんが病気で余命いくらもなかった」
ブレンダの母は不治の病にかかっていて、ブレンダは母を専門の治療院に入れたかったのだ。治る見込みはない病なので治療院でも完治は難しいが、適切な治療が受けられ苦痛もずいぶんマシになる。
そして治療院は高額だった。
「理由を知った時はショックだった。振られたことがじゃなくて、教えてもらえてなかったことが。ずたずたに傷ついて、頼られてないのが辛かった」
「ご、ごめんなさい」
「謝るなよ。時間が経ってから、そりゃ頼らねえなとも思ったんだ。俺に相談してもややこしくなるだけだったろうし。ははは、平民上がりの騎士じゃ治療院は無理だしなー、俺はお前にベタ惚れだったし鬱陶しかったろ、そりゃ後腐れないように振るよな」
力なく笑い、殊更に憐れっぽくすると、ブレンダはぶんぶんと首を横に振った。
「鬱陶しくなんて、なかったわ」
「いいんだよ。俺の一方的な想いってことは知ってた。お前、実は優しいもんな。同情で付き合ってくれてたんだろ? そんなしょうもない男に悩みを話すわけねえよな」
「違うの! 違う! あ、あなたの負担になりたくなかったのよ」
ぼろぼろとブレンダの琥珀色の目から涙が溢れた。
「六歳も歳上のくせに、あんなに真っ直ぐに愛してくれて、素っ気ないのに優しくて、こんな私をまるでお姫様みたいに扱ってくれて……スティーブに相談したら絶対に借金してでもお金作るって分かってたの! そんなことさせられないじゃない! 好きだったのよ、好きだったから迷惑かけたくなかったの!」
ぐしゃぐしゃの顔でブレンダはスティーブから目をそらさずに叫ぶ。
「っ…………」
スティーブは息を呑んだ。じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
「…………やっと言ったなぁ、本音」
優しく、優しく言うと、ブレンダがぽかんとする。
スティーブは立ち上がるとブレンダの側まで行き、かがんで彼女を抱き締めた。
「まさか、はめたの?」
鼻声でブレンダが聞き、スティーブは「どうだろうな」と腕に力を込める。
「あなた、そういう腹黒キャラじゃなかったでしょ」
「俺ももう三十八だしな」
加えて、最近は腹黒のお手本となるような男がずっと身近にいた。
「お袋さんは?」
「無事に五年くらい生きたわ。何もしなければ一年持たなかったはずだから、すごく頑張ってくれたと思う。私も母もゆっくり死を受け入れて穏やかな最期だった」
「そうか」
「うん」
「よかったな、で、いいのか?」
「うん」
「そっか」
ぐすっとブレンダが鼻をすする。スティーブはしばらくそっとブレンダを抱き締めた。
「なあ、ブレンダ」
静かな時間が流れてからスティーブは口を開く。
「なあに?」
「迷惑かけられないって思ってた俺をこんな風に部屋に誘うくらいに、俺のことがまだ好きってことでいいか?」
少し甘く聞くとブレンダの顔がかあっと赤くなる。
可愛い。
スティーブは涙に濡れた目尻にキスを落としたが、抵抗はない。そのまま涙のあとを辿り、そっと唇を合わせた。




