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第4話 近すぎる護衛


 ルークが聖女付きの護衛騎士になってから、一か月が過ぎた。

 レイヴェル王国の民にとって、聖女ミレイアは相変わらず信仰の的である。王都の礼拝堂で祈りを捧げ、下町に降りて病人を癒し、穏やかな微笑みを浮かべている神秘の乙女。

 誰も、彼女がその沈黙の裏で毒を吐いていると夢にも思わないだろう。そして、それを知る人間が一人増えてしまったことも、彼女の秘密の一つである。





「……このスープ、ぬるいわね」


 昼食の席で、ミレイアは小声で呟いた。聖女専用の食堂には、今日も穏やかな光が窓から差し込んでいる。長いテーブルの端にミレイア、その少し後ろで給仕を行うセシル、さらに壁際にはルーク。護衛騎士として、食事中も彼は同席している。


 最初の頃は無言を貫いていたミレイアだったが、一か月も経てば話は別だ。もちろん、人前では相変わらず一言も発することはない。しかしセシルとルークしかいない時だけは、ぽつりぽつりと本音が漏れるようになっていた。

 セシルは慣れた様子でスープ皿を覗き込む。


「今日は空気が冷えているので、冷めてしまうのが早かったようですね。温め直しましょうか?」

「いいわよ。面倒でしょ」


 そう言いながら、ミレイアは不満そうにスプーンをくるくると回した。ルークは黙って立っているが、その心の声は時々聞こえてくる。


(食事の好みも普通なのだな。もっと高級なものしか召し上がらないものなのかと思っていたが、過去の俺は愚かなことを考えていたものだ)


 ミレイアの眉がぴくりと動く。何それ、普通って何よ。そう思いながら意識を集中させていると、彼の心の声はさらに続く。


(ぬるいスープで機嫌を悪くしているの、可愛いな)


 危うくスープを吹き出しそうになり、ミレイアは慌てて口元を押さえた。突然口を押えた彼女に、セシルが心配したように彼女の顔を見る。


「お嬢様、お口に合いませんでしたか?」

「……い、いえ。何でもないわ」


 顔が熱くなる。本当に何なの、この男は。最近こういうのが増えてきた。声には出さないくせに、心の中では妙に甘ったるいことをさらっと考えているのだ。そのすべてを本気で思っていると分かるから、余計に質が悪い。

 ミレイアの内心にルークが気づくはずもなく、彼はただ真面目な顔をしている。


(咳き込みそうになったのを抑えたのか。水を出した方がいいな)


 いつの間にかそばに来ていたルークがすっと水入りグラスを差し出してきた。ミレイアは無言で受け取って、ごくごくと勢いよく飲む。それをじっと見つめていた彼から、また声が聞こえてきた。


(今日も綺麗だな)

「……っ」


 がたん、と椅子を鳴らしてしまった。セシルが声をかけようとするのを手で制止し、ミレイアは平静を装ってパンをちぎろうとするが、指が震えてうまくいかない。

 ルークの本音がいちいち心臓に悪い。別に特別な言葉ではない。綺麗だとか、可愛いだとか、美しいだとか。今までに言われ慣れてきた、それだけのことだ。それだけのことなのに。

 今までに聞いてきた誰の言葉よりも、変に胸に残ってしまう。彼は、ただ純粋にそう考えているから。本心だと分かってしまうから。


「……顔がいい男ってほんと最悪」


 ぼそりと呟く。声を聞き取ったはずのルークは、きょとんとしていた。


(俺のことだろうか)

「あなたのことよ」


 思わず返してしまい、しまったと口を押える。ルークは目を瞬かせ、それからゆっくりと口元を緩めた。


「それは、誉め言葉として受け取ってもよろしいのでしょうか?」


 ミレイアは反射的にパンを投げつけてしまった。もちろん、聖女らしく上品に——ではなく、割と本気で。パンに申し訳ないと思う心よりも先に手が動いていた。

 それをルークは片手で受け止め、優雅な動作で皿に戻した。


(俺の顔がいいと思ってもらえているのか。嬉しいな。あと、怒った顔も可愛い)

「…………あんたなんか不細工よ!!」


 セシルが天を仰いでいた。





 ◇ ◇





 その日の午後。ミレイアは、王都南区の孤児院を訪れていた。聖女の慰問は彼女の定期的な務めのひとつだ。孤児院の小さな礼拝堂で祈りを捧げた後、子どもたちの怪我を癒し、祝福を授ける。

 大人相手だと苛立つことが多いミレイアだが、子どもたちを相手では違った。彼らの心は単純で、純粋で、汚れていないから。


「せいじょさま、みて! おはなつくった!」


 幼い少女が花冠を差し出す。ミレイアは目を丸くした後、ふっと柔らかく微笑んだ。ごくごく自然に浮かんだ笑みだ。

 しゃがみ込んで頭を下げる。少女はぱあっと顔を輝かせ、そっと彼女の頭に花冠を乗せた。


 ミレイアがそれに触れて微笑み、少女の頭を優しく撫でる。少女は嬉しそうに目を細め、子どもたちが歓声を上げた。周囲の神官たちも、感動したのか涙ぐんでいる。


「なんと慈悲深い……」

「やはり聖女様は子どもを愛しておられる……」


 実際、その通りだ。子どもといるときだけは、ミレイアは少しだけ心が軽くなる。誰も裏を隠していないから。ただ嬉しいと思い、ただ楽しいと思う。その純粋さに触れると、自分の中の刺々しさも少し和らぐ。

 そんな彼女の様子を、ルークは少し離れた場所から見ていた。離れていても、その心の声は届く。


(……あんな顔もするのだな)


 ミレイアの肩がぴくりと揺れる。意識しないようにしていたのに、続きが聞こえてしまう。


(子どもと話をしている時、本当に優しい顔をしていらっしゃる。あれが、本来の彼女の姿なのだろうな)


 胸がざわついた。違う、そんなに綺麗なものではない。ただ子どもたちは余計なことを考えていないから嫌な気持ちにならないだけで、別に自分が優しいわけではない。と、そう思うのに。


(……笑っている顔、すごく好きだ)

「っ……!」


 ミレイアは思わず立ち上がった。花冠がずれて、子どもたちはきょとんと彼女を見上げる。


「せいじょさま?」


 ミレイアは顔を真っ赤にさせたまま、ふいと顔を背けた。周囲がざわついているが、本人はそれどころではない。

 後ろから、ルークの気配が近づいてくる。


「聖女様、お気分が優れないのですか?」

(顔が赤い。日差しに当たりすぎたのか? 無理をしているのかもしれない。早く室内に入った方が良いだろう)


 心から心配している。さっき、「好きだ」とか思っていたのと同じ人物だと思えない。

 ミレイアはぎりっと唇を噛んだ。もう嫌だ。この男の心の中を覗くの、心臓に悪すぎる。

 彼女は振り向かずに、ずんずんと歩き出した。慌てて彼が追いかけてくるのが分かる。

 セシルはそんな二人を遠くから見守りながら、小さくため息をついた。


「……これはもう、時間の問題ですねぇ」

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