20.赤毛の女③
「うおっ」
スティーブが今度こそ自分を取り戻すと、そこは泊まっている宿の部屋だった。呆れた様子のフェリクスが新聞の仕分けをしている。
「お帰り、ハニー。記憶はちゃんとあるかな?」
「記憶……? ミゲルの勧めてくれた食堂に行ったらブレンダがいた…………あー、お前が肉と野菜を取り分けてくれてそれを食った」
「合っているね」
「そんで、なぜかバターケーキも食って、会計して帰ってきた。だよな?」
「うむ、ご名答だ。よかった、記憶はまあまあちゃんとしてるね。ブレンダ殿を認めてからは様子が変だったから心配していたのだよ」
「すまん。久しぶりに会って混乱した…………ん? なんでお前がブレンダの名前を知ってるんだ?」
ピリつきながら聞くと、フェリクスは長い長い息を吐いた。
「それはまた今度でいいかい? それよりもそのメモ、どうするんだい?」
指し示されて自分の右手を見ると、大切そうに握りしめている紙片があった。
丁寧にそれを開く。書かれているのは住所のようだ。
「住所……?」
「ブレンダ殿の部屋なのだろうね」
フェリクスの言葉に改めて住所を確認し、昔の記憶を辿る。
大丈夫だ、町が様変わりしていなければその場所は治安の悪い地域ではない。
「まともな場所だな、よかった」
そっとメモを閉じるスティーブ。
「…………」
閉じてからメモをブレンダ本人から渡されたことと、かけられた言葉を思い出す。
『日付けが変わるくらいまでなら起きてるから』
スティーブはみるみる変な顔になった。
「…………マジか」
これは完全に部屋への誘いである。しかも大人のやつだ。
意味が分からないほど初心ではない。三十八歳のおじさんなのである。
ブレンダはスティーブの六つ歳下なので現在は三十二歳。あちらも全て分かってやっているのだろう。
こういうことをしてくるところ、ブレンダは本当に変わっていない。
「ええぇー、どうすんだ、これ」
「どうするんだい?」
「行くのはマズいだろ」
「マズいのか?」
「行ったら完全に体目当てだと思われるだろ。あ、明日の朝行けばいいのか?」
「それだとブレンダ殿は一晩待ちぼうけだな」
「それは……いやでも、久しぶりに会って、ヤりに来たと思われるのは嫌だ」
「向こうはその気なのでは」
「ちげーよ。あいつは男慣れしてて遊んでそうに見えて、わりと一途で純情なやつなん……だよ」
否定しながら、十二年も前に振られている女について語る自分が恥ずかしくなってしまい、最後は尻すぼみになった。
(俺、だいぶ気持ち悪くないか?)
こんなに未練たらたらだったとは。
(それに、十二年も経てば変わってる可能性も……いや、ないな)
前髪を触る癖は変わってなかった。それに本質は変わりようもないとも思う。
「つまり、あれは彼女の強がりなのかな」
「まあ、そうだな。くそ」
未だに強がるブレンダにはやるせない気持ちになるが、でもそんな態度を取りながらも誘ってきた女の本心を思うと嬉しくもあり、非常に複雑だ。
「確かにブレンダ殿はハニーが結婚しているかをしっかり確認していた。なるほどね、真面目なタイプなのだね」
「ああ」
ブレンダは母一人子一人で生きてきた女だ。貧しく大変な子ども時代の後、十代の中ごろからは派手な外見で男好きだと思われて嫌な思いをしてきた結果、手慣れた女を装うようになったのだ。
スティーブが出会った十九歳のブレンダは既に男に慣れた女として振る舞っていた。
彼女は酔うと口が軽くなり、弱音を吐いた。スティーブは恋人時代に何度か酔ったブレンダの話を聞き、婀娜っぽい態度をとるのは自らを守るためなのだと気づいた。
愛しさは募り、自分にだけは本当の彼女を見せてほしくて結婚も考えたが交際一年ほどであっさり振られた。
金持ちの男爵の後妻になるためだとブレンダは言ったが、その本当の理由もスティーブは知っている。
「とりあえず、行ってきたらどうだろう。抱く抱かないはともかくとして、金持ちを選んだはずの彼女が食堂で働いている理由は聞いてもいいのでは?」
「抱く抱かないって、お前なぁ」
「肌は合わせられる内に合わせておくのがいいと思うよ」
直接的な表現にスティーブが顔を顰めると、フェリクスは言い方を上品に変えてきた。そしてその内容は“抱く抱かない”だったはずが“抱け”になっている。
「因みに私には、モノにしておけばよかったと悔やんでいる女がいる。彼女の純潔が他人の物になったかと思うと、夜に叫んで起きてしまうくらいに悔しい」
「こんな時にぶっ込んでくるなよ」
「冗談はさておき」
「えっ、冗談なのか、今の?」
一欠片も笑えなかったのだが?
「話し合いはするべきだと思うね」
微笑む灰色のダーリン。
「まあなぁ」
スティーブはがしがしと頭をかく。ブレンダの今の状況は知りたかった。
町で働いているということは、男爵との結婚は終わっているのだろうが、一体何があったのか。
まともな所に住んでいるのか、ちゃんと食べられているのかが心配になる。
「…………………………行ってくる」
長い葛藤の末、スティーブは立ち上がった。
「いってらっしゃい。朝帰りしてくれても構わないが朝食は一緒に摂りたいね」
健気なことを言うフェリクスに送り出されて、スティーブはメモに書かれた住所を訪ねた。
❋❋❋
ブレンダの部屋は商業地と住宅地が混ざり合ったような地域にある、小振りの石造りのアパートだった。門番がいるような立派なものではないがきちんとした造りの建物だ。
スティーブはその佇まいにひとまずほっとした。
内階段を上がり、廊下を進んで部屋をノックする。
すぐにパタパタと足音がして扉が小さく開いた。
顔を覗かせたブレンダはスティーブに一瞬目を潤ませたが、すぐににこりと笑って「いらっしゃい、どうぞ」と招き入れる。
本当に全く変わっていない。
“会いたかった”くらい言えよ。俺は会いたかったんだ、と心の中で叫びながらスティーブはアパートに足を踏み入れた。
アパートは玄関からきちんと廊下があって、ダイニングキッチンへ続き、そこには寝室らしき扉もあった。一人暮らしには充分な間取りだ。
中は小ざっぱりと整えられていた。絨毯が敷かれ、置かれた家具も高級ではないがちゃんとしたものだと分かる。
スティーブはブレンダが華やかではないが、それなりに暮らしているのを感じた。
少なくとも経済的に困窮はしていないようだ。
「何か飲む?」
ゆったりと問うてくるブレンダ。でもその手は所在なげに前髪に伸ばされそうになり、また下ろされた。
「そうだな。酒の気分ではないから、水で」
「お茶くらい淹れるわよ」
するりとブレンダがスティーブの腕に触れる。その手を掴んで強く抱き締めたい衝動に駆られたがぐっと堪えた。
そんなことをすれば、きっとそのままなし崩しだろうしブレンダは受け入れるだろう。そして自分は体目当ての男になる。
それは避けたい。
そんなスティーブの気を知らずに、ブレンダは伸び上がってちゅっとスティーブの頬にキスをすると「待っててね」とキッチンへと向かった。
(ああ、もう、変わってねえな!)
スティーブはちょっとイラつきながら、女の唇が触れた頬に触った。




