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令和のダンジョンを、昭和の魂(メロディ)でブチ抜く 〜MusicMasterの英雄譚〜  作者: 渡部安恵


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第6話 水郷の風

 一層の最奥。そこは、周囲を鬱蒼としたメタセコイアに囲まれた円形の浅瀬だった。

 くるぶしまで満たされた澄んだ水が、二人の足元をひたひたと浸す。静謐な空間だが、その中心には不気味な「質量」が潜んでいた。


「――いた。一層の主、『リバー・スタッガービートル』」


 陽葵ひまりが声を潜めて呟く。

 直後、水面を割ってせり出すように姿を現したのは、軽自動車ほどもある巨躯を誇る漆黒の水生クワガタだ。濡れた甲殻は真鍮のような光沢を放ち、頭部から伸びる巨大な二本のハサミが威圧的に空を切り裂く。


「……さすがにデカいな。陽葵、足場が悪い。今のうちに――」


 りつが腰のホルダーに手をかけ、テープを取り出そうとした、その時だ。


 <シャアァァッ!!>


 リバー・スタッガーが、その巨体に見合わぬ瞬発力で水を蹴った。

 バシャッ、と大きな水飛沫が上がり、巨大なハサミが陽葵の胴体を真っ二つにせんと迫る。


「……おっとぉ!」


 陽葵は驚くほど冷静だった。

 水による抵抗など最初から計算に入れていたかのように、彼女は最小限のステップでハサミの軌道をかわす。跳ね上がった水滴が彼女の頬を濡らすが、その瞳は既にボスの「急所」を捉えていた。


「新しい音楽バフはまだいいよ、りっちゃん! まずは挨拶代わりっ!」


 陽葵が深く沈み込む。

 水底の泥を掴むような力強い踏み込み。彼女の固有スキル『運動エネルギー変換』が、回避の慣性と踏み込みの衝撃を、瞬時に一撃の破壊力へとコンバートした。


「そぉい!!」


 下から上へとカチ上げる、豪快なアッパー・スイング。

 強化合金製の『ひまわり壱号』が、リバー・スタッガーの最も頑強なはずの頭部甲殻を捉えた。


 ――ガギィィンッ!!


 硬質な衝撃音が響き渡り、直後、ボスの巨大な体が物理法則を無視した角度で浮き上がった。

 甲殻にクモの巣状の亀裂が走り、中から淡い魔素の光が漏れ出す。そのまま背後の大木に叩きつけられたクワガタは、一度も反撃の機会を得ることなく、そのまま粒子となって霧散した。


