第11話 ひまわり弐号
「川千庵」での美味なる余韻を連れて、一行は定休日である「お食事処まきむら」へと移動していた。
コンロの火も落ち、客たちの喧騒もない静かな空間。だが、大きなテーブルには冴羽家と槇村家の面々が揃い、ベテランアルバイトの麻生香澄もすっかり馴染んで座を囲んでいる。気の置けない身内だけの空間になったことで、大人たちの酒も、子供たちの会話も、先ほどより一段とリラックスした熱を帯びていた。
女性陣の視線は、陽葵の最新タブレットの画面に釘付けになっている。再生されているのは、陽葵の弟・陸が神編集を施した二人のライブ配信のアーカイブ動画だ。
「やっぱり何度見ても良いわねぇ」
陽葵の母・結衣が、ビールグラスを置いて嬉しそうに目を細めた。
「リバーサイドの時の熱血な感じ、二人とも本当に格好良かった。特に律くん、普段は物静かなのに、あの時は男らしくて凄く素敵だったわよ」
「本当、息子のあんな雄々しい声、初めて聞いたわ」
律の母・佳代も、お茶を啜りながらおっとりと微笑む。
「水元のボス戦の『碧き水の星へ』だっけ? 初めて聞いた曲だけど、お母さんとても気に入っちゃった。律のレトロ趣味も、なかなか良いものね」
「――私はやっぱり、時の番人戦が好きだったなぁ」
香澄がテキパキと全員に温かいお茶を配りながら、熱っぽく身を乗り出した。
「スタイル抜群の律くんが、ちょい悪な大人の魅力を全開にしてジャズに乗るんですよ? お顔は全然似てないのに、画面越しの佇まいが完全に伝説の大怪盗そのもので……もう、休憩時間なのに心臓がバクバクしちゃいました」
そんな絶賛の嵐に、当の陽葵は上機嫌で同意する。
「戦ってる時は必死で余裕なかったけど、こうして動画で見るとさ、私たち結構サマになってるよね!」
「調子に乗るな」
隣に座る律は、熱いお茶を渋そうに啜りながらボソリと呟いた。脳裏に蘇る「魂のシンクロ」時の自分のセリフを思い出し、今更ながら顔から火を噴き出しそうだった。
一方、テーブルの反対側では、男たちが異なる熱量で盛り上がっていた。
「しかし、最近の探索者事情ってのは、どうにも脆弱でいけねえな」
元中堅探索者の秀之が、太い腕を組んで鼻を鳴らす。彼は黎明期から電子制御を一切持たない純粋な剣盾スタイルで戦ってきた武闘派だ。
「今の連中が使ってる魔導デバイス武器ってのは、ボタン一つで自動補正が効いて便利なんだろうが、魔素ノイズ一発でただの鉄屑になる。そんな不安定な道具に命を預けるなんて、俺の現役時代じゃ考えられんぞ」
「いや、秀さんが現役の頃よりは遥かに進歩してるぞ」
律の父・賢治が、無骨な手でビールグラスを弄びながら、重厚な声で静かに応じた。
「だが、ブラックボックスが多すぎる。それに、強引なバイパス改造が利かない」
「わしら職人は、機械式ならゼンマイのバネ一個から削り出してどうとでも直せるが、デジタルな電子式は専門外だからな」
祖父の宗治が、楽しそうに陸の頭を大きな手でワシャワシャと撫で回した。
「だが、今回はこの坊主が電子制御の部分を完璧に引き受けてくれた。大したもんだ。本当に助かったぞ」
「へへ、それほどでもないよ。じいちゃんたちの図面が正確だからだよ」
小学生の陸は、宗治に褒められて顔を真っ赤にしながらも、嬉しさを隠しきれずに照れ笑いを浮かべている。
そんな大人たちの会話を聞きながら、律は心の中で苦笑していた。自分も含めて、この席にいる大人のほとんどがアナログ寄りの人間なのだ。だが、その歪な技術の組み合わせこそが、自分たちの最大の強みだった。
「ありがとう、陸」
律は隣の陸に向き直り、短く、だが真摯に頭を下げた。
「ノイズ補正と排熱管理、完璧だった。おかげで新装備が組めた」
「任せてよ、律兄ちゃん!」
陸が元気に胸を叩いたのを見て、秀之が「よし、じゃあ約束のブツの引き渡しだ」と、お座敷の隅に置いてあった頑丈な長方形のケースをテーブルに載せた。
パチン、と重々しい金具が外され、蓋が開かれる。
「うわぁ……!!」
陽葵が思わず息を呑んだ。
そこに収まっていたのは、鈍い銀色に輝く新たな愛機――『超振動重機:ひまわり弐号』だった。
壱号にあったスタイリッシュな折りたたみ機構は完全にオミットされ、律の爆音バフを一〇〇パーセント受け止めるための、衝撃を均等に逃がす職人泣かせの『一体鍛造』構造。今まで以上に凶悪な風格を漂わせているが、最先端の軽量合金と、陸が組み込んだ特殊な電子排気効率により、総重量は壱号よりもわずかに軽くなっている。
「折りたためなくなった分、頑丈さは倍以上だ。余計な可動部を一切排除した『一本の鉄塊』だからな。お前らが水元でやったようなバカげた音圧の振動を、どこにも逃がさずそのまま衝撃波に化けさせられる。――その分、お値段も結構な額になっちまったが、大丈夫なんだろうな?」
秀之の問いに、陽葵が最新スマホを操作しながら胸を張る。
