日出づる処の天子
西暦六〇七年。西の大国・隋は、絶対の権力を誇る皇帝・煬帝の治世にあり、東アジア全体にその巨大な威圧感を誇示していた。
飛鳥京の小墾田宮。厩戸皇子は、遣隋使として小野妹子を敵地に派遣することを決意する。その手に持たせたのは、かの有名な国書であった。
『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがないか』
「皇子……この文面はあまりに危険にございます! 大国の皇帝を激怒させ、兵を向けられでもしたら……!」
臣下たちが青ざめた顔で諫める。
しかし、三十三歳となった厩戸は、静かな眼差しで西の空を見つめていた。
「妹子よ、恐れることはない。激怒するのは一瞬のこと。汝が携えるのは、その紙一枚にあらず」
大興城(隋の都)の謁見の間。国書を目にした煬帝は、臣下たちの前で顔を真っ赤にして怒脈を浮かべた。
「無礼千万! 蛮国の小王が我と対等と称するか! このような不快な文書、二度と我に見せるな!」
皇帝の怒号が殿中に響き渡り、小野妹子も命の終わりを覚悟した。
だが、妹子は太子の教え通り、静かに二つの箱を差し出した。
「我が主・厩戸皇子より、皇帝陛下への献上品にございます。一つは我が国で精製された高純度の鋼の剣。そしてもう一つは……東シナ海の詳細なる海図と、海上の風を読む極意書にございます」
煬帝の目が止まった。
差し出された剣は、隋の最新技術をも凌駕する折り込み鍛錬の至高品。そして海図には、隋の水軍すら把握していない浅瀬や潮流、安全な航路が寸分違わず記されていた。
「……なんだと? 東の島国は、これほどの製鉄技術と、海を支配する術を持っているというのか?」
怒りは即座に、冷や汗混じりの驚愕へと変わった。
倭国はもはや、貢物を捧げて平伏する従属国ではない。圧倒的な海力を背景に、対等な取引を要求し得る「不沈の海上国家」へと変貌していたのだ。
「妹子とやら……余に代わり、その方の主に伝えよ。『近いうちに、我が使節をそちらへ送る』とな」
太子の思い描いた通り、日本は戦うことなく、大国・隋に「対等な存在」としてその名を強く焼き付けたのだった。




