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第2話 笑顔の王太子


 朝の神殿は、いつだって清らかだ。高い天井から差し込んでくる朝日が白い床を照らし、花の香りが満ちる回廊を、聖女ミレイアは無言で歩いていた。

 白銀の刺繍が施された聖衣をまとい、淡い金髪をゆるく結い上げた姿は、まさに神に仕える乙女そのもの。行き交う神官や神殿務めの侍女たちは、皆一様に頭を垂れる。


「聖女様、おはようございます」

「本日もお美しく……」


 ミレイアは微笑みだけで応えた。彼女のそばには、一歩下がって騎士ルークが付き従っている。

 昨日から正式に護衛についた彼は、余計なことを言わなかった。ただ必要な距離を保ち、彼女を守る位置に立っている。これが当然なはずなのに、妙に気になる。昨日のように無遠慮に話しかけてくるのかと思ったが、今日は驚くほどにわきまえているようだ。その本音を聞こうとして意識を向ければ、


(足元に段差があるな。転ばないように気を付けておこう)


 そんなことしか考えていない。何なのよ、本当に。そんな苛立ちを抱えたまま、今日最大の憂鬱が待つ場所へと向かう。

 王宮の謁見室。今日は王太子との定例会合の日だった。






 王太子アレクシス・レイヴェルは、玉座の脇に設けられた席で微笑んでいた。蜂蜜色の髪を整え、白い礼服を隙なく着こなし、柔和な笑みを絶やさない男。令嬢たちが夢中になっている、美貌の王子。

 しかしミレイアは、彼のことが大嫌いだった。簡単な話だ。この男の本音はいつだって真っ黒だから。


「聖女殿、お待ちしておりました」


 にこやかな声色。ミレイアは優雅に一礼し、紙を差し出す。


『お招きいただき光栄です、殿下』


 書かれた文字を見て、アレクシスは満足げに笑みを深める。しかし直後には、彼の心の声が聞こえてきた。


(相変わらず人形のようだな。このまま黙っているのなら、使い易くて助かる)


 ミレイアの笑顔が引きつりそうになる。誰が人形だばーか。

 しかし顔には出さない。聖女らしく、穏やかな微笑みを保つ。王太子は彼女の内心に気付きもせず、柔らかい口調で続けた。


「本日は北部の瘴気浄化についてご相談したく。聖女殿のお力をお借りできれば、民も安心するでしょう」

(王都を離れさせるのもありだな。神殿から少しでも切り離せば、扱いやすくなる)

「……」


 ミレイアはそっと筆を取る。


『もちろん、民のためでしたら』

(素直で助かる。いずれ婚姻で囲い込むのもありだな)


 ぶち、と何かが切れそうになった。筆を強く握っているせいで手が震えてくる。


「ありがとうございます。あなたのおかげで我が国は安泰です」

(恐ろしいまでに人間想いの聖女だな。本人が乗り気であれば、楽で助かる)


 ミレイアは筆をおいた。そして、にっこりと微笑みながら筆記板に挟んだ紙を掲げる。


『殿下のお役に立てて光栄です』


 彼女は心の中で、王太子の綺麗な顔面を花瓶で殴る想像を巡らせていた。

 アレクシスは満足げに頷く。会合はそのまま穏やかに進み、外から見れば完璧に見えるだろう。慈愛に満ちた聖女と、聡明な王太子の協力関係。

 誰一人、聖女の胃がぎりぎりと絞められているとは思わない。


 会合が終わった頃には、彼女はすっかり疲れ切っていた。王宮の回廊を歩いている足取りもわずかに重い。セシルが心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。


「お部屋に着きましたら、お茶を淹れますね」


 ミレイアは頷く。しかしそのまま歩いていると、不意に隣から声がした。


「……お疲れさまでした」


 ぴたり、と足が止まる。声の主は、ルークだ。彼は少し後ろを歩いていたはずなのに、今は自然と隣に並んでいる。

 ミレイアはじっと彼を見た。その本音を読み取る。


(先ほどの会合で、ずっと気を張っているようだった。王太子殿下が苦手なのだろうか。俺もあの方は苦手だ。腹黒だから)

「……」


 彼女は思わず目を細める。何故、少し見ただけで分かったのか。笑顔で固まったミレイアを見て、ルークは首を傾げた。


「……失礼でしたか」

(不敬だと思われても仕方がない。だが顔色が悪い。少し、休んでほしい)


 まただ。また、本音がまっすぐすぎる。ただ彼女だけを心配している。

 ミレイアは筆記板を受け取ると、素っ気なく見えるように書いた。


『問題ありません』


 紙を差し出す。ルークはそれを読んでから、少し考える様子を見せた。それから、懐から小さな包みを取り出す。そして、白い紙に包まれたそれを、彼女に差し出した。


「差し出がましいですが。甘いものはお好きですか」


 ミレイアは眉を顰める。セシルも目を丸くした。護衛騎士が聖女に個人的な物を渡すなど前代未聞だ。だが、ただ突き返す気にもなれなかった。

 周りで誰も見ていないことを確認してからそれを受け取り、開いてみると、そこには小さな砂糖菓子がひとつ入っていた。これは確か、王都でも人気の菓子店のものではなかっただろうか。驚いて顔を上げると、ルークは視線を逸らしながら言う。


「疲れている時には甘いものが効くと、知り合いが言っていました」

(最近人気の菓子、買うのに時間がかかってしまったな。嫌なら捨ててくれてもいい。少しだけでも元気になってくれたらそれでいい)


 彼女はその菓子を見つめた。胸の奥がざわざわする。こんなふうに、見返りも求めずに何かを渡されたことなんて今までにあっただろうか。聖女としてではなく、ただ疲れている一人の人間として、気遣われたことなんて。

 しばらく黙った後、彼女は筆を取る。さらさらと短く書き、差し出した。ルークが視線を落とす。


『毒が入っていたら許しませんよ』


 一瞬の沈黙の後、ルークは吹き出した。声を殺しきれておらず、小さく笑いながら言う。


「それは、ずいぶんな疑いですね」

(少し元気になれたようで、よかった)


 その本音を聞いて、ミレイアは耳まで赤くなる。違う。そういうつもりじゃない。ただからかいたかっただけで。

 しかしそんなことを言えるはずもなく、彼女はぷいと顔を背けて歩き出した。背後で、ルークの足音が追ってくる。そのたびに、殺気の声が頭に響いた。


(よかった)


 たったそれだけの言葉が、頭から離れない。







 部屋に戻って一人になった時、ミレイアは彼から貰った砂糖菓子をじっと見つめていた。そして誰にも見られていないことを念のために確認してから、それをそっと口に入れる。

 甘さが舌の上で溶けた時、彼女は僅かに顔をしかめた。


「……甘すぎ」


 そう悪態をつきながらも、包み紙を捨てずに引き出しへしまってしまったことには、自分でも気づかないふりをした。

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