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第4話:嘘と真実のタイムライン

深夜零時十分。

大サロンを包む冷え切った空気の中、天井を覆う青白い魔術文字が、チリチリと火花を散らしながら新たな配列へと組み変わった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【全体議論フェーズ1:開始】

・制限時間:45分

・残り時間:44分59秒

・目的:各自のアリバイおよび初期情報の共有

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視界の端に点滅し始めた無慈悲なカウントダウン。

数字が秒単位で減っていくのを見つめながら、私は密かに息を整えた。

四十五分。長いようで、八人もの人間が互いの腹を探り合い、タイムラインの整合性を突き合わせる場としては、瞬きをするほどに短い。


「時間だ。無駄口を叩いている暇はない」


円卓の上座に立つユリアンが、鋭利な声で場を支配した。

テーブルの中央には、先ほど広げられた羊皮紙。その上部には、すでに『事件当夜:二十一時三十分〜二十三時十五分』という見出しが、彼の神経質なまでに整った筆跡で刻まれている。

ユリアンは黒インクを吸わせた魔導羽ペンを構え、氷を思わせる冷徹な青い瞳で円卓の面々を見据えた。


「第一発見者であるマルタの証言により、遺体発見は二十三時十五分、死亡はその直前と推定された。だが、毒物の摂取から絶命までに要する時間差を考慮すれば、犯行の核心は二十一時台から二十二時台にかけての動線にある。……まず、テオドール医師。貴様からだ」


指名されたテオドールは、びくりと肩を跳ねさせた。

普段の温厚で人当たりのいい壮年医師の余裕はどこにもなく、額に指を当てて眼鏡を押し上げながら、掠れた声で口を開いた。


「わ、私ですか……? 分かりました。ええと、昨夜二十一時からの私の行動ですね……」

「二十一時三十分からでいい。順を追って簡潔に述べろ」

「は、はい。二十一時頃から、私は閣下の書斎に伺っておりました。閣下はここ数週間、酷い不眠と頭痛を訴えておられましたので、定期的な診察と、処方薬のお届けにあがったのです。診察を終え、睡眠薬の小瓶をお渡ししたのが……大体、二十一時三十分頃でした」


ユリアンのペン先が、サラサラと音を立てて羊皮紙を走る。

『テオドール:21:30まで書斎にて診察・睡眠薬処方』。


「その後は?」

「その後は……すぐに一階の調剤室、私の自室へと戻りました。明朝に使用する予定だった滋養強壮薬の調合と、カルテの整理を行っておりました。途中で部屋を出ることもなく、ずっと一人で作業をしておりましたので……どなたともお会いしておりません」

「調剤室にいたことを証明する、第三者の目撃証言はあるか?」

「いえ……夜遅い時間でしたので、誰も通りかかりませんでした」


テオドールは申し訳なさそうに両手を広げた。

その指先が、微かに小刻みに震えている。


(……テオドール先生。睡眠薬、ね)

私は扇子を膝の上で弄びながら、冷ややかに医師の表情を観察していた。

彼の言う「睡眠薬」が、実は致死量スレスレの過剰処方であったことは、後の証拠調査で暴かれることになる。彼自身、自分の処方が侯爵の死を引き起こしたのではないかという後ろめたさを抱えているからこそ、こうして視線を泳がせているのだ。

だが、彼が自室へ戻った「二十一時三十分」という時刻に嘘はない。私の犯行(二十一時四十五分)の直前に、彼は確実に現場から退場している。


「次だ。家政婦長マルタ」

ユリアンの冷たい声が、円卓の隅で縮こまるマルタへと向けられた。


「テオドールが書斎を出た二十一時三十分以降、君は何をしていた」

「は、はい……!」

マルタは胸の前でエプロンを固く握りしめ、掠れた声で答えた。

「二十一時半頃、テオドール先生が書斎から下りてこられたのと入れ違いに、私は厨房に入りました。旦那様から『今夜は夜遅くまで執務が長引くゆえ、温かい夜食を用意しておけ』と仰せつかっておりましたので、根菜のポタージュを煮込み、パンを焼き直しておりました」

