終章
最終話『勇者の宝石』及び『終章』同時投稿。こちらが『終章』になります。
古びた納屋の土間の一角、普段は仕事中の一服に使う窓辺のベンチに腰掛けたのは、老いた木工職人とその孫娘。
木屑の散らばる薄暗く雑然とした納屋の中は、ほんのつい今しがたまで彼らが見も知らぬ物語の登場人物の居城であった。
誰もが知る英雄奇譚『勇者の宝石』の三勇者が一人。ロドリア王国のレンス老王の死の場面を老齢の木工職人と孫娘の前に幻視させたのは、若い吟遊詩人の娘。
彼女はほんの一刻ほど前、にわか雨の黒雲に追われるように納屋で作業中だった老人と作業場の片づけを手伝う孫娘の前に現れた。
「はぁあ……いやぁ……ええぇ詩と音楽ぁ聞かせて貰ったねぁ」
古びた椅子に腰を下ろし使い終えた竪琴を荷物にしまう吟遊詩人を眺めつつ、老人は胸の底からハア……と感嘆の溜息を吐いた。
農業とそこそこの畜産業が主の、これといった名所名物の無い小さな村だ。外部からの客人も頻繁には無く、ましてや吟遊詩人など村の祭り日でもなければ来ることも無い。
一杯の茶と雨宿りの屋根を提供するくらい、雨の間に謳われる一曲の音楽があるなら安いもの……と、作業場替わりの納屋の戸口に現れたこの吟遊詩人を受け入れたが、これほどの謡い手と知っていれば母屋に通し相応の歓待をするべきだったと老人はこの美しい吟遊詩人に申し訳ない気持ちを抱いた。
彼女の謡いはもうとうに終わり、樫木の竪琴も金属の弦を緩めて防水の油紙に包んでから丈夫そうな布の袋に片付けられている。今まで声を出すことも出来なかったのは、彼女の詩があまりにもすばらしかったせいだ。老職人と一緒に詩を聴いていた孫娘などはまだ物語の世界の余韻に浸っているのか、どことも知れぬ彼方を見たままぼんやり顔で身動きもしない。感受性の強い年頃な上、これほどの謡い手の詩を聴けばさもありなんと老人は思う。
戸口で雨宿りの屋根を求めた時には目深に被ったフードに隠れて気づかずにいたが、見れば彼女の耳はいわゆる人間の物とは違い先が細くて長いエルフ族の特徴を持っている。
エルフ族には音楽の才を持つ者が多い。彼らの血を引く者であれば、この吟遊詩人の卓越した演奏にも得心がゆく。
「こんなちっさな村ぁアンタさんみたいな謡い手が来るこたぁそうあるもんじゃねぁし、街の方の流行も詳しかぁねぇけれど、今の『勇者の宝石』みたいなぁ解釈は初めて聴かせてもらたわ」
作業台の上、すっかり冷めたカップの中の茶で喉を潤す吟遊詩人を老職人は満足そうに細めた目で見ながら小さく幾度も頷いた。
「……素敵なお話だったねぁ……じいちゃん。ねえ、今の詩ってさ、本当にあったお話なの?」
詩の中の夢の世界から戻って来た少女は頬を染め、作業場の奥の竈へ茶を入れなおすために立ち上がりつつ祖父へ問う。普段より幾分早口なのは、恐らく興奮の余韻のせいだろう。
「ムローシの街の向こう側ぁずっと、山並みぁ越えたもっと西っかわにロドリア王国はあるんだってぁ童ん頃、司祭様にぃ聞いたことがあらぁねぁ。本当にあった話だってぁ言われておるけっど……」
「……ロドリア王国とその周辺では、史実として国史にも記されているそうですよ」
「はぁあ……凄いねぁ。じゃあさ、宝石になった勇者様ってのも本当にいたってことなんだよねぇ……」
老職人の孫娘は吟遊詩人と祖父、そして自分のカップに湯気立つ茶を注ぎながら感心しきりの様子でつぶらな瞳を瞬かせた。
「宝石になった勇者様と精霊使いの勇者様は、今もこの世のどっかにいるんだよねぇ。ねぇ、じいちゃん?」