「……あっ、倒しちゃった」

「……」


 カチャ、と静まり返った浅瀬に、プラスチックケースが虚しく触れ合う音だけが響く。

 律は、ホルダーから半分ケースを取り出した姿勢のままピタリと静止していた。


『えっ、ちょwww』

『ひまちゃん強すぎワロタw』

『移動重視のバフでこれか!? エグすぎんだろ!』

『Q・引き抜いたカセットの出番。 A・ありません!』

『レトロニキ、ちょっと寂しそうだぞww』


 チャット欄の盛り上がりに、陽葵がテヘッと舌を出して笑う。


「ごめんりっちゃん! 身体が勝手に動いちゃった。なんか今日は昨日より調子いいんだけど!」


 律は冷静を装ってケースに戻したが、その指先が少しだけ所在なさげにしていたのを、浮いていたドローンの高精度カメラは見逃さなかった。


「……いい。テープを温存できた。……次は二層か。陽葵、これからが本当の沼だぞ」

「わかってるってば! ほら、早く行こう!」


 陽葵に急かされ、律は再び歩き出す。

 一層ボスを「挨拶」で片付けた少女の背中を見つめながら、律はそっとボリュームノブを確かめた。


 ◆


 二層『深緑の泥濘(ディープ・マッド)』へ足を踏み入れた瞬間、空気の質が一段と重くなった。

 一層ののどかな水辺とは打って変わり、視界を遮るように巨大なシダ植物や柳の枝が垂れ下がり、足元は一歩ごとに「ズブッ」と嫌な音を立てて足首まで沈み込む。


「……うわ、何これ。ねえりっちゃん、ここ一層より全然歩きにくいんだけど!」

「気をつけろ。泥だけじゃない、ここは『視覚の罠』が多い」


 律が注意を促した刹那、陽葵の死角――大きな蓮の葉の陰から、泥と同化した『カモフラ・フロッガー』が音もなく跳躍した。

 狙いは陽葵の背中。だが、その背後に控える「百八十八センチの盾」は動じない。


「――そこだ」


 律は最小限の動きで右腕を突き出した。

 空中で放たれたフロッガーの鋭い舌を、剥き出しの掌で無造作に掴み取る。強引に引き寄せられた魔物は、地面に叩きつけられ、逃げる間もなく陽葵のハンマーの餌食となった。


「ナイスりっちゃん! ……っていうか、その反射神経なら、りっちゃん一人でも戦えるんじゃないの?」

「バカを言え。俺はただ、時計の秒針と同じで『来るべき瞬間』を待っているだけだ。――また来るぞ、三体だ」


 泥を跳ね上げ突っ込んでくるフロッガーたちの猛攻を、律が静かな動きで「いなし」、その隙を陽葵が「撃破」する。

 一層に比べて歩みは遅い。だが、二人の連携は磁気テープの回転のように淀みなく、着実に深部へと進んでいく。


 やがて、さらに湿り気を帯びた腐植土の匂いが立ち込める開けた場所へと出た。

 そこが二層の最深部。周囲の木々がそこだけぽっかりと円形に退き、地面全体が生き物のように蠢く最悪の足場だ。


「……ようやく着いたか」


 律が今度こそ、カセットプレーヤーの蓋に指をかけた。

 目の前の泥濘でいねいが盛り上がり、巨大な「泥の塊」がその醜悪な姿を現し始める。


「……陽葵。ここからは『滑る』ぞ。――準備はいいか」

「もちろん! とっておき、バチッとお願いね!」


 ◆


 泥濘の戦場に、かつて都会の夜を彩ったあの洗練されたリズムが、今まさに刻まれようとしていた。


 二層の主――『フォレスト・マッドプラッグ』が泥の中からその巨大な頭をもたげた。

 体長は優に十メートルを超える。メタセコイアの残骸を鎧のように纏った巨大な泥ナマズだ。その周囲では、取り巻きの『マッド・ウィスカー』たちが五匹、下卑た水音を立てて陽葵たちを包囲する。


「うわぁ……。地面がズルズルで踏ん張りがきかないっ。ハンマーが重いよぉ!」


 陽葵が顔をしかめる。ボスが尾を叩きつけるたびに地面の泥が波打ち、彼女の『運動エネルギー変換』に必要な「安定した踏み込み」を奪っていく。

 ボスは泥を吹き付けて陽葵の視界と機動力を削り、さらには長い髭を鞭のようにしならせ逃げ場を塞ぐ。


「……陽葵。泥臭いのは御免だ。都会の夜風に塗り替えるぞ」


 律が重厚な作動音を響かせ、再生ボタンを深く押し込む。同時に、側面にある金属製のボリュームノブを『6』まで回した。


 ――ガコンッ。


 流れてきたのは、夜のハイウェイを象徴するような、アーバンでソリッドにうねるスラップベースと、軽快なカッティングギターのイントロ。

 疾走するビートが響き渡った瞬間、最悪の泥濘地帯が、まるで「近未来のサイバー都市」やセル画調の質感へと塗り替えられた。


 音響防壁の再展開と同時に、陽葵の胸元で待機していたドローンが息を吹き返してふわりと浮上。

 世界の色彩がネオンブルーへと変貌していく異常光景を、興奮で加速するチャット欄とともに全方位へとストリーミングし始める。


【出力180%:摩天滑走音界ミッドナイト・フロー――『今夜はタイフーン』展開】


 律の佇まいから下町の野暮ったさが消え失せる。猫背気味だった背筋がスッと伸び、冷徹なまでの光を宿した瞳が、夜のネオンを反射するフロントガラスのように無機質に光った。


「……システム同調シンクロ。ステップを緩めるな。慣性は音楽が肩代わりしてくれる」

「了解っ! りっちゃん、これ……すごいっ。体が軽い!」


 陽葵の身体から、透き通ったネオンブルーの魔力が溢れ出す。

 驚くべきは、その機動力だけではなかった。

 陽葵の耳に届くベースラインの振動が、直接彼女の『運動エネルギー変換』のバルブを操作していた。


(……あ、わかる。次にどこを叩けばいいか身体が勝手に「知ってる」!)


 一拍ごとに、ボスの攻撃をかわすべき「隙間」が光って見える。

 二拍ごとに、地面の泥が反発力を生む「タイミング」が足の裏に伝わる。

 泥の表面を走るネオンブルーの光のライン――それは律のベースラインそのものだ。陽葵はその五線譜の上を滑るように踊る。


 陽葵の意識は、律から放たれる魔力《音楽》と直結していた。

 低音が響けば質量が増し、高音が跳ねれば重力が消える。


(りっちゃんの音が、私を「正解」に連れて行ってくれる……!)