「何時までだ」

「二十三時過ぎまで……ずっと厨房におりました。火の番をしなければなりませんでしたし、スープのアクを取りながら、ずっと鍋の前に……二十三時十五分に書斎へお運びするまで、厨房を一歩も出ておりません」


『マルタ:21:30〜23:00 厨房にて夜食調理(単独)』。

ユリアンの羽ペンが淡々と文字を刻んでいく。


(ふうん……厨房を一歩も出ていない、ね)

私は心の中で小さく鼻を鳴らした。

マルタの証言は、八割が真実で、二割が「恥ずべき隠蔽」だ。

彼女は厨房で夜食を作っていたが、その実、娘の復讐のために下剤を料理へ混入しようと苦悩していた。だからこそ、その間の単独行動を過剰に「鍋の前にずっといた」と強調している。

しかし、彼女が現場に上がっていない以上、この時点では無害なノイズに過ぎない。


「フロランス伯爵夫人」

ユリアンの視線が、優雅に足を組んで腰掛ける未亡人へと移った。


フロランスは黒いレースの扇子を口元から外し、艶やかな微笑みを浮かべた。

「わたくしですの? ええ、やましいことなど何もございませんわ。わたくし、二十一時頃からこの大サロンで、暖炉の火にあたりながら詩集を読んでおりましたのよ。二十二時を回った頃に少し冷え込んできましたので、自室へと引き上げまして……その後は朝まで、ベッドの中で温まっておりましたわ」


『フロランス:21:00〜22:00 サロンにて読書、以降自室』。


「サロンで読書をしていた間、誰か他の者を見かけたり、会話を交わしたりはしたか?」

「いいええ。時折、廊下を使用人の方が足早に通り過ぎる足音が聞こえた程度ですわね。誰のお顔も見ておりませんわ」


フロランスの声音には、一切の淀みがない。

社交界の荒波をくぐり抜けてきた女流貴族のポーカーフェイス。

だが、私は知っている。彼女はこの後、二十二時半頃に中庭へ出向き、他ならぬユリアン自身から密輸ルートに関する非公式の尋問を受けることになるのだ。

彼女が隠しているのは殺人ではなく、自らの密輸ビジネス。

それぞれの人間が、それぞれの「後ろ暗い秘密」を抱えてタイムラインを歪めようとしている。

――これぞ、マダミスの醍醐味。全員が怪しく見えるカオスな盤面の完成だ。


「……セレスティーヌ嬢」

ユリアンが、円卓の向かい側で祈るように手を組む私の義妹へと視線を向けた。


セレスティーヌはビクッと肩を震わせ、大きな瞳を潤ませながら顔を上げた。

「わ、私……ですか? 私は……お父様が夜遅くまでお仕事をなさると伺っておりましたので……自室の祈祷台の前で、お父様の健康と、我が家の平穏を神にお祈り申し上げておりました」

「何時から何時までだ」

「ええと……夕食が終わった二十時半頃から、ずっとです。二十二時を過ぎる頃まで、ひたすら祈りを捧げておりました。その……少し疲れてしまって、二十二時過ぎにベッドに入り、浅い眠りについておりましたら……マルタの悲鳴が聞こえて、飛び起きてまいりましたの」


セレスティーヌの声はか細く、いかにも信心深く無垢な令嬢そのものだった。

『セレスティーヌ:20:30〜22:00過ぎ 自室にて祈祷、以降就寝』。


ユリアンのペンが走るのを見つめながら、私は喉元まで出かかった冷笑を飲み込んだ。

(嘘をおっしゃい、可愛い妹様)

