19.赤毛の女②
「いらっしゃいませ!」
肩上までの赤毛の髪の給仕の女が振り返る。女にしては長身のその人は明るい琥珀色の目をキラキラとさせて溌剌としていた。
頭に三角巾を巻き、地味な色のワンピースの上からエプロンをつけているその女を見て、スティーブは食堂の扉に片手をかけたまま固まった。
二人の目が合い、女もぴたりと動きを止める。
「…………スティーブ」
女の唇が小さく自分の名を紡いだのが分かり、それだけで胸が痛かった。
「ブレンダ」
スティーブもその名を呼んだ。食堂のざわめきが遠のき足がふわふわする。スティーブはゆっくりと扉から手を放した。
フェリクスがスティーブとブレンダを交互に見て「なるほどね」と呟いたが、それはスティーブには聞こえていなかった。
数歩離れたところにいる女のこと以外は、何も考えられない。
「こんばんは、赤毛のお嬢さん。二人いいかな?」
動かなくなったスティーブの代わりにフェリクスが指を二本たててブレンダに聞く。
「え、ええ。こちらにどうぞ」
はっとしたブレンダは体に染み付いているらしい動きで、スティーブとフェリクスを壁際の席へ案内した。
「ありがとう、美しい人。差し支えなければあなたの名前を教えていただけないだろうか」
席についたフェリクスが甘い笑顔で乞うと、ブレンダは一瞬目を見開き、すぐに慣れた笑顔を浮かべた。
「あら、お上手ね。あなたもとってもハンサムだわ、ブレンダよ」
「ブレンダ殿、よい名だ。ミゲルの紹介で来たのだが、私と彼に適当な食事を頼む。酒は……やめておこうかな」
フェリクスはぼんやりとブレンダを見つめるだけのスティーブを見てそう言った。
「そうミゲルの……分かったわ。ちょっと待ってね」
営業スマイルを残してブレンダが去っていく。
スティーブはその一部始終を、変わってないな、と思いながら眺めていた。
生涯の伴侶にと願った人は、変わらず綺麗だと思った。
ブレンダは何一つ変わっていなかった。客からの絡みをそつなくさばくのも、魅力的な笑顔も、きびきび動く様も、昔のままだ。
変化を挙げるなら、長かった髪が肩までになっていることくらいだろうか。
「でも似合っている」
「何がだい?」
「髪だよ。切ってるんだ」
背の高めな彼女はもちろんロングヘアもさまになったが、ああいう軽やかな髪型もいい。快活さがより際立つ。
ブレンダは混みだした店内をくるくると回り、常連らしい客と談笑してオーダーを通した。
同僚の女がちらりとスティーブを見て、ブレンダに何か囁く。ブレンダは少々慌てた様子で言い返してから前髪を触った。
(全然、変わってないな)
スティーブはブレンダのその仕草を懐かしく思った。ここでブレンダがこちらに顔を向けたので、さっと視線を反す。
反らしてから疑問に思った。
(…………ん? なんで変わってないんだ? おかしくないか?)
もう一度、ブレンダを見る。正真正銘ブレンダだ。
だが、彼女がこんなところにいるのはおかしい。
ブレンダはドゥーラから少し離れた町の男爵の後妻に納まったはずなのだ。
十二年前、ドゥーラを訪れた老齢の男爵が亡き妻に似ているブレンダに一目惚れをしてプロポーズをし、ブレンダはスティーブよりも男爵を選んだのである。
それなのになぜ、ブレンダはドゥーラの町で働いているのか。
彼女は男爵夫人となったはずなのに、おかしい。
「変だな……」
「私はとても美味しいと思うよ、ハニー」
優しく言い聞かすように言われて、スティーブははっと我に返った。
気がつくと、スティーブはスプーンを持ちシチューのようなものをすくって食べていた。
「うおっ」
驚いて机を見ると、シチューの他にも肉料理とサラダ、つまみのピクルスなどが並んでいる。酒はない。
コップを満たしているのは水だ。
「いつの間に……」
「少し前にブレンダ殿とは違う娘が運んできてくれたのだよ。ハニーは彼女しか見てなかったからね」
フェリクスは優雅に肉を切り分けて、スティーブの皿に入れてくれた。
「すまんな、ありがとう」
礼を言ってからスティーブは、フェリクスがブレンダの名を呼んだことに気づく。
「お前、何で彼女の名前を?」
「先ほど、君の前で本人に聞いたよ」
「…………なぜ名前を聞いた?」
スティーブの声が少々尖り、フェリクスは肩をすくめた。
「ハニーの知り合いのようだったから気になってね。因みに私は女は茶髪で茶目でないとダメなんだ。だから誤解しないでいい」
「茶髪……そうか」
やんわりと力を抜くスティーブ。
「やれやれ、すごいな。恋の嵐なんてものじゃないね」
「恋の嵐ってなんだ」
「嵐、竜巻、稲妻、恋とはそういう理不尽なものだろう」
「そうか?」
「そうだよ。それより、野菜も食べたまえ」
フェリクスがサラダを肉の横へと取り分け、スティーブはそれを口へと運ぶ。目はまたブレンダを追うのに忙しい。
それにしてもなぜ、彼女がここいいるのか。
「水も飲みなさい」
あれは本当にブレンダだろうか。昼間のように人違いでは?
