第7話 水郷の青い閃光
二層の主を仕留めた余韻に浸る間もなく、陽葵がスマホの画面を覗き込み、わざとらしく頬を膨らませた。
「――あ、見てみんな。コメント欄に『プロギルド』のマーク付いてる人がいるよ。えーっと……『行政から出るボスの討伐報酬のはした金で、わざわざ水元の活性化エリアに入るのは初心者か、自殺願望のあるただの馬鹿。時給換算で大赤字だぞ』だって!」
ドローンの周囲を飛ぶチャット欄には、それを見た一般視聴者たちからも、不安と冷やかしの声が混じり始める。
『あー、やっぱりプロはスルーなんだ』
『水元公園の三層、魔素ノイズがひどくて最新のデバイスでも同期エラーを起こすって有名だもんな』
『レトロニキ、赤字だってさww 引くなら今のうちだぞ』
「……時給、か。あいつらには、この世界の鼓動が全部『数字』に見えてるのか」
律は歩みを止めず、無造作にカセットの蓋をパチンと鳴らした。
彼が見据える先からは、行き場を失った魔素が陽炎のように立ち上り、周囲の空間を物理的に歪ませている。その余波で、陽葵が掲げている最新型スマホの画面にも、チリチリとノイズが走り始めた。
「いい? プロの皆さーん! 昨日も言ったことだけど、あんたたちが『効率』とか言ってこいつら《ボス》を放置し続けるせいでね、柴又のおじいちゃんのテレビには砂嵐が映るし、補聴器はハウリング起こすし、りっちゃんとうちの店にも影響が出て大変なんだからね!」
陽葵がドローンに向かって、挑発的にあっかんべーをしてみせる。
「それを『赤字』の一言で片付けないのが、江戸川の――『お食事処まきむら』と『冴羽時計店』のプライドなの! プロが逃げ出す『採算度外視』のボス戦を、お安く、確実に、ご近所迷惑の解消がてらぶちのめす! それが私たちの江戸川スタイルなんだから! さあ、りっちゃん。街中のノイズを全部吹き飛ばしちゃおう!」
『陽葵ちゃん、お馴染みのマジギレ口上www』
『昨日に引き続き怒る理由が生活に直結しすぎてて好き』
『プロが時給計算でマウント取ってきた瞬間に、おじいちゃんの補聴器(物理)で殴り返すの最高にロックだろww』
『時計屋と定食屋の清掃活動(物理)か、熱いじゃん……!』
「……陽葵。機材がイカれる前に終わらせるぞ。――ノイズが激しいってことは、それだけ魔素が溜まってるってことだ」
プロたちが「故障のリスク」として避けるその激しい魔素の乱れは、律にとって最高にドライブ感のあるディストーションに過ぎなかった。
「……ここの『ダム』は、今ここで俺たちが壊す」
不気味に歪む魔素の奔流が塞ぐ三層の門へと、二人は迷わず足を踏み入れた。
◆
三層『メタセコイアの巨塔』。そこは、これまでの階層とは一線を画す「植物の暴走」が支配する領域だった。
二人が足を踏み入れた瞬間、足元から「グチャリ」と沈み込むような、それでいて反発力のある奇妙な感触が伝わる。
「……うわっ、何これ。苔?」
「ああ。不浄の緑絨毯。一部は意志を持って獲物を絡め取る個体だ。強引に引き剥がせ、陽葵。もたつくと肥料にされるぞ」
陽葵が足を上げた瞬間、粘着質の苔が糸を引いて食らいつく。それを強引に振り切りながら進む彼女の視界を、空飛ぶ凶器が遮った。
「――っ、ドラゴン・フライ!」
全長五メートル以上。自動車ほどのサイズがある、金属光沢を放つ巨大トンボが三体。規則的な巡回コースを描いていた彼らが、侵入者の熱源に反応して急降下してくる。さらには木の陰から、十メートルに及ぶ『飛びムカデ』が鎌のような脚を無数に広げて滑空してきた。