彼女の供述は、完全な偽証だ。

彼女は二十二時十五分、自室を出て書斎へ赴いている。そして、自分の修道院送りを決定づける旧遺言書の存在を巡って、侯爵と激しい口論になり、わずか五分で怒鳴り散らされて追い出されているのだ。

彼女がその事実を隠すのは当然だ。「直前に激しい口論をした」などと白状すれば、真っ先に殺害動機を疑われるからだ。

だが、その嘘こそが、後で彼女の首を絞めるトラップになる。

今は泳がせておけばいい。


「最後だ。エドガー・フォン・ハルデンベルク卿」


ユリアンのペン先が机の天板をトンと叩いた瞬間、サロンの空気が一段と張り詰めた。

全員の視線が、円卓の端で落ち着きなく座り直した私の婚約者へと集中する。


エドガーの顔は、土気色を通り越して青白かった。

彼は襟元を指で引っ張り、ネクタイを緩めようとしては止め、手を太ももの上でせわしなく擦り合わせている。


「お、俺か……? 俺は、何も怪しいことなどしていないぞ!」

「誰も怪しいとは言っていない。事実のみを申告しろ」

ユリアンの冷徹な一喝に、エドガーは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「俺は……部屋にいた! 夕食の後、頭痛がしたから二十一時前には自室に戻って、ずっと横になっていたんだ! 一歩も部屋を出ていない! マルタの悲鳴を聞くまで、ずっと一人で寝ていたんだよ!」


「終始、自室にいたと?」

ユリアンが瞳を細める。その声音には、明らかな不審が宿っていた。

「ああ、そうだ! 部屋で寝ていた人間に、アリバイの証明などできるわけがないだろう!? 俺を疑う気か!? 俺は侯爵閣下の娘婿になる男だぞ! 義父上を害する動機など、あるはずがない!」


誰も動機など尋ねていないのに、自ら「動機」という単語を口走る愚かさ。

その視線はユリアンから逃げるように左右へ彷徨い、額からは大粒の脂汗が顎へと伝い落ちていた。

『エドガー:夕食後〜23:15 自室にて就寝(単独)』。


ユリアンは無言で紙面に文字を走らせたが、そのペン先の止めには、明らかな「保留(要検証)」の強い筆圧が込められていた。


(……哀れな男ね、本当に)

私は扇子の陰で、エドガーの惨状を見つめていた。

彼は二十二時四十五分に短剣を持って書斎に侵入した。その事実を隠そうと必死になるあまり、子どもでも見抜けるような杜撰な全否定を選んでしまったのだ。

マダミスにおいて、「終始自室に一人でいました」というアリバイは、最も怪しまれ、最も追及を受けやすい悪手中の悪手。

エドガーは自ら、処刑台への階段を一歩踏み出したのだ。


そして――。

羊皮紙の余白が、残り一行となった。


ユリアンが、ゆっくりと羽ペンを持ち上げ、視線を上げた。

その怜悧な青い瞳が、円卓を滑るように移動し――私の正面で、ピタリと静止した。


「……さて。ヴィヴィアン・クローデル嬢」


サロンが、水を打ったように静まり返った。

セレスティーヌが息を呑み、テオドールが眼鏡の奥の目を瞬かせ、フロランスが扇子を止めて私を見つめる。

誰もが知っているのだ。

現場の書斎の机の上に、飲みかけのブランデーグラスが残されていたことを。

そして、家政婦長のマルタが「自分はお酒を運んでいない」と証言したことを。


「君のタイムラインを聞こうか。昨夜二十一時三十分から二十三時十五分まで、君はどこで何をしていた?」


ユリアンの低い声が、静寂のサロンに響き渡る。

その瞳の奥には、「さあ、どう言い逃れをする?」という冷徹な挑発が宿っていた。


私の背後に控えるローレンスの身体が、微かに強張るのが気配で分かった。

彼は知っている。私が二十一時四十五分に書斎の前におり、手元に毒の小瓶を持っていたことを。従者の忠誠心からすれば、主人がここでどう嘘を吐くのか、あるいは窮地に陥るのではないかと気が気でないのだろう。


だが――。


(ここで嘘を吐く愚か者が、どこの世界にいるかしら?)


