53話 梟の番犬
机の上に置かれた血の滲み出た麻袋。
「……中身を。」
レノは銃口を向けられたまま、ワイングラスを傾けて言う。
「別に変なものは入ってないぜ。」
ゾラは獲物を狙う狂犬の目で、熊のボスを見据えて舌なめずりをした。
「……開けてみろ」
レノの静かな声に促され、熊のボスが銃口を向けたまま血塗れの麻袋の口を開ける。
中から転がり出たのは、彼が誇る「隠密部隊」が身につけていた認識票と、へし折られた武器の山だった。
「なっ……!」
「俺たちの安宿に忍び込んだネズミがいてね。……優秀な連中だったが、うちの番犬の遊び相手には物足りなかったらしい。
とはいえ、この街に滞在していた46人分だ。あとはエルフの方に8人、旧太陽王国に3人、ドワーフの方に7人、南方地域に14人いるようだが、残念ながら手が回っていない。」
レノは一切動じず、ナプキンで口元を拭う。
ゾラが一歩前に出た。それだけで、周囲を取り囲んでいた護衛たちの緊張感が一気に高まり、じりじりと飛び込む準備をするかのように後ずさる。
だが、ボスたちは手を挙げて護衛たちを静止する。レノの座る方向の窓、はるか後方の山岳地帯が一瞬キラリと光ったのだ。
これみよがしとした反射光は、凄腕のスナイパーの存在を誇示するかのようだった。
完全に沈黙した三人のボス。
レノはゆっくりと立ち上がり、彼らを見下ろして静かに告げた。
「……俺は合理主義者だ。無駄な血は流したくない。だから、お前たちに『素敵な提案』をしよう」
レノは万年筆をテーブルに置いた。
「選択肢は二つだ。一つ。この契約書にサインをして、お前たちの組織とシマは全て我ら『梟』の傘下に入ること。命と、お前たちの『家族』の安全は保証してやる。但し、5つルールを決める。それに従ってビジネスのやり方を変えてもらう。
そうだな・・・一番影響が大きいのは麻薬、次に歓楽街か。だが、移行期間と新しい稼ぎの支援はしてやる。」
レノの冷たい瞳が、ボスたちの心臓を射抜く。
「二つ。この場で俺の脳天を撃ち抜くこと。……ただし、引き金を引いた瞬間、お前たちの命も、財産も、この街も、全て灰になる。」
圧倒的な情報による首根っこの掌握と、見せつけられた圧倒的な戦力。
彼らに選べる道など、最初から一つしかなかった。
狼獣人が、豚の亜人が、そして熊の獣人が、万年筆を手に取り、傭兵団『梟』の下につくことを誓うサインを刻む。その手が時折止まるのは、恐怖なのか、怒りなのか、羞恥心なのかは、隣で見ているゾラには判別がつかなかった。
そして契約書が契約魔法で効力を発揮したことを確認すると解散となり、レストランの重厚な扉が閉まった。
ドアから入り込んできた外の冷気が三人の頬を撫でた。
武装した男たちが慌ただしくボスの車を回し、敗走兵のような騒がしさで去っていく音が聞こえた。
「……ったく。心臓に悪いぜ、団長」
ゾラが大きく息を吐き出し、首の骨をボキボキと鳴らした。その手はまだ斧の柄を握りしめたままで、興奮と緊張の残滓でわずかに震えている。
「あんな至近距離で魔銃を突きつけられて、よく平然とメシが食えるな。防衛障壁が間に合うかギリギリの距離だぜ。
俺はあいつが引き金を引く前に、その腕を叩き斬れるよう、あいつの指の筋肉を見るのに必死だったぜ」
「……計算通りだ、ゾラ。
あの熊のボスは、3人の中でも自分が積み上げてきた『この街』を誰よりも愛している。それを灰にすると言えば、指は動かない」
レノがそう答えた声には、先ほどまでの冷徹な響きが消え、わずかに疲労の色が混じっていた。彼はポケットからハンカチを取り出すと、額に滲んだ薄い汗を拭う。
「ふふ、でも団長。ワインを注ぐとき、ほんの少しだけ手が震えていらっしゃいましたよ?」
ミラが楽しげに、小悪魔のような微笑を浮かべて覗き込んできた。
「……見ていたのか」
「当然です。私は貴方の右腕ですから。でも、それがかえって『怒りを堪えている』ように見えて、彼らをより恐怖させたようですが」
ミラは手元の分厚いファイルを閉じ、コツコツと小気味よい足音を立てて歩き出す。
「それで、ボス。お味はいかがでした? 『黄金龍の丸焼き亭』の特製ステーキは」
レノは一度足を止め、夜空に浮かぶ歪な月を見上げた。
「……味なんてしなかったよ。ただ、飲み込むのに必死だった」
その言葉に、ゾラが拍子抜けしたように豪快に笑い、レノの肩をバシバシと叩いた。
「ははっ!それじゃいつかの浄化魔法で変えた肉と違いないじゃないか」
「……強く叩きすぎだ、ゾラ。……帰ろう。明日から真価を問われる、この街の『掃除』が始まる。今夜くらいは、ゆっくり眠りたい」
レノはそう言って、再び歩き出した。
その背中は、自治都市最大の闇を屈服させた覇王のそれではなく、重い荷物を背負った一人の青年のものだった。
彼らがアジトへと戻る道すがら。
道端の泥濘の中で震えていた浮浪の獣人が、ふと顔を上げる。
「梟」の紋章が刻まれた彼らの背中が、街の街灯に照らされ、長く、黒々とした影を伸ばしていた。




