14.引退の経緯
ゴトゴトと馬車が進む。
借りた馬車は小ぶりで布の幌が張られたものである。上部な布の幌は通常の雨程度なら防ぐことができるが、本日は晴天だ。
馬車を引くのは宿屋の馬一頭とスラッシュの二頭。
御者席にはスティーブ。
その隣にフェリクスだ。
「中にいてもいいんだぞ」
馬車を操る様子を見ておきたい、と出発から隣に乗り込んできたフェリクスにスティーブは言う。
「一人では暇だしね。途中で御者を変わろうかとも思っている。見ている限り簡単そうだ」
「うーん、そうだなぁ」
道は一本道で避けるものもないので、確かに難しくはない。
「ハニーもずっと御者は疲れるだろう」
「騎士だった頃は一日中、馬や馬車ってこともあったしそうでもねえよ」
「ふーん。それでも後で変わってほしいな」
「後でな」
ゴトゴトと車輪が鳴り、スラッシュがぶるるっと鳴く。
そこからしばし、二人は無言だった。雲が流れ、道端にいたトカゲが馬車に驚いてさっと逃げていく。
長閑な田舎道。
「……嫌なら答えなくていいのだが、ハニーはドゥーラの町に行きたくないのではないかな? 最初は行くのを渋っていただろう」
スティーブがすっかり気を抜いた頃、不意にフェリクスが聞いてきた。
「いや、行きたくないことはねえよ」
「では、会いたくない人がいる?」
それは図星だったので、フェリクスはがしがしと頭をかく。
「あー……まあ、いるのはいるな」
「振られた女かな?」
「……………………まあ、そうだな」
スティーブはかなり遅れてやんわりと肯定したが、会いたくないのは振られた女ではなかった。
しかし、女にしておいた方が無難だと思ったのだ。
フェリクスの予想が外れていたのにほっと息を吐いたのだが、灰色のダーリンはスティーブの長い間と小さく吐き出した息をきちんと汲み取ったようだ。
「なるほど、騎士団関係の誰かなのだね」
ぐっと言葉に詰まるスティーブ。肯定したも同然である。
「お前なあ……はっ、まさか振られた女の方は引っ掛けか?」
隣に顔を向けると、ただにっこりされた。引っ掛けだったらしい。
「これも嫌なら答えなくていいのだが、ハニーが騎士を引退したのは本当に書類のミスをしたからだろうか? もちろんミスを気に病むのは分かる。振られて傷心でもあったのだろう。しかし辞めた経緯の口ぶりだとミスによる被害はなかったようだし、それで引退を決意したのに引っかかってもいる」
静かに一気に聞いてくるフェリクス。
走る馬車の上では逃げ場はない。
ここは田舎の一本道で、屋外だがスティーブはフェリクスと二人きりである。
そして、屋外だから妙に開放的な気分ではある。
告白にはもってこいのシチュエーションだ。
「…………お前、もしかしなくても、ずっと引退のことを聞く機会を窺っていたな?」
そうだと確信できるほどにはスティーブはフェリクスという男を知っていた。
ほんの少し睨んでやると、フェリクスは肩をすくめる。
「否定はしない。私の都合で町に連れ出すことにもなってしまったし余計に気にはなっていた。あと……」
ここでフェリクスが言い淀む。
「あと?」
「差し出がましいが、わだかまりがあるなら私にでも話せばすっきりするかなと……すまない、生意気だった」
フェリクスがしゅんと肩を落とし、スティーブは思わず優しい気持ちになってしまう。これが演技や計算なら大したものである。
(たとえ、演技でもいいか)
スティーブは、ふうと息を吐く。
「……言っとくけどな、真相っていうほど大したもんじゃねえぞ」
そうしてスティーブは騎士を引退した本当の経緯をフェリクスに話した。
ある日、いきなり直属の上司である分隊長に呼び出され、スティーブのサインが入った経費の請求書と実際の納品書の数字が合わないと指摘されたのだ。
請求書の額の方が大きかったため、スティーブは騎士団の金を着服した疑いがあるとされ勾留された。寮の部屋が捜索され、そこから少額だが出所不明の金が発見もされたので疑惑は濃厚となる。
スティーブは書類にも部屋で発見された金にも身に覚えがなく否定したが聞き入れられず、一旦はスティーブの騎士団からの追放が決まった。