私の脳内で、前世のゲーマーとしての冷徹な思考回路が、瞬時に正解のルートを弾き出していた。


マダミスにおける絶対のセオリー。

『嘘は最小限に抑えよ。致命的な行動ほど、真実で塗り固めて堂々と開示せよ』。


もしここで、私がエドガーのように「ずっと自室で読書をしておりましたわ」などと嘘を吐いたらどうなるか?

書斎のブランデーグラスという「動かぬ物証」が存在する以上、探偵役は必ず「誰がグラスを運んだのか」を執拗に追及してくる。

厨房の使用人への聞き込み、廊下の絨毯の足音、あるいはローレンスへの尋問。

もし後から「ヴィヴィアン様がグラスをお持ちになるのを見ました」という証言が一つでも捲れ上がった瞬間、私の嘘は確定する。

そしてマダミスの鉄則として――『タイムラインの嘘が捲れたプレイヤーは、その瞬間に真犯人として即吊りされる』のだ。


リスクが高すぎる。そんなギャンブルは三流のやることだ。


ならば、どうするか?

答えは極めてシンプル。


――最も怪しい「ブランデーを運んだ」という事実を、誰に突っ込まれるよりも先に、自らの口から堂々と差し出すのだ。


「やましいことがないからこそ、自ら進んで申告できるのだ」という、強烈な認知バイアス(正直者効果)を、全員の脳裏に植え付けるために。


私は背筋を凛と伸ばし、膝の上で組んでいた手を解くと、完璧な貴族令嬢の気品を湛えてふわりと微笑んだ。

一切の動揺も見せず、声のトーンをわずかに落ち着かせ、サロンの全員の耳に心地よく届くような、澄んだ声で告げる。


「二十一時四十五分。私がお父様に、あのブランデーをお届けいたしましたわ」


――息を呑む音が、サロンのあちこちから同時に上がった。


エドガーが目を見開き、セレスティーヌが小さく口元を押さえる。

ユリアンの羽ペンの切っ先が、紙面の上でピタリと止まった。


私は周囲の動揺を涼しい顔で見渡しながら、流れるように言葉を続けた。


「お父様が執務の合間に、強いお酒をお求めになるのはいつものことですもの。マルタが厨房で夜食の準備に追われておりましたので、娘である私が気を利かせて、ブランデーグラスをトレイに載せて書斎へお持ちしたのです。お父様は執務机に向かっておいででしたわ。グラスをお渡しし、一口召し上がるのを見届けた後……私はすぐに自室へと戻り、深夜まで読書をしておりましたの」


一分の淀みもない、完璧な供述。

声の震えもなければ、視線の逸らしもない。

ただの「親孝行な娘の日常の一コマ」を語るかのように、私は毒入りの酒を運んだ事実を、堂々と全員の前に開示してみせたのだ。


静寂。

暖炉の薪がパチリと爆ぜる音だけが、異様なほど大きく響いた。


誰もが言葉を失っていた。

あまりにも堂々とした告白に、かえって毒殺の犯行現場と結びつける言葉を見失ったのだ。


その静まり返ったサロンの只中で。


ユリアンが、ゆっくりと羽ペンを羊皮紙の上に置いた。

カチリ、と硬質な音が響く。

彼は背筋を伸ばし、組んだ両手の指の隙間から、氷のように研ぎ澄まされた青い瞳で私を真っ直ぐに見据えた。

その唇の端が、冷徹な愉悦を孕んで、わずかに吊り上がっていた。


「ほう……。自ら毒入りのグラスを運んだと、そう認めるのか? ヴィヴィアン嬢」


名探偵の切っ先が、ついに私の喉元へと突きつけられた。

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