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第5話 聖女様はお疲れです


 今日は、朝から最悪な気分になった。

 神殿の大広間で行われた定例会議。神殿長を筆頭に、高位神官たちがずらりと並び、聖女ミレイアを囲んでいる。白い法衣を纏った彼らは一様に穏やかな笑みを浮かべ、聖なる務めについて語っていた。


「北方の村に瘴気の兆候が見られます。聖女様のお力添えをいただければ」

「東区の貴族家より、病に伏したご令嬢の治療の要請が」

「来週には王宮での祈年祭もございますので、調整を」


 ミレイアは静かに頷き、筆記板に流麗な文字を書きつける。


『承知致しました』


 その表情は慈悲深く、神々しい。しかしその内心は大荒れだ。うるさい、お前らが自分で動け。その頭飾りごと祭壇に突っ込んでやろうか、等々。

 神殿長がにこやかに微笑む。


「さすが聖女様です。常に民を第一に考えておられる」

(これだけ働かせても倒れないのだから便利だな)


 ぴき、とミレイアのこめかみが引きつった。便利って何よ。モノじゃないのよわたしは。そう思いながらも表情を崩すことはない。むしろ微笑みを深めて、さらに一筆。


『お役に立てて光栄です』


 神殿長が満足そうに頷くのを見て禿げろと呪いのように呟いていたミレイアの耳に、別の心の声が届いた。


(板が割れそうだ……)


 ミレイアはちらりと隣を見る。護衛騎士として、こんな場でも彼はすぐそばに控えている。彼の顔は真面目そのものだが、その心の声には少しだけ困った気配が混じっていた。


(今日も相当ご機嫌が悪くなりそうだ。何か甘いものを用意した方がいいだろうか)


 甘いもので機嫌が直ると思っているのかと、ミレイアは彼から視線を逸らした。





 ◇ ◇





 会議が終わっても、仕事は終わらない。寧ろここからが、彼女の精神面に攻撃を与えてくる。それが、貴族たちの面会だ。

 病気の息子を治してほしい侯爵夫人。娘の婚約がうまくいくように祝福を求める伯爵。商売繁盛を祈ってほしい豪商。

 一人ひとりに微笑みを向け、祈りを捧げ、筆談で優しい言葉を贈る。だが貴族たちの本音は散々だ。


(この聖女さえ味方につければ公爵家に恩が売れる)

(王太子候補から外せないだろうか。我々の家に聖女の血を組み込むことができたら……)

(噂通り綺麗だな。良い香りがする。もっと近くで見たい)


 うるさいうるさいうるさい。人の心の声が聞こえるたび、胃がきりきり痛む。

 それでもミレイアは笑い続けた。誰にも本音を悟られないように。聖女は、いつだって美しく穏やかでなければならないから。





 ◇ ◇





 日が傾く頃には、最後の治療の儀が残っていた。瘴気に侵された畑の浄化だ。

 神殿の中庭に持ち込まれた黒ずんだ土に手をかざし、祈りを捧げる。眩い光が溢れ、土が元の色を取り戻していく。見守っていた人々は歓声を上げた。


「さすが聖女様……!」

「神の奇跡だ……!」


 拍手の中、ミレイアはゆっくりと手を下ろす。その瞬間、ぐらり、と視界が揺れた。


「……っ」


 足元がふらつく。まずい、と思った時には遅かった。朝から休みなく力を使い続けてきた。心の声が聞こえてしまうことの精神的な消耗に加え、浄化と治療が重なれば当然限界は近くなる。

 しかし人前だ。聖女が、倒れるわけにはいかない。


 彼女はなんとか平静を装い、上手い具合に人々の賛美を避け、私室へと急ぐ。廊下を歩く中、セシルが心配そうに声をかけてきた。


「お嬢様、顔色が……」

「平気……」


 そう答えたつもりだったが、声はほとんど掠れていた。


(まずいな)


 後ろをついてきていたルークの心の声が聞こえた直後だった。視界が、白く霞む。そして足がもつれた。

 転ぶ——と、そう思った瞬間。身体がふわりと浮いた。


「……え?」


 痛みを覚悟して瞑った目を開ける。目の前にあったのは、騎士服の胸元だ。ルークが、ミレイアを抱き上げているのだ。背中と膝の下に手が添えられていて、横抱きにされている。


「っ!?」


 ミレイアの顔が一瞬で真っ赤に染まる。セシルが口を押さえた。


「まあ、ルーク様!?」


 ルークの顔は真剣なままだ。その声は落ち着いている。


「勝手に触れてしまい申し訳ありません、聖女様。ですがこのまま失礼いたします。私が代わりに足となります」

(軽いな……。剣の方がまだ重いぞ。もっと食事の量を増やすように伝えた方が良いだろうか)


 違う今はそんなことを気にしている場合じゃない!! ミレイアは慌てて身をよじる。


「お、降ろして……!」


 彼にだけ聞こえるように声量を抑えて行った。しかし彼は一切動じない。


「駄目です。貴女様を歩かせたら、倒れてしまいます」

(熱もある。無理をしすぎたんだ)


 ルークはそのまま堂々と歩きだす。通りすがりの神官たちは、石像のように固まっていた。


「護衛騎士が、聖女様を……」「いや、それよりも抱き……」「騎士になりたい……」


 ざわめきが背後で広がっている。ミレイアは羞恥で死にそうだった。


「降ろしてってば……! 自分で歩けるから……!」

「本当に?」

「…………やっぱ、無理」


 実際に降ろされてしまっても、倒れてしまうのは目に見えている。悔しい。視線を逸らす彼女を見て、ルークは口元を緩めた。


「では、このままで」

(大人しくなった……可愛いな)


 ミレイアの思考が停止した。何それ。何それ何それ。恥ずかしさで息が止まりそうになる。彼は無自覚だ。本気でそう思っている。だから余計に、最悪だ。

 彼女は顔を隠すように、彼の胸元に額を押し付けた。この赤くなった顔を、絶対に見られたくない。彼女の動きにルークが息を呑む気配がしたが、支える腕の力強さは変わらない。


(……俺の腕の中で、安心したのかな)


 違う!! 断じて違う!!

 私室に着くまでの短いはずの道のりが、永遠のように長く感じた。


 ようやく部屋に入ると、ルークはそっと彼女を寝台に横たわらせてくれた。彼の身体が離れた時、妙に肌寒いと感じてしまった自分に腹が立つ。

 ルークは膝を付いて、真剣な顔で彼女を見上げた。


「今日は休んでください。私から神殿に詳細を伝えておきます」

(これ以上無理をさせたくない。彼女の限界に、もっと早く気付くべきだった)


 ミレイアは毛布を頭まで引っ張り上げた。顔を見られたくなかったからだ。

 しばらく沈黙が続き、やがて、彼女は毛布の中からくぐもった声を出した。


「……勝手に抱っこしたこと、一生恨むから」


 彼女の言葉に、ルークが笑った気配がした。


「それは、困りましたね」

(喋れる程の元気があるなら、少し安心だ)


 ミレイアは毛布の中でクッションを抱きしめた。もう嫌だ。この男、本当に心臓に悪い。




 そして、その夜。ぼんやりと天井を見上げながら思い出したのは、今日聞いた沢山の嫌な声ではなく、

『軽い』『無理をさせたくない』『可愛いな』

 という、彼から聞こえた言葉ばかりだった。


「……最悪」


 そう呟いて、ミレイアは毛布に顔を埋めた。

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