十七条の憲法・真説
冠位十二階の制定により、優秀な人材が身分を問わず見出されるようになった飛鳥京。
次なる改革として、西暦六〇四年、厩戸皇子は国としての根本規範となる『十七条の憲法』を発布した。
「一に曰く、和を以て貴しとなし、忤ふること無きを宗とせよ」
表向きは、役人や豪族たちの道徳的規範を定めた条文。
しかし、発布の夜、飛鳥の主要豪族の長たちだけが集められた密室において、厩戸はもう一枚の羊皮紙を取り出した。
そこに記されていたのは、史実には存在しない「真の決意」――極秘裏の条文であった。
『十八に曰く。国の富と技術を私すべからず。私兵を蓄え、権力を誇らんとする者は、皇法と天眼の裁きを受けん』
息をのむ豪族たちを見渡し、厩戸は静かに、しかし断固とした口調で語りかけた。
「皆々、胸に手を当てて考えられよ。地方の豪族が勝手に土地を囲い、私兵を養い、互いに争う世が続けば、この国はいつまで経ってもひとつにはなれぬ。いずれ西の大国・隋が海を渡ってきたとき、破滅するのは我が国全土でございます」
豪族たちの間に動揺が走る。
だが、かつて争いかけた物部と蘇我の両巨頭――物部穴太部と蘇我馬子が、真っ先に厩戸の前で膝をついた。
「我が物部の製鉄と兵員は、すべて大王(天皇)と国のために捧げましょう」
「我が蘇我の財と渡来人の港もまた、国の公財といたします」
二大豪族が私有権を放棄し、国家への一元化(公地公民の萌芽)を受け入れたのだ。
これによって、他地方の豪族たちも異論を唱える術を失った。
大化の改新を待たずして達成された、強固な中央集権国家の土台。
「和」の思想の裏に秘められた太子の絶対なる主導権により、日本は海外の脅威に対抗し得る「不沈の国家」へと覚醒しつつあった。