ふわり香草の香りを立ち上らせる茶のカップを両手に包み、少女は窓辺のベンチへ腰かけた。問いは祖父へと向いていたが彼女がチラチラと気にしているのは謡い手の娘の方向。演奏の邪魔になるからと前を寛げた吟遊詩人の外套の下の胸元、薄暗い納屋の中にも紅く輝く宝石の首飾りがかけられている。
孫娘の視線を辿り、老職人はくしゃりと目もとを緩めて声なく笑んだ。
彼が若いころ職人修行に出ていた町の酒場や祭りの日に見た。吟遊詩人が『勇者の宝石』を演目とする時の小道具として紅い硝子の装飾品は定番の品。
特に謡い手が女性の場合、必ずと言っていいほど使われる。自分こそがかの英雄奇譚の登場人物、三勇者の一人、精霊使いのシャイアであると言う演出だ。
エルフの血を引く者ならそのまま、丸い耳の人間ならばフードで耳を隠してこの演出は行われる。頬にピンピンと銀の髭を生やした大きな狐耳の狐人の吟遊詩人がこの演出をしているのを見た時にはさすがに呆れて笑ったものが、まだ世に擦れぬ孫娘は目の前の美しい吟遊詩人の娘こそ三勇者の一人では……と、胸を高鳴らせて考えていることだろう。
「どんなもんだろうねぁ。のぅ、吟遊詩人の嬢さん」
好々爺の表情で孫を眺めながら話を向ける老職人に、吟遊詩人は温かい茶のカップから顔を上げて笑いながら小首を傾げた。
「どう……でしょうね。……レンス王の次の次の王の時代、ロドリア王国の宝物庫に『勇者の宝石』は保管されているんだと喧伝されたことがあるようですけど。その頃のロドリアは周辺の国を併呑したてで三勇者の威光を必要としていたみたいですし、あれは虚偽の発表だと言う学者も多いようです。だから……もしかしたら本当に今もどこかを二人は旅をしているのかもしれませんね」
少女の夢を壊しはしないが、地に足のつかぬ夢だけを信じさせたりもしない。
若い姿をしていても目の前の娘はエルフの血を継ぐ者、見た目どおりの年齢ではないのかもしれない。老職人は嫣然と微笑む稀代の謡い手の答えに満足の笑みを返した。
「ああ、お嬢さんの淹れるお茶が美味しくてすっかり長居してしまったけれど、雨も上がったようですし、そろそろお暇させていただきましょう」
雨雲に陰った空から薄暗かった納屋の中へ、スッと差し入る一筋の陽光。どうやらにわか雨は降り止んだらしい。
「茶の一杯の返礼にしてはぁ、随分と良いモンをぉ聴かせて貰ったねぁ。嬢さん、これからどちらん方に向かうんだぇ?」
茶を飲み干し、身支度を整え直した吟遊詩人に老職人が声をかけた。
「南へ……。街道に出たらサグホークの方へ向かうつもりでいます」
「サグホーク……かぇあ。あっちの方の国にぁ昨今、強ぇ魔族だか魔王だかが出たって言う話を聞いとるねぁが……」
サグホークの南は現在魔物が跋扈し町や村が荒れた地域。女一人でそんな場所へ向かうと聞き、老職人はその顔から笑みを消して眉間に縦の皴を寄せるが、吟遊詩人は気負うでもなくニコリと笑う。
「ご心配をありがとうございます。でもこう見えても私、多少は腕に覚えもありますから大丈夫です。それじゃあ、ご縁がありましたらまた……」
ふわりと外套の裾と白金の髪をなびかせて、吟遊詩人の女は明るい戸外へと歩いて行った。
英雄奇譚から永い歳月が流れ、当時の真実が時の流れの中に見失われて久しい中、吟遊詩人達は自らの解釈を加えてその物語を謳う。
『勇者の宝石』
その、失われた宝石と三人の勇者らの詩を───




