第4話 お茶と招待状
「工事を見てくる、ですって」
手紙を覗き込んだリディア嬢が、笑いかけて、途中でやめた。
私は手紙を元のとおりに畳んで、卓の端に置いた。二つの三百枚がどこへ行ったのかは、この手紙にも書かれていなかった。
「お茶、淹れ直してもらいましょうか」
「……ええ。お願い」
侍女が新しいポットを運んできて、湯気の立つカップが二つ並んだ。リディア嬢はさっき取った焼き菓子をまだ手に持っていた。
「焼き菓子、どれがお好きですか」
私が尋ねると、リディア嬢は手の中の一つを見て、それから皿を眺め直した。
「どれが何なのか、先に教えてくださる?」
「こちらが胡桃で、砂糖を控えてあります。隣は乾酪を練り込んだもの。端の白いのは糖衣がけです」
「胡桃、ずいぶんたくさん入ってるのね」
「ひと皿で二十粒です」
「数えたの?」
「料理人が、使った分まで帳面につけているので」
リディア嬢は少し黙ってから、吹き出した。
「粒の数まで?」
手に持っていた一つを食べ終えると、リディア嬢は迷わず糖衣のかかったものを選んだ。私は胡桃のものを取った。
「甘いのが好きなの。前にアドリアン様と行った、南通りの菓子店で、糖衣をもっと足してくださいって頼んだら、店主が目を丸くしていたわ」
「そのお店には、行ったことがありません」
「あら、じゃあ私だけね。あなたは控えめなのがお好き?」
「甘いものは好きなんです。ただ、甘すぎると二つ目が食べられなくて」
「二つ目のために控えめにするの? とても筋が通ってるわ」
感心されるようなことだろうか。けれど、アドリアン様と食事をするときは、二つ目どころか一つ目を選ぶのにも、彼の顔色を見ていた気がする。
「ひとつ食べてみる? 甘すぎたら残していいから」
リディア嬢が糖衣の一つを私の皿に載せた。
ひと口かじると、歯の裏まで甘さが染みた。やはり私には甘すぎた。半分でやめると、リディア嬢は「でしょう」と言って、残りを自分の皿へ引き取った。
そうして菓子の皿が半分ほど空いた頃、リディア嬢が手提げから封筒を出した。
「そうだ、これも見せに来たの」
アドリアン様の家の紋が押された、夜会の招待状だった。私にも同じものが届いている。侍女に頼んで自分の部屋から取ってきてもらい、卓に二通を並べた。
彼が出資者を募るために開く夜会で、日付も会場も同じだった。違うのは時刻だけだった。私の招待状には七時、リディア嬢のものには九時とある。
「九時なんて、お料理がほとんど片づいている時間じゃない」
「どちらのお家との縁も切りたくないから、片方だけ招かないわけにはいかなかったのだと思います」
「それで、顔を合わせないように二時間ずらしたのね」
リディア嬢は九時の文字を指先で叩いた。
「代理人を通して静かに片づけることもできるけれど、あの人、この夜会で新しくお金を集めるつもりなのよ」
「私たちの六百枚と同じように、ですね」
リディア嬢は頷き、それから急に目を輝かせた。
「だったら、あなたが先に入って、私は九時に扉を開けて、ごきげんよう婚約者様、って現れるのはどう?」
広間の扉が開いて、彼女が立っているところは、たしかに目に浮かんだ。けれど、私が先に着いてからの二時間も、同じくらいはっきり浮かんだ。
「その二時間のあいだに、私は先に来た方として、込み入った話は奥で、と別室へ案内されると思います。リディア様が着く頃には、私はもう帰されているかもしれません」
「……ありそう」
「ですから、同じ馬車で行きませんか。私の時刻に、二人で」
リディア嬢は一瞬きょとんとして、それから声を立てて笑った。
「止められると思ったのに。いいわ、それにしましょう。扉が開いたら、二人いるのね。だったら、ごきげんようは二人で揃えて言いましょう」
「……それは、少し練習が要りそうですね」
「今からすればいいわ。せーの、で」
「せーの、の『の』で言うんですか。それとも、その後ですか」
「その後に決まってるじゃない」
決まっているらしい。
一度目は、私が遅れた。「の」の後というのが、どれくらい後なのかわからなかった。
「今の、私が言い終わってから始めたでしょう」
「その後、とおっしゃったので」
「すぐ後よ。もう一度」
二度目は、リディア嬢が早すぎた。私が息を吸ったときには、もう「ごきげ」まで進んでいた。
「……今のは、私が悪かったわ」
「『せーの』の『の』で言っていました」
「数えないで」
三度目で、ようやく揃った。
ごきげんよう、アドリアン様。二つの声が一つに重なって、居間の天井に吸い込まれていった。リディア嬢が得意げに私を見た。私も、少し得意だった。
ちょうどそこへ、侍女がお茶のおかわりを運んできた。ポットを置き、空いたカップを下げ、何も聞かなかった顔で下がっていった。扉が閉まるまで、私たちは揃って口を閉じていた。
*
夜会の前の晩、私は自分の部屋で手提げの口を開けた。
入れるものは多くない。見積書や受領書の原本は代理人が持ち、当日は壁際に控えてくれることになっている。父も子爵も、代理人を付き添わせるという条件で、私たちが夜会へ行くことを許してくれた。
私が持つのは、二通の契約書の写しだけだった。卓の上に並べ、日付と署名をもう一度確かめる。冬の十二日と、春の三日。並べる順番を決め、取り出すときに上下を間違えないよう、折り目の向きを揃えた。
手提げに入れて口を閉じ、少し考えて、もう一度開けた。二通は、さっきと同じ順番で入っていた。
寝る前に、リディア嬢から短い手紙が届いた。
「明日は六時半にお迎えにあがります。せーのは『の』のすぐ後で」
私は手紙を枕元に置いて、灯りを消した。明日は同じ馬車で行く。
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