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令和のダンジョンを、昭和の魂(メロディ)でブチ抜く 〜MusicMasterの英雄譚〜  作者: 渡部安恵


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第9話 木曜日の門前町と特上鰻の残響

 柴又帝釈天の参道に、どこか懐かしく、そして抗いようもなく食欲をそそる炭火に炙られたタレの匂いが漂っている。

 木曜日。「お食事処まきむら」と「冴羽時計店」が共に定休日を迎えるこの日、昼のピークを過ぎた「川千庵かせんあん」の広いお座敷には、両家の面々が勢揃いしていた。いつも店を手伝ってくれているベテランアルバイトの麻生香澄あそうかすみも、今日ばかりは仕事の手を止め、家族同然のような絶妙な馴染み方でその大所帯の席に収まっていた。


「お待たせいたしました。特上鰻重になります」


 仲居さんがお重を並べた瞬間、お座敷の興奮は最高潮に達した。


「うわあああ……! これ、これだよこれ! りっちゃん、マジで特上! ご飯が見えないくらい敷き詰められてる!」


 陽葵ひまりが目をキラキラと輝かせ、お重の蓋を開けた瞬間の蒸気と香ばしい匂いを全身で浴びている。


「落ち着け陽葵、鰻は逃げない。……いただきます」

「いただきまーすっ!!」


 陽葵が割り箸を割り、ふっくらとした身をご飯ごと豪快に口へ運ぶ。その瞬間、あまりの美味さに「んんーっ!」と声を漏らして身悶えした。タレの染みたご飯を一心不乱にかき込むその姿は、三層の主を両断したハンターとはとても思えない。

 その隣では、弟のりくが「姉ちゃんがっつきすぎ。久しぶりの特上なんだからもう少し味わいなよ」と呆れつつも、自分も嬉しそうに鰻に箸を伸ばしていた。


 そんな子供たちの様子を眺めながら、陽葵の父・秀之ひでゆきがビールグラスを傾けニヤリと笑った。


「しかしお前ら、水元の三層ボスを文字通り『一撃』だったな。仕込みをしながら香澄ちゃんにスマホで見せてもらったが、心臓が止まるかと思ったぞ」

「本当ですよ! 休憩中だったのに、興奮し過ぎて全然休憩した気がしなかったですもん」


 香澄が自分の湯飲みを両手で持ちながら、絶妙なタイミングで会話に相槌を打つ。

 その向かいでは、陽葵の母・結衣ゆいが「あの子たちが無事で何よりよ」とおっとり笑い、律の器に自慢の肝吸いを寄せていた。


「律くんもいっぱい食べなさい。陽葵のブレーキ役、いつも本当にありがとうね」

「……いえ。あれは機材の限界まで出力を引き上げた結果で、再現性は極めて低いです」


 律が山椒を軽く振りながら冷静に答えると、秀之の目が中堅探索者だった頃の鋭い光を帯びた。


「いや、再現性云々の話じゃねえ。お前、あの荒れ狂う魔素のノイズの中で、陽葵のスキルと自分の流してる魔力を、カセットの音圧だけで無理やり共鳴シンクロさせてただろ。今の最新魔導デバイスの自動補正オートじゃ、あのノイズを感知した時点で安全装置セーフティが働いて出力がゼロになる。お前のアナログな魔力制御だからこそ通せる『力技』だ。あんな真似、走りながらエンジンの分解と再調整を同時にやってるようなもんだぞ」


 秀之の熱弁に、テーブルの端で鰻を美味そうに咀嚼していた律の祖父・宗治むねはるが、湯呑みを置いて笑った。


「デジタルは計算外のノイズを『エラー』として撥ねるが、アナログの磁気テープは良くも悪くも『情報』として丸ごと磁粉に焼き付けちまうからな。律の野郎は、その破滅寸前の爆音を、指先の感覚だけで演奏バフに変えやがった。そのアナログを維持する側の苦労も知らんで、よく言うわ。なぁ、賢治?」


 話を振られた律の父・賢治は、律と同じ大きな体躯を畳みながら、無言でビールを喉に流し込んだ。そして、重厚な声で一言。


「……筐体きょうたいが歪んでたぞ」

「……悪い。B面のサビの負荷に、トランスが負けた」


 それだけで通じるのが冴羽家の男たちの空気だった。律が神妙に頭を下げると宗治が楽しそうに引き継ぐ。


「そうさ、お前が戦場から持って帰ってきたあのプレーヤー、ヘッドの軸が完全にズレて、中が魔素の熱でひん曲がってた。若いくせに妙に落ち着いていて魂の枯れたような孫だと思ってたが、意外にも無茶をやりおる。パーツのクリーニングと出力の微調整、職人わしらの腕が一流でなけりゃ一発でオシャカだったぞ」

「律、配信を見ていて思ったけど。あんたは昔からレトロなものが好きよね」


 お重を綺麗に食べ終えた律の母・佳代かよが、お茶を啜りながらおっとりと微笑む。その手元にあるスマホの画面には、配信の切り抜き動画が再生されていた。


「あの配信の後ろで流れてた懐かしい感じの曲……なんだかロボットの戦闘シーンみたいで格好良かったわよ。でも律、『今の俺たちの魂は、ときを超えてシンクロしているッ!』って、あんた一体誰と戦ってたの?」