濃密な魔素に狂った魔物たちは、互いに牙を剥き出し、獲物を奪い合うようにして一斉に襲いかかる――が、その狂乱ゆえに空中でもつれ合い、互いに噛み合いながら墜落していった。
「……カオスだね。ねえりっちゃん、これ真っ当に相手してたらボスに行く前に日が暮れちゃうよ!」
陽葵の言う通りだった。
周囲の巨木からは『イビル・ツリー』が魔力の蔦を伸ばし、マングローブ型の根っこが捕食者の口のように蠢いている。近づかなければ無害とはいえ、毒をまき散らすマンドラゴラや百以上の群れで襲い掛かるキラービーの巣もある。一度刺激すればこの階層すべてが敵に回るだろう。
「……ああ。寄り道は終わりだ。ここからは最短距離、ボスの首まで一直線に駆け抜ける」
律はホルダーから、今日の本命となる一本を取り出した。
ラベルには『蒼穹の追跡者・碧き水の星へ’85~87MIX』。
律が再生ボタンを深く押し込み、ボリュームノブを『9』までひねり上げる。
【出力270%:相対機動音界――『蒼穹の追跡者』展開】
直後、三層の景色が「変質」した。
二層のラストで途切れていた配信電波が、爆発的な出力によって強制復旧した瞬間。
『――っ!?』
画面の向こうで固唾を呑んで待っていた数万人の視聴者たちは、一斉に息を呑んだ。
魔素で濁っていた緑の森が、一瞬にして「80年代の宇宙世紀アニメ」のような、パキッとしたコントラストのセル画調へと強制上書きされたのだ。
陽葵の防護服の影はくっきりとしたアニメ特有の二階調になり、メタセコイアの葉に反射する光はどこか懐かしい透過光のような輝きを放つ。
都会的で洗練されたシンセポップのイントロが、空間を切り裂くように鳴り響いた。
――キィィィンッ!
陽葵の防護服のラインが蛍光ブルーに発光し、背負った『ひまわり壱号』の排気口からは、まるで機動兵器のバーニアのような蒼い熱線が噴き出す。
「えっ、体が……軽い!? りっちゃん、これ!」
陽葵が地を蹴った瞬間、それは「走る」という動作を超えた。
足元の苔や泥を完全に無視し、重力と摩擦の慣性法則を置き去りにした「ホバー滑走」へと機動が強制上書きされたのだ。
「陽葵、速度を落とすな。風を切れ、その先にある未来を掴み取れ!」
「了解っ! いっけえぇぇぇ!!」
陽葵は、襲いかかるイビル・ツリーの根を紙一重のホバーダッシュで回避し、空中のドラゴン・フライや飛びムカデをあえて「釣り」ながら加速する。
三体、五体、十体。
動くものなら同族だろうと喰らい合う、水元特有の狂暴な魔物たちが、互いに体をぶつけ、火花を散らしながら、律たちの後を脇目も振らずに追ってくる。
引き離しすぎず、かといって喰らいつかれもしない。音楽のテンポと完全に同期した絶妙な距離感を保ちながら、陽葵は狂暴な羽音の群れを「牽引」していく。
背後に巨大な「魔物の嵐」を従え、その最前線をホバーで滑走する姿は、まさに戦場を翔ける「青い閃光」。
「うおぉぉぉ! 速いっ、速すぎるんだけどこれぇ!」
陽葵の叫びと共に視界が拓ける。
三層の最深部。そこには池のほとりに鎮座する、この迷宮の心臓部があった。
「――いた。三層の主、『刃の枝垂柳』」
天を突くような巨大な柳。
だがその枝の一本一本は、柔軟な鞭であると同時に、触れるものすべてを細切れにする、文字通りの「処刑刃」だった。
<シャアァァッ!!>
律たちを追ってきた魔物の群れが、ボスの縄張りに侵入した瞬間に反応が遅れる。
刃の枝垂柳の無数の枝が、閃光のような速度で振り下ろされた。
――ザシュッ、ザシュザシュザシュゥッ!!