「もちろんだよ! 今回の水元の換金、いつもの何倍にもなったんだから! だってさ、あの三層はマジで地獄だったんだよ? 視界を塞ぐウィスプの自爆に、足元を奪う苔。空を見上げれば五メートルのトンボと十メートルのムカデが共食いしてて……あの『刃の枝垂柳』の弾幕なんて、壱号じゃ手数が全然足りなかったもん」
命がけの対価として手に入れた希少な素材や魔石。手付かずの財宝は、ギルドのアプリを通じて一瞬で大金へと姿を変えていた。
「素材の換金で四桁万円。……で、役所からの討伐報酬が、一五万円」
スマホの明細画面を見た香澄が、クスッと笑う。
「プロが『時給大赤字』って捨て台詞を吐いてスルーするわけです。お役所の『一応、予算は出しました』っていうアリバイ作りの据え置き報酬じゃ、大手は誰も命を張りませんよね」
「でも、私達にとっては大金だよ!」
陽葵が端末を親指で弾く。
「というわけで、この『ひまわり弐号』の購入と改造費、二人の防具のメンテナンス代、全部ここから一括で払っちゃうよ! 実家の経費としてアプリで送金しちゃうね」
ピッ、と小気味良い電子音が響き、相場通りの金額が綺麗に送金されていく。
大金を手にしても、誰も浮足立つことはない。これこそが、下町の職人たちと、地域密着型E級探索者のまったりとしたリアルだった。
陽葵は真新しい『ひまわり弐号』の柄を握り、その確かな手応えに笑みを浮かべる。律もまた、腰のホルダーに収まった愛機のボリュームノブに触れ、いつでも「演奏」ができることを確認した。
二人の戦闘準備は、こののどかな団らんの中で完全に整っていた。
そのタイミングを見計らったかのように――。
チリチリ……チリチリ……ジジッ。
律の腰につけたホルダーの中で、プレーヤーの磁気ヘッドが再び不気味な低周波の地鳴りを拾い始める。
同時に、座敷にいた全員のスマートフォンが、鼓膜を突き刺すようなデジタル特有の甲高い警告音を一斉に鳴り響かせた。
『――警告。新鎌ヶ谷駅前ダンジョンにて、想定を超える魔素の流入が発生。大規模な停電の可能性があります。不要な外出を控えてお過ごしください。並びに、近隣で活動が可能な探索者には、人命救助の協力をお願いします――』
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
新鎌ヶ谷。それは、さっき川千庵で「時給三倍」と自分たちを嘲笑っていったプロたちが向かった、あの安全なはずの温室だ。
「……始まったか」
律が静謐な目で遠くの空を見つめる。水元公園の「大ダム」が崩壊したことで、行き場を失った天文学的な魔素の濁流が、地下の霊脈を通って、最も抵抗の少ない新鎌ヶ谷へ一気に噴き出したのだ。
「りっちゃん!」
陽葵が『ひまわり弐号』を担ぎ、弾けるような動きで立ち上がった。その瞳には、すでに一切の迷いはない。
「行こう。電車が止まるかもしれない。それなら――」
「おいおい、待て待て。お前らだけで走っていく気か?」
秀之が苦笑しながら、お湯割りのグラスをバシッとテーブルに置いた。自分と賢治のグラスはすでに空だ。
「ちっ、こんな時に限って良い酒が入ってやがる。賢治、お前も完全にアウトだな?」
「ああ、とてもじゃないがハンドルは握れん」
腕を組んで無骨に首を振る賢治の横から、スッと一本の鍵が差し出された。
ジャラリ、と金属音を立てたのは、冴羽時計店のハイエースのキーだ。それを大きな手で弄んでいたのは、満面の笑みを浮かべた宗治だった。
「がっはは! 年寄りをナメるなよ。わしはさっきからお茶しか飲んどらんわ!」
宗治は湯呑みを乾いた音を立てて置くと、キリッと職人の鋭い眼光を覗かせた。
「あのハイエースは、わしがゼンマイ並みにキッチリ整備しとる。電子制御なんぞに頼らん、完全アナログの化け物マシンだ。全気筒キャブレター同調、魔素ノイズが何ぼのもんじゃい! 新鎌ヶ谷まで一瞬で送り届けてやるわっ!」
「宗治じいちゃん……」
陸が目を輝かせる中、秀之が二人の若い探索者の背中を大きな手で力強く叩いた。
「おやっさん、頼んます。――律、陽葵、いまさら無茶をするなと言っても無駄だろう。無理無謀を乗り越えて、必ず帰ってこい」
「……行ってきます」
「任せといて!」
電子の警報が街を引き裂く中、柴又帝釈天の参道に、およそ二十一世紀の車らしからぬ「猛々しい爆音」が鳴り響いた。幾重にも重なる吸気音がハチの巣のように空気を震わせる。
電子制御チップを一切持たない、純粋なガソリンの爆発と鉄の噛み合いだけで走る、完全アナログの咆哮。新鎌ヶ谷から押し寄せる魔素の電磁嵐を完全に無効化しながら、真っ白なボディに『冴羽時計店』と書かれたバンが、夕闇に染まり始めた参道を、激しい駆動音を響かせて発進する。ハンドルを握る宗治の横顔は、誰よりも熱血だ。
目指すは、電子のインフラが死に絶え、阿鼻叫喚の地獄へと変貌しつつある新鎌ヶ谷。
「柴又の掃除屋」が圧倒的な逆流の中へと車輪を滑り込ませた。




