10.お節介
「スティーブ、ダーリンさんのことなんだが、宿屋の娘ベラとどうだろうか?」
ぶはっ。
その日、スティーブの家を訪れた村長イラヌスがいきなりそう切り出し、スティーブは飲んでいた茶を吹き出した。
「すみませんっ、えっ」
テーブルに飛んだ茶を拭きながららスティーブはイラヌスを見る。
「ダーリンさんがヘラー村にやって来て一ヶ月。最初は不安だったが、今ではすっかり村に馴染んどる」
言いながら、うんうんとイラヌスが頷く。
“ダーリンさん”とはお察しの通り、フェリクスのことである。
当初は村人より遠巻きにされていたフェリクスだが、宿屋の女将ナズナの義母ヘレンの日記を読んでやり、更にはそのお礼の夕食を美味そうに食べたことであっという間に受け入れられたのだ。
宿の食堂にて、フェリクスはこの辺りの自慢である山菜料理や猪の肉鍋をにこにこしながら食べた。その様は複数の村人に目撃され、またフェリクスが宿の食堂で食べていると聞いてやって来た興味津々の老人達と地酒も酌み交わすことになる。
郷土の食べ物や酒を喜んで食べてくれるというのは、その土地の者にとってとても嬉しいことである。ましてや一緒に飲んだのだ。
フェリクスを囲む老人達は一晩ですっかりこの金髪の麗しい若者を気に入った。
ご老体達にフェリクスは「以前の名は捨てたので、ダーリンとでもお呼びください」と自己紹介をし、これは貴族ジョークとして彼らに非常に受けた。
大爆笑した老体達は「儂らのダーリンさんじゃなあ!」と大いに盛り上がり、フェリクスの呼び名はここでもダーリンとなる。
またナズナによって女達にもフェリクスが優しく穏やかな人柄であることが広められた。家の爺様達が「ダーリンさん」と話すのに親しみも覚えたのだろう。
女達は、おずおずと手紙の代筆なんかをフェリクスに頼むようになった。フェリクスはこれに優雅に、しかし気前よく応じたので、すぐに女達も「ダーリンさん」とフェリクスを慕うようになった。
老人と女が落ちれば、男達が落ちるのは時間の問題である。
それに彼らに関してはフェリクスは非常に上手くやった。
「恥ずかしながら通貨を扱ったことがないのだよ。ご教示いただけないだろうか」
と雑貨屋の主人に金の使い方を教えてもらい、
「自分の風呂くらいは自分で沸かしたくてね、薪割りのコツが知りたい」
と宿の主人に薪割りを教わり、
「スティーブの負担を減らしたくてね。罠の作り方をお教えいただきたい」と村長に罠について教えてもらった。
全てスティーブに聞けばいいことを、フェリクスはわざわざ村の男達を訪ねて教えを乞うたのだ。
明らかに高貴な雰囲気のフェリクスからこのように言われて悪い気がする者はいない。男達の自尊心はくすぐられ、同時に素直に教えにならうフェリクスに庇護欲も湧く。
自分達の親や女房がフェリクスになびいているのを快く思っていなかった者もこれであっという間にフェリクスに落ちた。
「お前……恐ろしいな」
あっという間に村人の心を掌握したフェリクスにスティーブは言い、フェリクスはにこりと微笑んだものである。
それにしても、展開が早い。
イラヌスが言ったのは、フェリクスと宿屋のベラを夫婦にしないかということだ。
フェリクスがやって来た当初は、早く出ていってもらいたそうにしていたイラヌスも今ではすっかりフェリクスを受け入れていて、むしろ村に繋ぎ止めたいらしい。
繋ぎ止めるには村の娘と結婚してもらうのが確実で手っ取り早い。そうして嫁候補に宿屋の末娘をあげてきたのだ。
宿屋の夫婦の子は四人、全員女でベラ以外の上の三人はさっさと嫁にいっている。つまりベラとの結婚はそのまま宿屋の婿養子となり宿を継ぐことにもなる。
「しかし、村長、彼は元貴族でその背景は複雑そうです。少し前までは村を出て、自立して欲しいって言ってたでしょう」
「過去はどうあれ、とても良い若者だと分かったんだ。名を捨てたと言っていたし、この村で第二の人生を歩んでもらうのもいいじゃないか」
鮮やかな手のひら返しをみせる村長イラヌス。
スティーブはマズイな、と思った。
フェリクスは村に受け入れてもらおうとはしているが、ここで根を張るつもりなのかまでは分からない。ましてや、村の娘と結婚することは望んでいないだろう。
女達への接し方を見ていればそれは分かるのだ。金髪のダーリンは老婆には殊更優しいが、若い娘には常に一線引いている。
「宿屋はベラが継ぐのですよね? そうなるとただの結婚ではないんじゃ」
「ここに来る前にトマスとは話をした。ダーリンさんなら任せられると」
