第3話 家族と悪評
翌朝、私は書類の束を抱えて父の書斎を訪ねた。
二人分の契約書と見積書。私の家の送金控えと、リディア嬢が書き写してくれた彼女の家の送金控え。それを順番に並べて、日付と金額を読み上げ、同じ工事に二つの家から三百枚ずつ払われていることを話した。
父は途中で一度も口を挟まなかった。私が話し終えてからも、まだ紙をめくっていた。見積書の内訳を指でたどり、送金控えの宛名を確かめ、契約書の承認の一文のところで少し長く止まった。
最後の一枚を伏せて、父はようやく顔を上げた。
「お前がこれを照らし合わせたのか」
「はい」
父はそれ以上何も言わなかった。口数が少ないのはいつものことだと知っていても、帳簿の数字を一つ間違えたときのように、背中が固くなった。
父は呼び鈴を鳴らし、執事に代理人を呼ぶよう言いつけた。それから私の方へ見積書を押し戻した。
「業者には代理人から照会させる。先方の原本も揃えておきなさい」
「リディア様のお家のものも、ですか」
「写しだけでは照会にならん」
私は書類をまとめて立ち上がった。扉の前で振り返ると、父は私が数字を書き並べた覚え書きを、自分の机の引き出しにしまうところだった。
*
その日の午後、私はもう一度リディア嬢の屋敷を訪ねた。
応接室の卓に、彼女の家の原本を広げる。写しと一字ずつ見比べるのは私の役目で、リディア嬢は書類の順番を覚えていて、私が手を伸ばす前に次の一枚を出してくれた。
「送金控えの宛先も日付も、写しのとおりです」
「よかった。書き写すとき、三回見直したの」
「四回目は私がしましたから、大丈夫です」
リディア嬢が笑ったところで、廊下から大きな足音が近づいてきた。
扉が叩かれもせずに開き、恰幅のいい紳士が一枚の便箋を握って入ってきた。後ろから、細身の婦人が早足で追ってくる。
「リディア、これでどうだ。今度こそ……」
紳士はそこで私に気づき、便箋を握ったまま固まった。
「お父様。こちらがセシリア様よ。お話ししたでしょう」
「……これは、失礼を」
子爵は便箋を背中に回し、それから思い直したように胸の前に戻して、きちんと一礼した。
「娘が世話になっております。このたびは、あなたにまで嫌な思いをさせて」
「いいえ。私の方こそ、リディア様に助けていただいています」
挨拶が済むと、子爵は便箋に目を落とし、娘を見て、また私を見た。
「読んでかまいませんよ、あなた。セシリア様にも関わるお話ですもの」
奥方が言った。夫を追ってきた人とは思えない、落ち着いた声だった。
子爵は咳払いを一つして、便箋を広げた。
「『拝啓。秋冷の候、貴家におかれましては』」
「そこはいいわ」
「『さて、このたびのご子息のなさりようにつき、一筆申し上げます。当家の娘は、誰に頼まれたわけでもなく自ら事実を調べ、見ず知らずのご令嬢に手紙を書き、頭を下げてまで確かめました。その間、ご子息は何をしておられたか。別邸の工事を見てくると言って、娘との約束を流しておられた』」
私は思わずリディア嬢を見た。リディア嬢は、卓の端を見ていた。
「『恥を知れ』」
「そこね」
奥方が手を差し出すと、子爵は素直に便箋を渡した。
「一枚目は、決闘を申し込んでいたの」と、奥方は私に向かって言った。「二枚目は『恥知らず』が四回。今度は一回まで減ったから、ずいぶん良くなったのよ」
「一回くらい、書いてもいいだろう」
「一回でも、あちらはそこしか読まないわ。その前の、いちばん大事なところを読まずに」
子爵は口を開きかけて、閉じた。それから大きく息を吐いた。
「では、そこだけ消す」
「ええ。でも出すのは、代理人の照会が済んでからにしましょう。それまでは、私の引き出しでお預かりします」
奥方は便箋を丁寧に畳んで、袖口にしまった。子爵は空になった手をしばらく見ていたが、やがて娘の頭に、小さな子供にするように一度だけ手を置いた。何も言わずに私にもう一度頭を下げて、部屋を出ていった。
「四枚目は、もう少し短くなると思うわ」
扉を閉める前に、奥方がそう言い残した。
*
二人きりになると、応接室は急に広くなった。
「ごめんなさいね。毎回ああなの」
「すてきなお父様だと思います」
リディア嬢は原本をそろえながら、少し笑った。それから手を止めずに言った。
「でも、持参金も修繕費も、先に出したのはうちだもの。あちらのお家から見れば、お金で縁をつなごうとした家だと思われても、仕方ないのよ」
違います、と言いかけた。けれど、彼女の家の婚約がどう決まったのかも知らず、そこから先の言葉が出てこなかった。
言葉を探しているうちに、リディア嬢が次の一枚を差し出した。いつもの、私が手を伸ばす前の速さだった。
*
三度目に会ったのは、その四日後、私の家の居間だった。
原本は代理人に渡してあり、返事はまだ来ていなかった。待つあいだに一度お越しください、と書いたのは私で、自分から人を家に招くのは久しぶりだった。
お茶が二杯目になった頃、リディア嬢がカップを置いた。
「この前、また今度にしましょうって言ったお話、してもいい? あの人が、お互いのことをどう話していたか」
「……はい」
「先に私から言うわね。あなたのことは、家柄を盾に結婚を迫っている方、ですって」
言ってから、リディア嬢は自分で笑った。
「盾を構えて迫ってくるところを想像していたのよ。お会いしたら、書類の束を抱えていらしたけれど」
「盾は、持っておりません」
「知ってるわ」
リディア嬢はまた笑い、それから少し首をかしげた。
「それで、私のことは?」
私は一度、カップに目を落とした。聞かされた言葉は覚えていた。初めてリディア嬢の手紙を受け取ったとき、真っ先に思い出した言葉だった。
「……金で縁を買おうとする家の娘、だと」
「そう。やっぱり、そう――」
そこで、リディア嬢の言葉が途切れた。
彼女はカップの縁を見ていた。指先を取っ手にかけたまま、カップを持ち上げなかった。
盾の話の続きのような軽い言葉を、私も何か返すつもりでいた。それは言わずにおいた。
私は、焼き菓子の皿を彼女の方へ少し寄せた。
「お茶にしましょう」
リディア嬢はしばらく黙っていた。それから、皿の端の一つを取った。
「……いただくわ」
そこへ、侍女が銀の盆に手紙を載せて入ってきた。代理人の封蝋だった。
封を切り、挨拶の数行を飛ばして、私は一つの文で目を止めた。
お尋ねの別邸の修繕工事は、どなたからも発注されておりません。
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