第10話 新鎌ヶ谷の温室たち
新鎌ヶ谷駅前ダンジョンの一階層。
駅前ロータリーにぽっかりと開いた次元の隙間から一歩入れば、そこは外界と隔絶された『テナントエリア』だ。
白を基調としたピカピカのコンクリート床の上で、中堅ギルド所属のC級ハンター・遠藤は、自撮り用のドローンカメラに向かって軽快に笑いかけていた。
「――ってなわけでね。ご覧の通り、新鎌ヶ谷はマジでタイパ最強。今カメラに映ってんのが、うちのチームのルーキーたちね。高校出たばっかだからまだG級とかF級のひよっこだけど、一日五、六時間、月二十日かそこらで年収五百万は手堅いわけ。うちのギルドは維持費の天引きも五%だけだから、残りは全部純利益。どっかの泥臭いドブ板の掃除屋が年間いくらで泥をすすってるかは知らねえが、こっちは温室でぬくぬくライフよ。ちなみに俺たちC級になると、千五百万は軽く超えるからね?」
遠藤の背後では、ハンターたちが動画を見たり、スマホ片手に別ゲーを弄りながら、慣れた手つきで最新魔導デバイスを操作している。
前方からノロノロと歩いてくるのは、アパレルショップのマネキンに似た木偶人形――『マナ・マネキン』の群れだ。
「ぶっちゃけ動画映えはしねえよ? でもさ、自動照準をオンにしときゃ、画面見なくても魔法弾が必中するわけ。ほら、ドカンと。ノーリスク、超低経費で稼げる最高のカモ。――っと、今ならうちのチーム、メンバー募集中だぜ? タイパ重視の賢い奴、待ってます」
配信のチャット欄は『新鎌ヶ谷やっぱり美味すぎるなw』『新人でも500万とかマジかよ』『C級は1500万オーバーとか夢あるわ』と羨望のコメントで埋まっていく。画面上の数字は、彼らの言葉通り完璧な「時間対効果」を証明していた。
――だが、その調和は、本当にわずかな綻びから崩れ始めた。
「……あれ? おい、なんか弾道ブレてね?」
「あ? 設定ミスったんじゃねえの?」
遠藤は首を傾げた。だが、オートエイムの緑色に光るレティクルは、マネキンの胸元でチカチカと不規則に明滅を繰り返している。引き金を引いても放たれた光弾は細く、標的の手前で不自然に霧散した。――こんなデバイスの不調は、一度も経験がない。
『なぁ、なんか魔素のノイズ多くないか?』
『画面が一瞬砂嵐になったぞ。もしかして……』
『おいこれヤバいだろ、オーバーロードの時と同じ現象だぞ』
数千人の視聴者の中には、わずかな異変から最悪の可能性を察知し、警告を書き込む者もいた。だが、空間のあちこちでパチパチと静電気のような音が鳴り響き始めていることに、温室育ちのプロたちはまだ気が付かない。綺麗なコンクリートの底から、活性化した魔素が急速にせり上がってきている。
「おい、遠藤。なんか、急に湧きが良くなってないか?」
「ッ、……バカ、カメラ回ってんだよ! ――げ、激アツじゃん、これぞボーナスタイムだぜ!」
遠藤は引きつる笑みをカメラに向けながらも、裏では冷や汗を流していた。明らかにマナ・マネキンが湧くスピードが速くなっている。
温室育ちとはいえ、彼らもC級のプロだ。デバイスのオート補正がおかしくなったことを感じると、即座に設定画面を開いてスワイプ。精度や威力の安定を最初から捨てた『オーバークロック・乱射スクリプト』へ強引に書き換えた。
「ら、来いよオラァ! 効率二倍、いや三倍だッ!」
強制起動したプログラムが銃身を震わせ、排熱の限界を超えた青白い火花を散らしながら、激しい光弾の嵐がマナ・マネキンの群れを次々と粉砕していく。
拾う間もなく足元を埋め尽くしていく魔石。
威力が安定しないこともあってか、いつもより手応えが硬く感じる。トリガーを引く指に伝わる反動と共に、じわじわと銃型デバイスのフレームが熱を帯びていった。
今までにない稼ぎに対する高揚感と、背筋を這い上がる得体の知れない悪寒。その奇妙な矛盾に遠藤が思考を乗っ取られかけた、まさにその瞬間だった。