だがこの時、寮のルームメイトだった騎士だけはスティーブを信じてくれた。ルームメイトは金についても部屋にそんなものはなかったと証言して、調査のやり直しを主張してくれたのだ。
そうしてやり直しの調査がなされた結果、請求書が改ざんされていたことが分かり、スティーブの部屋で見つかった金も第三者が紛れ込ませた可能性が高まった。
「でもな、改ざんも金を隠したのも明らかに内部の犯行だったんだよ。それで分隊長には、被害は結局出ていないし、こういうごたつきは外聞が悪いから俺が単に書類をミスしたことにしてくれって言われたんだ」
スティーブは空を見上げる。
あの日もこんなふうによく晴れた空だった。
「それでなんか全部嫌になった。誰かは知らないが同僚に恨まれてたこととか、勾留されてる時に向けられた“平民上がりだし、やりそうだな”っていう目とか、ルームメイトが主張するまでろくな捜査をしてなかった分隊長とかが。若かったしなあ、振られた直後だったし、俺はすっげー投げやりになってて、じゃあ、止めてやるよって自主的に引退したんだ」
スティーブはそう話を締めくくった。
フェリクスを横目で見ると、ピリピリしているのが分かった。
「終わり」
軽くつけ足してみるが、隣のピリピリは治まらない。
「そんなこと、王都でなら許されない。内部の恥を隠ぺいしたんだ。明るみに出れば分隊長はもちろん、副団長や団長も処分ものだ」
低い声でフェリクスが言う。
「地方は緩いしな。東の国境沿いだとあっちの隣国とは仲悪いからまた違うらしいが、西は山もあるし、こっちの国と争ったことはない。ドゥーラの騎士団は街道沿いの小さな揉め事の対処が主で平和だ。事なかれ主義なんだよ」
「しかし、そんな下らない理由でハニーが騎士を辞めたなんて、国として損失ではないか」
フェリクスの言葉にスティーブは目を丸くした。あまりに大袈裟だったからだ。いくらなんでも国の損失とまではいかないだろう。
「ふはっ、損失ってお前、俺を買い被りすぎだろ」
思わず手を伸ばして、フェリクスの髪の毛をわしゃわしゃする。
やはり自分はこの若者に慕われているようだ。
「笑いごとではない」
むすっとするフェリクス。スティーブはニマニマしてしまった。
「十二年も前のことだぞ。俺という逸材を失ったが国は傾いていない。終わったことだ、熱くなんなよ。事情が事情だから退職金は色をつけてくれたし、もういいんだ。ただ、そん時の分隊長にはもう会いたくねえなあ、っていう話。さすがにモヤモヤするからな」
分隊長を思い出すと、眉が寄ってしまう。
中央貴族の次男だったその人は田舎に飛ばされたことが不満らしく、王都に帰りたいとよく愚痴っていた。
階級意識が強い人で平民出身のスティーブは配属当初より何かと差別もされていた。嫌な上司だったのだ。スティーブを一方的に勾留し処分を決めたことについては、最後まで謝罪はなかった。
スティーブは自身の眉間のシワをぐりぐりとほぐす。
とにかく、十二年前のことだ。忘れていた方がいい。今さら思い出して気分を悪くするだけ損だ。
「ハニー、君はやはりお人好しだ」
「それは褒め言葉と受け取っておくぜ、ダーリン」
「…………」
「んな顔すんなよ。爺ちゃんも膝を痛めてたし、ちょうどいいタイミングだったんだ」
「…………」
「おーい、機嫌直せよ。俺は今日、お前に話せてすっきりしたぞ。自分の中で終わっていることの確認もできたよ。ありがとう」
本心だった。過去を冷静に話せてしこりが消えていくのも分かった。話してみるもんだなと思う。
「…………それはよかった」
むすっとしたままのフェリクスが小さく応える。
完全に拗ねた様子のフェリクスに、スティーブは迷ってからこう言った。
「……よければだが、お前んとこのごたごたも、十二年後くらいに話せよ。聞いてやる」
今はフェリクスの実家のお家騒動は生々しすぎて聞けないし、フェリクスも言えないだろうが、時間が経てば今日のスティーブのように話せるようになるだろう。
その時に聞いてやれればいいな、なんて思う。
「十二年後か……かなり先だな」
「その時まで交流が続いていれば、話せよ」
「…………そうだね」
フェリクスは機嫌を直したようだ。
いつもの甘い笑顔で「前向きに検討しておく」と言った。




