表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/11

第8話 神託 Side:ルーク


 祈りの間は、朝から厳かな空気に包まれていた。高い天井に響き渡る祈りの歌声。色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、白い床に神秘的な影を落としている。

 祭壇の前に跪くのは、聖女ミレイア。純白の聖衣に身を包み、両手を胸の前で組み、静かに目を閉じている。神に愛された乙女そのもののその姿に、神官たちは感嘆の眼差しを向け、礼拝に訪れた貴族たちは息を潜める。


 誰もが彼女を神聖視しているが、ルークだけは違う視点で彼女を見ていた。彼は壁際に立ち、無表情を装いながらミレイアを見つめる。昨日まで熱を出して寝込んでいて、今朝もまだ顔色はよくなかった。それなのに、神殿長は「軽い祈祷のみですので」と言って予定を中止しなかった。

 軽いものか。朝から治療の儀に立ち会い、その後すぐに祈りの間で公開祈祷。どう考えても休ませる気がない。


 ルークは強く手を握りしめた。彼女自身は、何も言わない。いつものように穏やかに頷き、『承知しました』と書いただけだった。しかし、付き合い始めてまで短いながらも分かる。あれは、我慢している時の顔だ。表情が少し硬く、肩がわずかに強張っている。以前に彼女が倒れた時と、同じ様子だ。


(無理をしている)


 苛立ちが胸に広がる。彼女に対しても、神殿に対しても。どうして誰も止めようとしないのか。


 ……いや、止められないのだ。聖女という存在はあまりにも特別すぎる。誰もが彼女を”人”としてではなく、”奇跡そのもの”として扱う。そのために、彼女が疲れることはなく、倒れることもないと思っている者が多いのだろう。

 ルークは知っている。彼女が祈祷の後に、部屋で机に突っ伏していることも、他人に対して文句を言っていることも、眠い日の朝は機嫌が悪いことも。


 祭壇の前で祈るミレイアを見つめながら、ルークは無意識に眉を寄せた。祈祷中の彼女は、こちらを見ることはない。祈祷中でなくても、あの日から、彼女に少しだけ距離を取られているような気がするのだ。セシルと彼だけしかいない場所ではぽつりと本音を漏らしていたのに、朝食の時間は一言も発していなかった。視線も合うことがない。


 嫌われたわけではないと不思議な確信はあるが、何かを隠されている。それが気になって仕方がなかった。






 祈りが終盤に差し掛かった頃だった。祈りの間に静寂が落ちる。誰もが息を潜め、聖女の祈りを見守っていた。

 その時。ミレイアの肩が、かすかに震えた。ルークだけが気づく。彼女の顔色が悪い。今すぐ止めるべきだと、一歩踏み出しかけた瞬間。

 ミレイアがゆっくりと顔を上げた。その顔を見て、ルークは息を呑んだ。


 瞳の色が変わっている。普段の青灰色ではない。淡く金色の光を帯びている。まるで、陽の光を映したような透き通る黄金。

 周囲がざわめいた。神官達が、一斉に跪く。


「神託だ……!」「聖女様が神託を……!」


 ルークの背筋に冷たいものが走る。まるで彼女が、自分の知らない存在になってしまったかのような感覚。


 ミレイアは普段、決して人前で話さない。だからこそ、彼女が口を開くとき、それは”神の言葉”だとされている。ルークは、彼女が話せることを知っている。しかし今の彼女は、明らかにいつもとは違った。

 彼女の唇が開く。


「北の地に、黒き風が吹く」


 その声は、いつもの澄んだ声ではない。より低く、より深い。声が二重に重なっているような不思議な響き。複数の声が同時に喋っているようにも感じられ、空気が震えた。

 誰も動けず、誰もが息をすることさえ躊躇う。ミレイアは虚空を見つめたまま続けた。


「白き塔は三つ目の夜に崩れ、王の血を継ぐ者、ひとり道を違える」


 皆が息を呑んだ。王族に関わる神託だ。それも、道を違えるとは……それが何を意味するのか、誰にも分らない。しかし信託は絶対だ。一言一句記録され、王家に届けられる。

 ミレイアの声はさらに続いた。


「東より来る者に鍵あり。閉ざされた門を開くは、名もなき刃」


 直後、彼女の身体が大きく揺れた。ルークは反射的に駆けだす。

 その時、ミレイアの金色の瞳がふっと彼を見た。それは一瞬だったが、確かに目が合った。しかしそこには、いつものミレイアはいない。感情のない、遠い目。神そのものに見下ろされているような視線。


 そして、糸が切れたように、彼女の身体が前に倒れる。祭壇の階段から崩れ落ちる寸前に、ルークが彼女を腕の中に抱き留めた。その身体は熱い。前よりもずっと。


「ミレイア!」


 思わず名前を呼んでいた。ざわめきが広がっていく。聖女を名で呼ぶなど、本来あり得ない。だがそんなことはどうでもよかった。腕の中の彼女は意識を失っている。呼吸は浅く、顔色は真っ白だ。

 さっきまで輝いていた瞳は閉じられ、ただ長い睫毛が震えている。


「おお……! なんという大いなる神託……!」


 神殿長の声に、ルークは初めて本気で怒りを覚えた。目の前で倒れた少女よりも、神託の内容しか気にしていない。

 彼女を抱きしめる腕に力が入る。


「道を空けてください」


 自分でも驚くほどに冷たい声が出た。神殿長がたじろいでいるが、彼は気にせずに彼女を抱き上げる。神官達がざわめいているが、誰も止めようとはしない。彼の目があまりにも鋭かっただろう。

 抱き上げた時、彼女はかすかに眉を寄せた。意識はないが、唇が小さく動く。


「……だめ……」


 かすれた声だ。ルークの胸がざわつく。何がだめなのか。誰に向けられた言葉なのか。分からない。

 彼女の怯えた顔が頭をよぎった。彼は腕の中の彼女を見下ろす。青白い頬に、苦しそうな呼吸。


 そして、ふと思う。神託の最後に、彼女は彼を見ていた。あれは偶然なのか、それとも——あの神託に、自分が関わっているのか。そんな考えがよぎったが、すぐに打ち消した。


 今はそんなことどうでもいい。彼女を抱きしめる腕に力を込めて、彼女の私室へ急いだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