<ギ、ギギギギギギギギッ!!>
生き残っていた、そして床のコンクリートを割って次々と這い出てきた『マナ・マネキン』たちが、逃げ道を塞ぐように一斉にその場に両手をついた。
泥濁りの生魔素を過剰摂取し、プラスチックの肌にどす黒い魔力脈を浮き上がらせながら、蜘蛛のような姿勢に変異していく。顔のないプラスチックの頭部をガチガチと激しく震わせ、壁や天井を爆走する。コマ送り、あるいは逆再生の映像さながらの怪異が、アパレルエリアのショーウィンドウを突き破り、おぞましい密度で這い寄ってきた。
「うおっ!? 速すぎだろ!」
「クソっ、魔力配分を調整できねぇぞ!」
散弾状に放たれる光の圧で、迫り来るマナ・マネキンたちを数体まとめて粉砕する。
精度を捨てた乱射で、最初のうちだけは何とか形を保てていた。現に、倒せば倒すほどドロップの数字は跳ね上がっていく。
だが、決定的な破滅はそこからだった。
一体倒せば、奥の闇から三体。三体倒せば、通気口や天井の隙間から十体。
なぜ、安全無比なはずの温室が、これほどの災厄に見舞われたのか。
デジタルの最適解に溺れた彼らは知る由もない。この世界の地脈とは、あっちの蛇口を閉めればこっちが破裂する歪な風船だ。
周辺エリアのボスたちが短期間で討伐され、行き場を失った莫大な魔素。それが地脈の底で噴出寸前の高圧ガスのように膨れ上がっていたところへ、江戸川の掃除屋が水元公園の『大ダム』を破壊した。
決壊したダムから溢れ出た天文学的な魔素は、すでに受け皿を失っており――逃げ場を求めて、この安全な温室へと逆流したのだ。
結果は明白だった。
これまで奇跡的な「詰まり」によって一度も魔素のサイクルが回ってこなかった、最も抵抗の少ない温室――新鎌ヶ谷駅前ダンジョンへ濁流の如く押し寄せたのだ。
「魔素ノイズでデバイスが壊れる」と他人の戦いを冷笑していたツケは、最悪の形となって返ってくる。
許容量を遥かに超えた奔流が容赦なく注ぎ込まれ、モンスターを無限に膨れ上がらせていく。
デバイスの画面は激しいノイズで覆われ、ついに湧き上がる速度が彼らの討伐スピードを――完全に上回った。
「遠藤! 魔力が安全値を割るぞ!」
遠藤が狂ったようにトリガーを引くが、銃型デバイスの銃身はすでに排熱が追いつかず、異常な熱を帯びていた。
その時、液晶画面に冷酷なシステムメッセージがポップアップする。
――『ERROR:魔素ノイズ過多により同期切断。システムを強制終了します』
視界をアシストしていた緑色の照準線がグニャリと歪み、エラーコードの羅列と共に画面が完全にブラックアウトする。
画面が暗転し、ただの静かなプラスチックの塊と化した最新デバイス。
「は……? 嘘だろ、おい! 動け! 動けよッ!!」
魔力の収束も、弾道の計算も、すべてをAIの自動補正に丸投げしていた彼らは、同期を奪われた瞬間、自分の魔力をどうやって引き金に乗せるのか、その感覚すら思い出せない。思考の補助輪を奪われたプロたちは、引き金の引き方すら忘れたように硬直した。
<ギギギギッ!>
「うわああああっ! 来るな、来ないでくれ!!」
アパレルエリアのガラスが派手に砕け散り、逃げ惑うプロたちの悲鳴が配信ドローンのマイクに生々しく吹き込まれる。チャット欄はすでに阿鼻叫喚の弾幕で埋め尽くされ、配信の画面そのものが、赤色の警告で激しく明滅し始めた。
――新鎌ヶ谷駅前ダンジョン、完全崩壊。
一層の『テナントエリア』から溢れ出した魔素が次元の狭間を越えて、新鎌ヶ谷駅前のロータリーへと逆流していく。
その段階になって、ようやく。
あまりにも遅すぎる「異常事態通知」の重苦しいアラームが、近隣一帯のスマートフォンを一斉に鳴り響かせた。
街中に鳴り渡る、電子の警告音。
だが、その悲鳴のような不協和音を、はるか遠くから、路面を揺らして近づいてくる「武骨な重低音」が、静かに、しかし圧倒的な質量で威嚇し始めていた。