「ハニー、ほら、肉だよ」
しかし、スティーブがブレンダを見間違えるはずがないのだ。
「オマケをしてくれると言うからデザートも頼んだのだよ。自家製のバターケーキだとか」
でもブレンダは男爵の後妻になったのである。
「やっぱり変だよな」
「美味しいと思うよ」
ふと手元をみると、そこには小さなフォークに刺さった黄金色の物体があった。口の中が甘い。
「……甘い」
「バターケーキだからね。おや、ご本人登場だ」
フェリクスがくいと顎をしゃくるので、そちらに顔を向けると、三角巾とエプロンを取った赤毛の女が同じテーブルに腰掛けたところだった。女は前髪を整えてから好戦的な様子でスティーブに向き合う。
「いきなり来られるとびっくりするんだけど」
“久しぶり”でも“元気?”でもなく、ブレンダはそう言った。口調や表情は素っ気なくて、こういう強気なところも変わっていない。
「すまん。俺も驚いた」
そう返すとブレンダは「ミゲルね。余計なことを」と呟く。
「町で何してるの?」
「こいつの……あ、親戚の子なんだが、今、面倒をみてて。それで服とか買いに来たんだ」
「ふーん」
ブレンダが胡散臭いものを見る目でフェリクスを見て、フェリクスが「やあ」とにっこりする。
「美しいお嬢さん、あなたとハニーの関係をお聞きしても?」
「昔の恋人よ…………ハニー?」
「君がハニーを振った女だね。金持ちに乗り換えたんだって?」
「そう、だけど…………ねえ、ハニーってスティーブのこと?」
「無論だ」
「………親戚の子なのよね?」
「そのようなものだね」
フェリクスの答えにブレンダは「なんでハニー?」と首を傾げる。
「あなたはもう仕事は終わりなのかな?」
「ええ、あまり遅いと酔った客がしつこくなるから早めに上がるの」
「なるほど、美人だものね」
「あなたほどじゃないわよ」
「それはどうも。それにしてもハニーには困ったね。あなたの前ではいつもこんな感じだったのかな?」
フェリクスが横目でスティーブを見てくる。
(こんな感じ?)
スティーブはふわふわした気分で自分を見回した。
どこか変だろうか。
「ふふ、出会った当初はこんなだったわね。一週間くらいふらふらと、当時働いていた店に通ってきてた」
「一週間、それはすごいな」
「最初は怖かったのよね……」
言葉とは裏腹にブレンダは眩しそうにスティーブを見てくる。その目も変わっていない。
「彼、結婚は?」
ブレンダがフェリクスに聞き、フェリクスは「していないようだよ」と答えた。
だがブレンダは眉を寄せてスティーブの左手を見る。
「指輪が気になるかい? それはハニーのお祖母様の形見でお守りだよ。ほら、私とお揃いなんだ」
にこやかに自分の左手を掲げるフェリクスにブレンダはますます眉を寄せた。
「あなたは恋人とかではないの?」
「まさか。私もお祖母様とは縁があるというだけだ」
「よく分からないのだけど」
「指輪は気にしなくていいということだ。私にはちゃんと身も心も、命すら捧げる人がいる」
「大袈裟ねぇ……」
ブレンダは小さく笑うと遠い目になり、ポケットからメモと鉛筆を取り出してサラサラと文字を書き付けた。
それからメモを四つ折りにすると、それをスティーブの手に握り込ませてきた。
「日付が変わるくらいまでなら起きてるから」
それだけ言うとブレンダは席をたち、去っていった。