「ごほっ、ごほ……っ!?」


 律が思わず肝吸いを吹き出しそうになり、激しく咳き込む。

「り、律くん大丈夫!?」と慌てて背中をさする結衣の横で、当の律は、割り箸を握りしめたまま耳まで真っ赤に染め上げ、彫刻のように完全に凝固していた。


 前世の高潔な宇宙世紀のセリフを、よりによって実の母親に、笑顔で音読される。十八年の人生に大人の精神を宿した彼にとって、これ以上の公開処刑は存在しなかった。


 それを見た陽葵が、口いっぱいに鰻を頬張ったまま勝ち誇ったように笑った。


「ぶははは! ほらーっ! 佳代おばさんもそこ突っ込むよね!? 『ニュータイプだかオールドタイプだかは知らんが』とかさぁ、りっちゃん完全に主人公になりきってて超ウケるんですけど!」

「お前だって『遊びでやってるんじゃないんだよぉ!』って、めちゃくちゃ絶叫してただろ」


 すかさず律が真っ赤な顔のまま鋭くツッコみ返すと、その瞬間、お座敷の空気が一瞬だけ静まり――次の瞬間、陸と香澄が同時に吹き出した。

 陸にスマホを向けられ、香澄にお腹を抱えて笑われ、今度は陽葵が顔を真っ赤にしてうつむいた。


「あ、あ、あれは、場の空気っていうか……魂が共鳴したんだから仕方ないじゃんっ! もう陸、動画撮るの止めなってばー!」

「二人とも息の合ったいい掛け合いだったよ。今のも奇麗に切り抜いてアップしたいくらい」


 そんな二人を囲んで、父親たちも、母親たちも、みんなが声を上げて笑う。

 どんなに激しい戦闘を繰り広げようが、結局のところ、二人の原動力は「下町の日常」なのだ。


 炭火の温もりと、タレの甘い匂い。そして家族たちの飾らない笑い声。

 世界中がどれだけ彼らの配信に熱狂しようとも、ここが、泥臭い江戸川の掃除屋たちの、かけがえのないホームグラウンドだった。


 ◆


 ――その、あたたかな団らんを切り裂くように、無遠慮な足音が近づいてきた。


「E級の『江戸川の掃除屋』さんよぉ。配信見たぜ、危ねえ曲芸だったな。あんな効率の悪い泥沼で命張るなんてバカのすることだ」


 声をかけてきたのは、同じ川千庵の座敷に居合わせた男たちだった。ピカピカの最新魔導デバイスを身に纏い、いかにも「今風のプロ」といった風体の彼らは、北総線沿線を縄張りとする中堅クランのC級ハンターだ。


「俺たちのホーム、『新鎌ヶ谷駅前ダンジョン』なら完全にコントロールされてる。最新デバイスの同期エラーも起きない、最高にスマートな現場だ。うちのギルドにくりゃあ、今の三倍の『時給』で安全に稼がせてやるぜ? 年収千五百万も堅いお仕事だ」


 プロを名乗る男たちの、数字と効率にまみれた挑発。元探索者の秀之の拳に力がこもり、お座敷の空気が一瞬でピリついた。

 だが、運ばれてきた特上鰻重を美しく平らげた律は、お茶をズズッと啜り、冷めた目で彼らを一瞥した。


「時給か。……せっかくの職人の鰻だ。数字を数えながら食うのは、野暮を通り越して生臭くなるな」

「あぁん?」

「あいにく、俺は時計屋だ。狂った秒針を直すのが仕事でね。……温室の時計に用はない。お引き取りを」


 すかさず陽葵も、鰻のタレがついた口元を拭いながら、あっかんべーの追撃を飛ばす。


「そうそう! うちらの邪魔しないで、その『時給三倍のトレンド』とやらに早く行けばいーじゃん!」

「……ふん、時代遅れの掃除屋が。せいぜい地元のドブさらいでもしてろ。俺たちはこれから、新鎌ヶ谷の時間通りにポップする綺麗なダンジョンで、マニュアル通りにサクッと時給稼ぎだ」


 吐き捨てたプロたちは、鼻で笑いながら店を出て行った。


 ◆


 招かれざる客が去り、再び静けさを取り戻した川千庵の店内。

 しかし、律が湯呑みを置いたその時だった。


 チリチリ……チリチリ……。


 律のポケットの中で、一分の狂いもなく組み直されたはずの愛機が、聞いたこともないような重苦しい「低周波の地鳴り(ノイズ)」を拾って不気味に震え始める。


 律がそっと取り出したプレーヤーの窓の中、静止しているはずの磁気テープのリールが、地脈の底からの悲鳴と同期するように、キュル……キュル……と軋んだ音を立てて小刻みに、不吉に逆回転を始めていた。


 アナログの磁気ヘッドだからこそ感知できる、電子回路のフィルターにはかからない純粋な世界の狂い。まるで、見えない巨大な怪物の手が、磁気テープを強引に巻き戻しているかのような。


「……律?」


 秀之が、元探索者としての野生の勘で、律の異変に気づき声を落とした。


「……いえ」


 律は無言で立ち上がり、店のガラス窓から遠くの空を見つめる。


 柴又ののどかな夕暮れの先――プロたちが向かった新鎌ヶ谷の方向の空が、あり得ない密度の「真っ黒な魔素の渦」に染まり始めていた。


 彼らが「安全」と信じて疑わなかった整備されたダンジョン。

 そこは今、水元公園のボスという『ダム』が決壊したことで、行き場を失った膨大な魔素の奔流が、地下の霊脈を伝って一気に噴き出す『最も抵抗の少ない脆弱な出口』へと変貌していた。


 街の灯りが、遠くで一瞬、不吉に明滅した。


 エラーを排除し、マニュアル通りに管理されていた美しい戦場が、皮肉にもその「過剰な整地」ゆえに、侵入したノイズを処理できずに破綻していく。


 街の灯りが、遠くで一瞬、不吉に明滅した。

 デジタルと効率を妄信したプロたちが「安全」と信じて疑わなかった戦場が、今、彼らのデバイスごと全てを飲み込む最悪のディープゾーンへと変貌しようとしていた――。


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