 思考を介さない、反射を超えた純粋なシンクロ。

 陽葵はもはや自分の意志で動いているのではなく、律が奏でる「都会の夜風」そのものになって、泥濘の戦場を滑走していた。


 <シャアァァッ!>


 取り巻きの『マッド・ウィスカー』たちが、泥の中から陽葵の死角を突こうとするのを察知した律は、左手に隠し持った極細の特殊鋼ワイヤーを静かに引き抜いた。


「絡まるのはテープだけで十分だ。――掃除の時間だぞ」


 律の指先が、まるで時計のテンプや極小の歯車を調整するかのような、繊細な動きを見せる。

 放たれたワイヤーは、音楽の拍子に合わせて「秒針」のような正確さで空を走り、襲いかかる魔物たちの関節やエラを寸分違わず絡め取った。


「時計は、一つの部品が止まれば全体が沈黙する」


 律が指先を引くと、極細の鋼線が奏でる「キィィ」という高音が、ベースラインの裏拍で重なった。

 まるで不協和音を強制的に調律するように、五匹の魔物は音楽の旋律の一部として泥へと縫い付けられた。


「今だ、陽葵!」

「おっけー! 流れるように、いっくよー!」


 陽葵は泥濘の上を、都会のハイウェイを疾走するスポーツカーのように鮮やかに走り抜ける。

 重力から解放されたハンマーが、夜の風を切り裂く青い閃光となった。

 ボスの髭による鞭打を縫うように回避。泥飛沫をまるで輝くクリスタルのように散らしながら、一気にボスの懐へと滑り込んだ。


 バフによって「摩擦」という概念を剥ぎ取られた鉄塊は、空気抵抗すら置き去りにする非情なまでの高周波を上げ、流線形の軌道を描く。

 それは破壊の打撃というより、空間そのものを洗練された力学で「切断」するような、鋭利な一閃へと変貌していた。


「――ターゲットロック。おやすみ、――『泥濘の静寂スリープ・イン・ザ・マッド』……っ!?」


本人の意思を完全に無視して、劇的なデジタルシンセの破裂音に合わせてクールなSFヒロインのセリフを言い放ちながら、陽葵は泥濘の上をスケートリンクのように滑走した。



 慣性という名の怪物を手懐けた、一回転半のターンから繰り出される非情な一閃。

 重心移動のすべてが、完璧なタイミングで一点に集約された。


 ドガァアアアン!


 衝撃音と共に、巨大なナマズの頭部が泥の飛沫となって霧散する。


 最後の一撃を決めた陽葵は、泥まみれになるどころか、夜の都会を散歩してきたような涼しい顔で「ピシッ」とポーズを決めた。


 律はすかさず、プレーヤーの側面にあるボリュームノブを『1』へと回し下げた。


 その瞬間、世界を覆っていたネオンブルーの光帯が、まるでテレビの主電源を切ったように一瞬で収束し、元の薄暗い泥濘の森へと戻っていく。

 律を包んでいた都会的な色気は霧散し、いつもの不器用な時計屋の佇まいに戻る。


 出力が最低限まで落ちたことで、領域の強制ハッキングから解放された陽葵がハッと我に返った。


 だが、時すでに遅し。

 陽葵はカメラに向かって、片手を腰に当て、もう片方の手で前髪をかき上げながら、無駄にハイレグが似合いそうなイケイケのポーズをバッチリ決めた姿勢のまま硬直していた。彼女の脳内にある『九〇年代OVAのサイバーヒロイン』そのものの、時代錯誤なディスコ風ポージングだ。


「――ターゲットロック。おやすみ、泥濘の静寂……って、なぁぁぁにこれぇぇぇ!!?」


 自分の口から飛び出たトレンディすぎるセリフと、悲しいほどキレキレに決まってしまっているバブリーなポーズに気づき、陽葵は耳の裏まで真っ赤にして飛び退いた。


『おいセリフwwwwww』

『おやすみ泥濘の静寂(笑)』

『トレンディドラマ始まって草』

『ポーズが完全に一昔前のレースクイーンなんよww』

『ひまちゃん、私服のセンスはあんなに現代っ子なのにww』

『レトロニキ、次から次へと引き出し多すぎだろww 情緒壊れるww』


「もうやだぁぁ! りっちゃん! 今の曲、出力上げたらポージングの強制力まで増してない!? っていうかなにあのセリフ! 私、死んでもそんなこと言わないからね!?」

「……すまん。出力が180%まで跳ね上がった影響だ」


 律は静かな同情を瞳に宿し、所在なさげに目を逸らしながらも、ボスと取り巻きのドロップ品を淡々と背嚢へ回収する。


 ――しかし、二人がお互いの黒歴史に悶絶する余韻は、長くは与えられなかった。


 微かな残響の向こう――さらに深い三層へと続く水路から、これまでとは比較にならないほど鋭い、植物が空気を切り裂くような音が聞こえ始めていた。

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