第7話 護衛騎士 Side:ルーク
王都中央神殿に護衛として配属されるという話を聞いた時、ルーク・アステルは正直、気が重いと感じた。
聖女付きの護衛。名誉ある任務だと、誰もが言った。神に選ばれた乙女を守る役目で、王家と神殿の双方から信頼される者にしか与えられない特別な地位。
しかし面倒ごとの予感しかしなかった。理由は単純だ。聖女ミレイアの噂を、嫌というほどに聞いていたから。
『千年に一度の奇跡』『神の声を聞く乙女』『言葉を発さぬ神秘の聖女』
どれも立派な言葉だが、つまりは近づきがたい存在だ。そんな天の上のような存在である聖女からしたら、王族や神官相手ならまだしも、護衛騎士など単なる壁と変わらないようなものだろう。最低限の挨拶をして、必要な時だけ前に出る。そういう仕事になると思っていた。
加え、王太子付きの近衛騎士団長から、配属前にひとつ忠告されていた。
「聖女殿は繊細なお方だ。余計な詮索はするな」
あの人がわざわざ言うくらいだ。神殿側との政務的な何かもあるのだろう。そのためルークは深く考えないことにした。ただ守る、それだけでいい。
彼女に会うまでは、そう思っていた。
扉が開かれ、聖女の私室に足を踏み入れた時。そこに立っていた少女を見て、ルークは言葉を失った。噂通り——いや、噂以上の美しさだった。
淡い色の金髪が肩を滑り、その肌は雪のように白い。瞳は透き通った青灰色で、その瞳に見据えられた瞬間、何か冷たい刃のようだという印象を受けた。
あまりに整っていて、現実味がない。作り物めいているのに、息を呑むほどきれいだった。
(……綺麗だな。想像以上だ)
それしか浮かんでこなかった。ただ同時に、別のことにも気が付いた。彼女は明らかに不機嫌だったのだ。眉間にほんの少し皴が寄っていて、口元は柔らかく結ばれているのに目は妙に鋭い。ぱっと見では穏やかな表情に見えるのだが、よく見ればかなり分かりやすかった。
(俺が何か気に障ることをしてしまったのだろうか)
嫌われるようなことをした覚えはないが、彼女は明らかに警戒している。彼の雰囲気が気に入らないのか、はたまた彼の顔が気に入らないのか。思い当たる節を考えながら、少し面白いと思ってしまった。
神秘的で近寄りがたい聖女というよりも、警戒心の強い猫みたいだと。
そして、その数日後。大きな出来事が起きた。
その日は会議続きで、ミレイアの顔色が朝から悪かった。それなのに彼女は最後まで仕事を断ることなく、ふらつきながら私室に戻った。護衛として部屋に入る所を見送ったが、どうしても気になったのだ。
もしも、彼女が中で倒れていたらどうしよう。一応確認だけ、と扉を叩いたが、返事はなかった。嫌な予感がして、つい扉を開けてしまったのだ。
その結果。
「ふざけんじゃないわよあの狸爺!!」
——とんでもない場面に遭遇してしまった。
今でも鮮明に思い出せる。ソファーに膝を立てて雑に座る聖女。ばらまかれた紙。苦笑いしている侍女。正直に言えば、かなり驚いた。だが同時に、なぜか妙に納得した。
ああ、やっぱり。と、そう思ったのだ。
神殿で見ていた彼女は、あまりにも感情を抑え込みすぎている。誰にでも微笑み、何を言われても頷き、とにかく穏やかな彼女。しかし、その目だけは時折ひどく疲れているように見えて。あの姿が、彼女の素だとは思えなかったのだ。
そのため、彼女が怒っている姿を見て、むしろ安心したのだ。彼女も人間なのだ、と。怒るし、愚痴も言うし、嫌なことは嫌だと思う。
問題は、その後だ。彼女は完全に固まっていた。こちらを見つめたまま、まるで世界の終わりかのような顔をしていた。恐らく、秘密を知られたのだと思ったのだろう。あまりに必死な顔で目を泳がせていて、少しだけ、可愛いと思ってしまった。
もちろん口に出すことはしない。出したら本気で嫌われそうだと思ったからだ。
◇ ◇
それから一か月。ルークは少しずつ気づいていく。
聖女ミレイアという少女は、思っていたよりもずっと分かりやすい。嫌なことがあった時には眉が動き、怒っていると筆圧が強くなり、恥ずかしいと耳が赤くなる。
そして、子どもと話をしている時だけは、本当に優しく、柔らかく笑う。あの笑顔を初めて見た時、彼は見惚れてしまった。あまりにも美しく自然な微笑みだったから。いつもの作り笑いではなく、心から嬉しく楽しそうで。年相応な笑みのように見えた。
その時に、ふと気づいた。自分は思っている以上に、彼女のことを気にしている。護衛としてではなく、個人的に。
疲れていないだろうか。食事はとれているだろうか。また無理をしていないだろうか。気づけば、そんなことばかりを考えていた。
先日、彼女が倒れそうになった時もそうだ。咄嗟に彼女を支え、気づけば抱き上げていた。周囲の視線など考える余裕もなく、ただ彼女を支えなければとだけ考えていた。
腕の中にいた彼女は驚くほど軽くて、熱くて。胸元に顔を埋められた時には、心臓が止まるかと思った。あれは恐らく、本人は恥ずかしがって顔を見られたくなかっただけなのだろうが、時折そのことを思い出しては全身に熱が籠る。その日の夜はまともに寝ることすらできなかった。
……多分、自覚したのはその時だ。彼女が、気になる。おそらく、そういう意味で。
そして今日は、熱を出したミレイアの部屋を訪ねた。本当は行くべきではないと思った。ただの護衛騎士が、主人の部屋を訪ねるなど無礼にもほどがある。
だが、どうしても気になってしまうのだ。会いたかったのだ。
熱の影響で声が出せない彼女が、小さな字で「まだいて」と書いた時。ルークは言葉を失った。嬉しくて、たまらなかった。正体面ではあれほど警戒されていた相手に、引き留められたのだ。たとえ彼女が熱で弱っていただけでも、それでも嬉しかった。
眠りに落ちた彼女を見守っていると、彼女は苦しそうな唸り声を出し始めた。悪夢を見ているのだろう。自分に何かできないだろうかと考えている時に、彼女は目覚めた。眠りから覚めた彼女は、ひどく怯えた顔をしていた。自分を見て、泣き出しそうになっていた。
そして、『今日は帰って』という文字を見た時。ルークは頷いて部屋を出たが、胸の奥には小さな棘が刺さったままだ。
嫌われたわけではなさそうだが、何かあったということは分かる。彼女は自分を見て怯えていた。あの顔が、頭から離れない。
神殿の廊下を歩きながら、彼は小さく息を吐いた。彼は無意識に、自分の服の裾に触れる。彼女が掴んでいた場所だ。まだそこに、彼女の手の感覚が残っているような気がした。
「……困ったな」
ぼそりと呟く。その口元には、笑みが浮かんでいた。




