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岩瀬の勇気

 双葉の研究発表の翌朝、俺が教室に着いて、まだ五人くらいしか生徒が来ていない教室の静けさを味わっていると、前側の入り口から、岩瀬が入ってきた。そして自分の机の上に鞄を置いて、席には座らず俺のところまで来て、俺の前の席に座った。

「マサキ。俺は決めた。今日、田辺に手紙を渡す!」

 岩瀬は声をひそめて、しかし力強く言った。

「え?ていうかお前、まだ渡してなかったの?そのことにビックリだよ!」

「なかなか勇気が出なかったんだよ!でも、やっと決心した。田辺が他の女子と話してるときに渡したら、田辺が冷やかされたりして迷惑がかかる可能性があるから、一階の昇降口で渡そうと思ってる」

「下駄箱のとこ?田辺が登校してきたときに渡すってこと?一人で登校してくるかなあ」

「それは分からんが、とにかく行ってくる!じゃあな!」

 そう言って岩瀬は教室を出ていった。なるほど、岩瀬にしてはやけに早く登校してきたと思ったら、そういうことだったのか。俺はそう思いながら、窓の外で風に揺れる樹々の梢を眺めていた。

 岩瀬が出ていってから十分ほど経った頃、先に田辺加奈が教室に入ってきた。岩瀬はおらず、一人で入ってきた。こころなしか少し顔が赤いような気がした。鞄を肩にかけていて、手に手紙を持っている様子は無い。他の人に見られないようにすぐにポケットに入れたのだろうか…などと俺は考えた。

 気になったのでその後も俺はチラチラ田辺を観察していたが、手紙を取り出して読み始めることは無かった。まあ、それはそうだろう。教室だと、周りに人がたくさんいるし。実際、しばらくすると相澤という田辺と仲のいい女子が田辺のところに行き、雑談をし始めた。

 ショートホームルームが始まる直前になって岩瀬が教室に戻ってきた。一度だけ俺の方を見て、視線を合わせてから席に座った。岩瀬も少し顔が赤かった。

 一時間目が終わって休み時間になると、岩瀬は俺のところに来て、「マサキ、ちょっと来てくれ」と言って、俺を廊下に連れ出した。そしておそらく田辺から距離をとるためだろう、一組から離れて三組の前まで俺を連れていった。途中で二組の前を通ったので、開いていたドアから、女子と雑談している未希の姿を一瞬だけ見ることができた。愛しきわが心の姫君の麗しきお姿をもっと眺めていたいのに、岩瀬は俺の手首をつかんで引っ張っていった。

「マサキ、ついに…ついに渡したぞっ!」

「ああ、そうだろうね。見ていて分かったよ。渡したとき、田辺さんはどんな様子だった?」

「かなり驚いてたな。そりゃそうだよな。いきなり渡したわけだし」

「そうだな。で、これからどうするんだ?向こうから何か反応があるのを待つのか?」

「そこなんだよ。それをお前に訊こうと思って。俺は一体この後、どうすればいいんだ?」

「何だよそれ!無計画過ぎるだろ!…とりあえず想いは伝えたんだから、一週間くらいは反応をおとなしく待って、何も無いようだったら、休みの日にどこか遊びに行きませんかって、誘ってみろよ」

「反応か…つまりホットケーキだな」

「え?どういうこと?」

「ほらホットケーキ焼くとき、プツプツ小さな泡が出てきたらひっくり返せって言うだろ?」

「お前、好きな人をホットケーキ扱いするなよ。田辺さんをいくら眺めていても、プツプツ小さな泡は出てこないぞ?」

「わ、分かってるよそれくらい!とりあえず教室戻ろうぜ!アドバイスありがとう!」

 俺は岩瀬の後ろを歩いて教室に戻る途中で、再び二組の中を横目でチラっと見た。未希は那須原という、俺が五年生のときに同じクラスだった女子と笑顔で話していた。那須原がとてもいい奴だということを俺は知っていたので、彼女が未希と友達になったのだとしたら、俺にとっても嬉しいことだと思った。万が一、未希がクラスで孤立してるなんてことになったら、俺は心配で夜も眠れない。

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