装甲車のような多重構造の甲殻を持ってい巨大な魔物たち――ドラゴン・フライと飛びムカデが、悲鳴を上げる間もなく、空中で肉片へと変えられた。
「……っ、うそ、一瞬で!?」
陽葵がホバーを急停止させる。
先ほどまでのホバーダッシュの勢いのまま突っ込もうとするが、その鼻先を一本の枝が掠めた。ただの枝打ちではない。空間を「面」で切り裂くような超高速の弾幕――ボスの周囲には、これまでの魔物とは格の違う、圧倒的なまでの「死の弾幕」が展開されていた。
「バフが効いてて回避が精一杯……!? りっちゃん、こいつヤバいって、懐に入れない!」
陽葵が叫ぶ。彼女の『ひまわり壱号』は重打撃武器だ。弾幕を掻い潜り、一撃粉砕の距離まで近づかなければ勝機はない。
その絶望的な弾幕の嵐を前にして、しかし背後に立つ律は、恐ろしいほど冷静に歩みを進めていた。
「陽葵。思考を捨てろ。鼓動を磁気テープの回転に預けろ」
頬をかすめる風が刃の風圧でピリピリと震える中、律は歩きながら、プレーヤーの停止ボタンを叩いた。
――ガチャリ。
疾走していたA面のシンセポップが止まり、世界のホバー加速がフッと解ける。
その瞬間、エリアの魔素を中和していた「防壁」が完全に消失した。
プロギルドが「最新デバイスでも同期エラーを起こす」と言い捨てた、三層の狂暴な魔素ノイズが津波のように押し寄せる。
「あ――」
陽葵が声を上げるより早く、彼女の掲げていた最新型スマホの画面が激しく明滅し、完全にブラックアウトした。
同時に、上空を飛んでいた配信ドローンも、内部の電子基板を魔素に焼き切られたかのようにシステムが完全沈黙。
――ボトォッ!
推進力を失ったドローンが、不浄の苔むす泥の中へと無様に落下する。
画面の向こう、数万人の視聴者たちの画面には【配信が切断されました。再接続をお待ちください】という無機質なエラーメッセージだけが残された。
防壁の消えた戦場に、ボスが放つ無数の刃が空気を切り裂く「死の暴風音」だけが、現実の質量を持って迫る。
だが、律の指先だけは精密時計の歯車を組む時のようにブレず、完全に水平を保っていた。
パカッ、と小気味よい音を立てて蓋が開く。
まだ熱を持ったテープをつまみ、空間の暴風をいなすように流れる手捌きで反転させる。カシャッ、とケースに収まるプラスチックの確かな手応え。
A面の『蒼穹の追跡者』から、B面へ――。さらに深く、さらに鋭く、刻をこえて真実を見抜くための旋律。
刃の嵐が目の前に迫る中、一瞬の静寂。
「……カセットに命を吹き込め。ここからは、瞬きさえもスローに見えるはずだ」
律がカセットプレイヤーの再生ボタンを――ガコンッ!と深く叩き込んだ。
墜落しかけていたドローンが、ネオンブルーの魔力波に押し上げられるようにフワリと浮上し、ノイズの晴れ渡った最高画質の映像でその「奇跡」を映し出す。
幾筋もの鋭烈な透過光のラインが空間をクロスし、激しいディストーションの闇を払うように、世界の色彩が深い宇宙の紺碧へと染め上げられていく。
その静謐なリズムと同期するように、陽葵の視界の中で、狂暴に吹き荒れていた柳の刃が、まるで重力を失った深宇宙の瓦礫のように、一本一本が光の軌道となって美しく速度を落とし始める――。




