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第58話 『酒場の机上で王都の罠を解除し、疲労と引き換えに極上の酒を煽った話』

騒がしい大衆酒場とは違い、この「錆びた剣亭」の夜は落ち着いているのが常。しかし、今夜は少々、空気が張り詰めておりました。


目の前のテーブルに広げられたのは、一枚の古びた羊皮紙。王都近郊に眠る古代遺跡の精緻な見取り図です。そして私の向かいで直立不動の姿勢をとっているのは、地味な外套を羽織った若者。その外套の下に王都騎士団の制服を着込んでいることなど、私の目にはお見通しです。


「ゴド隊長! アレク団長からの親書であります!」


若者が周囲の目も憚らずに敬礼をビシッと決めました。


「声が大きい。それに、私はとうの昔に引退したしがない斥候ですよ。隊長などと呼ばないでいただきたいものですな、全く」


私がため息をつきながら親書を受け取ると、そこにはかつての部下であるアレクからの泣き言が書き連ねてありました。

なんでも、調査中の古代遺跡で、私がかつて特務分隊の報告書にまとめた「失われた工兵技術」を用いた凶悪な罠が発見されたとのこと。王都のエリート工兵たちでも手も足も出ず、進退窮まっている部隊を救うため、密使と魔道具の<遠話>の石を持たせて私に助けを求めてきたのです。


「お断りしますよ。私は今、この極上の蒸留酒を楽しむのに忙しいのです。現場の指揮は現場の人間が執るべきですな」


私がピートの効いたグラスを傾けて冷たく突き放すと、若者は悲壮な顔で立ち尽くしました。

その時、背後からマーサ殿の冷ややかな声が響きました。


「あら、ゴドさん。王都からの特別報酬が出るのでしたら、今月分のツケと、そのグラスのお酒代、耳を揃えて払っていただけますよね?」


おかみの笑顔の奥にある絶対的な圧に、私は思わずグラスを持つ手を止めました。


「……ふむ。特別顧問料として、この店の最高級の酒と料理を担保にいただけるのであれば、少しばかり知恵を貸してやらんこともありませんな」


私は渋々見取り図を自分の方へ引き寄せ、若者が差し出した<遠話>の石を机に置きました。石の向こう側からは、遠く離れた遺跡の地下で混乱する部隊の喧騒が聞こえてきます。


「静かにしなさい。指揮権はこちらで預かります」


私が低く鋭い声で告げると、石の向こう側が水を打ったように静まり返りました。

私は見取り図の線と記号を睨みつけ、脳内で遺跡の立体構造を瞬時に構築します。かつて私が死線の中で培ってきた、ドワーフの建築力学と工兵知識の全てを稼働させるのです。


「第一層の回廊。三歩進んで、松明を右に振りなさい。左の壁のレバーはダミーです。重量ではなく、熱と影の動きに反応する罠ですからな」


『は、はい! ……なんと、通路が開きました!』


「喜ぶのは早すぎますよ。次の部屋、床のタイルの色が違う部分があるはずです。踏むなとは言いません、むしろ強く踏み抜きなさい。ただし、全員が盾を真上に構えてからね。上部から無数の毒矢が降り注ぐはずです」


石の向こうから、激しい金属音と矢が弾かれる音が響き、直後に歓声が上がりました。

王都の地下の部隊が、辺境の酒場のテーブルの上から発せられる私の言葉通りに動いていく。全く、優秀な部下を持ったはずのアレクも、結局は私に頼りきりですか。情けないものですな。


「第三層の鉄格子ですね。横の石像の口に水を注ぐのです。貴重な薬草水などは使うな、水筒の残り水で十分だ。内部の浮き子が上がり、歯車が噛み合う仕組みです」


私が次々と指示を飛ばす様子を見て、隣で赤ワインを飲んでいたフィス君が面白そうに微笑んでいます。


「君の指揮は本当に鮮やかだねぇ。どんな暗闇に隠された罠も、君の知識の前では完全に白日の下に晒されるようだ。僕の視界までパッと明るく開ける気分さ」


筋肉殿(ガンツ)が骨付き肉を齧りながら大笑いしております。


「へっ、石頭(おやじ)の口先だけで王都のエリートが動くたぁ、傑作だぜ! 斧を振るより頭を使う方がよっぽど疲れるだろうがな!」


数十分の濃密なやり取りの末、石の向こうから「最深部到達、罠の全解除に成功!」という弾んだ声が聞こえました。

目の前の密使は、もはや私を神仏を見るような目で崇め、深々と頭を下げて嵐のように店を去っていきました。


私は見取り図を乱暴に丸め、どっと押し寄せてきた疲労と共に、氷の溶けかかった蒸留酒を一気に煽りました。

脳内で他人の命を預かり、見えない三次元の空間を処理し続けるのは、肉体労働とは別のベクトルでひどく神経をすり減らす作業です。


「二度とごめんですな、こんな割に合わない労働は」


そう毒づきながらも、かつての部下たちが無事に任務を終え、誰一人欠けることなく帰還できることへの安堵感が、胃の奥にじんわりと広がっていくのを感じておりました。

私は空になったグラスをカウンターに置き、無言で新しい最高級の酒を注いでくれたガストン殿に、わずかに頷きました。


「遠き王都で汗をかく愚かな教え子たちと、この極上の酒に乾杯!」


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