拳を握り、熱い眼差しでイラヌスは言う。
どうやらフェリクスは気に入られすぎてしまったらしい。
村長や宿の主人は村の発展のためにフェリクスを繋ぎ止めたいという思惑もあるだろうが、それ以上にフェリクスによくしてやりたいという思いがあるようだ。
貴族が名(家門)を捨てるなんて、よっぽどのことである。村長はフェリクスを不憫に思い、あんな良い若者がなぜ、と憤り、何か力になってやりたいと考えたのだろう。
そうして結婚を斡旋するというお節介にでた。
「…………ベラはまだ十五歳ですよ」
「うちの妻は十六歳で嫁に来たぞ」
「いや、時代が違いますよ。あとベラの気持ちは? 聞いてますか?」
「…………」
「聞いてないんじゃないですか。もしかしてこの話、ナズナさんも知らない?」
「…………女共はすぐに騒ぐからな」
ぼそぼそと言い訳をするイラヌス。おそらくだが、話して怒られたり反対されるのを恐れたのだ。
「とにかくトマスと相談した結果、まずはダーリンさんの気持ちを聞くのが先だろうとなった。だからスティーブ、この話をダーリンさんにして、説得して良い返事をもらってくれ」
ここでイラヌスはぎゅっとスティーブの手を握ってくる。
「は? 俺?」
「お前が一番親しいからな。頼んだぞ」
ぐぐっと最後にスティーブの手を強く握りしめ、イラヌスはさっさと出ていく。
フェリクスのためにお節介はしたいが、村娘と結婚しないかと提案するのは畏れ多いようだ。
因みにフェリクスは現在、月に一度の村の夫人の集まりで詩を朗読中である。イラヌスはその不在を知ってやって来ていた。
「えぇ……」
一人残されたスティーブは面倒なことを押し付けられたなとがしがしと頭をかく。
(だがまあ、よい機会ではあるか)
フェリクスはすっかり健康的になったし、そろそろ今後の身の振り方について尋ねるべきだとは思っていた。
これを機に聞いておいてもいいかもしれない。因みにベラとの結婚を説得する気はない。
そうしてスティーブは村のご夫人達よりジャムや干し肉や野菜を手土産に持たされて帰宅したフェリクスに、村長からの提案を話した。
「ありがたい話だけれど、お受けはできないね」
ジャムを棚に並べながらフェリクスは即答した。
「私には身と心を捧げた人がいる。この命もその人のものと思っている。そんな男を夫に持つのはベラ嬢が可哀想だろう」
フェリクスは大仰な理由を軽い口調で述べた。
それは縁談を断る詭弁のようにも聞こえたが、どこまで嘘なのかスティーブには分からなかった。
「捧げるって、騎士の誓いのようだな」
「私は騎士ではないけれどね。離れていても私はその人のために生きている」
フェリクスは寂しげに笑った。
「そういうわけで、お断りしなくてはね。明日にでも自分で言いに行くよ」
「そうか…………なあ」
断りの理由がどうにも嘘だとは思えなくて“その人とは誰だ? 俺にできることはあるか?”と聞きそうになってスティーブはぐっと言葉を呑み込んだ。深入りしても田舎の村人であるスティーブに解決できることはないのだ。
「…………あー、結婚の話は断るでいいと思うんだが、今後のことで希望はあるか? この村を出て自立したいとか、地元に帰りたいとか、もう少しゆっくりしたいとか」
代わりに元々聞く予定だった事柄を聞く。
「うーん、ハニーの存在を知るまでは指輪の相手はお祖母様だと思っていたし決めていたこともあったのだが……」
「決めていたこと?」
「指輪の魔法を解こうと思っていた。お祖母様はご高齢のはずだったからね。何が何でも魔法を解いて生き延びてやると考えていたのだよ」
ここでとろりとフェリクスが微笑む。
「だが天は私にハニーを与えた。若くて健康な元騎士の男。しばらくは何の心配もない」
「若いかは微妙だが」
「ふふ、八十を越えるお婆ちゃんよりはずっと若いよ。気が抜けてしまってね。今はもうしばらくゆっくりしたいかな」
フェリクスがぐーんと手を上げて伸びをする。
「そうか」
「私も聞きたいのだが、ハニーの父上と母上はずっと不在なのだろうか?」
「民族学者だからな。いろんな国に行って現地でがっつり研究すんだよ。祖父と祖母が生きてた頃は二人を心配してわりと帰ってきてたけど、亡くなってからは年単位で旅先だ。たまに手紙は来る」
前回の帰宅は一年近く前で、その時に次は二年くらいかかると言っていたはずだ。
「だから部屋は余ってるし、気にせずゆっくりしてくれていいぜ」
「世話になる。よろしく頼む」
フェリクスはそう言い、翌日にはイラヌスとトマスに丁寧に断りの返事を告げに行った。




