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第10話 笑顔の攻防


 レイヴェル王国の王宮から、聖女ミレイアへ正式な招請が届いた。内容は明白だ。先日の神託について、王太子自ら話を聞きたいという。神殿長は、大喜びで準備を整えさせた。


「やはり王家、神託について重く見られておられます! 聖女様、どうか国のためにお力をお貸しください」


 ミレイアは筆記板に、いつものように流れるような文字を書くだけだった。


『承知いたしました』


 行きたくない。絶対ろくなことにならない。胃が痛い。

 嫌な予想は、案の定当たってしまった。





 ◇ ◇





 王宮の応接室は、神殿の礼拝堂よりもよほど息苦しい。豪華な調度品に囲まれたその中央で、王太子アレクシスが微笑んでいる。甘い蜂蜜色の髪に、整った顔立ち。誰もが見惚れる王子らしい容姿とその笑顔。相変わらず完璧すぎて腹が立つ。


「聖女殿、お会いできて光栄です」


 柔らかな声で、優雅な所作。しかし、ミレイアの耳には別の声が流れ込む。


(まさか、王家に関わる神託とは……早急に把握しなければ。白き塔とはどこだ。第三夜はいつから数える。神託を受けた日からであれば既に過ぎているが、まだ何も起こっていない。くそ、父上に何かを言われる前に動いてしまいたい)


 かなり焦っている。そのくせ、顔には一切出ていない。ミレイアはにっこりと微笑み、筆記具に文字を書いた。


『お久しぶりです、殿下』


 アレクシスもその微笑みを崩さないまま、体面の椅子を勧めた。


「どうぞお掛けください」


 ルークが無言で椅子を引き、ミレイアはそっと座った。彼が近くにいると、王太子の本音ばかりに呑まれずに済むから、安心する。誰かの存在に安心するなんて、今までにセシル以外いなかった。






 会議は終始穏やかだ。アレクシスはあくまで丁寧に、神託についての質問を重ねる。


「何か思い当たることはありませんか。『王の血を継ぐ者』とは、具体的にどなたを指すのでしょう。それと、東より来る者というのは、異国の使節でしょうか」


 ミレイアは首を振り、短く文字を書く。


『神の御心は計り知れませんので、わたしには分かりません』


 完璧な返答だ。しかし本音は散々である。

 そんなこと知らないわよ。あんたが神様に直接聞いてみたらいいじゃない。わたしだって混乱しているのよ。

 それでも、今日の王太子はいつもより少し違う。彼の心の声には、明確な苛立ちが混じっていた。


(時間がない。白き塔というのは……まさか、北の監視塔のことか)


 ミレイアはふと眉をひそめた。彼は心から焦っている。彼は何か具体的な心当たりがあるのだろうかと考えていた時。アレクシスは、不意に視線をルークへ向けた。


「護衛騎士殿」


 突然のことに驚くことなく、ルークは一礼する。


「は」

「貴方は先日の神託の場にいたそうですね」


 空気が冷えたような気がした。ミレイアの指先はぴくりと震える。アレクシスは笑顔のままだが、その心の声は鋭い。


(聖女の異変を実際に見た者なら、何か別のことに気付いているかもしれない)


 ルークは落ち着いたまま答える。


「その場におりました」

「聖女殿に、神託の前後で何か変わったご様子は?」


 ミレイアが何も答えないから、方針を変えたのだろう。ルークは少しだけ考えるように目を伏せて、そして淡泊に答えた。


「お疲れの様子でした」


 アレクシスの眉が、ほんのわずかに動く。それだけ? とでも言いたげに。しかしルークは表情を変えることなく続けた。


「連日お努めが続いておりましたので。体調を崩されても不思議ではありません」


 嘘ではない。しかし肝心なことは何も言っていない。ミレイアは思わず彼を見た。ルークは彼女に視線を向けず、ただまっすぐと前を見ている。


(彼女が話したくないことを話す必要はない)


 胸が熱くなった。守られている。そんな感覚が、くすぐったくて困る。






 会談が終わり、王宮を出たころには夕方になっていた。馬車に揺られ、神殿に戻る途中。彼女は少し迷ってから口を開いた。


「……どうして、ああ言ったの」


 それを聞いて、ルークは少し笑った。


「何のことでしょう」

 (貴女のことが大切だからですよ)


 その心の声にむっとする。ミレイアはじとっと彼を睨みつけ、続ける。


「わたしのこと、変だと思わなかったの?」


 すべてをひっくりめて、尋ねた。ルークはしばらく黙っていたが、やがて窓の外を見ながら言った。


「……思いましたよ」


 ミレイアの胸がきゅっと縮む。しかし次の言葉は予想外だった。


「どうして無理をするのか、ずっと変に思っています」

「……」

「嫌なことは、嫌だと言ってほしい。隠したいことがあれば、隠してください。話したくなったら、話していただけたら嬉しいです。なんて、私の我儘ですね」


 彼女は視線を落とした。何、その言い方。ずるい。そんなふうに言われたら、色んなことを話したくなる。

 しばらく沈黙が続いたあと、ミレイアはそっと息を吐いた。


「……王太子が、何か知っている気がするの」


 ルークは目を見開いた。ミレイアは顔を逸らしたまま、小さく続ける。


「なんとなくだけど」

(話してくれた)


 直後に彼の心の声が聞こえてくる。その声は、とても嬉しそうで、ミレイアの耳は真っ赤になった。ルークはしばらく頬を緩めていたが、ふと表情を引き締める。


「私もそう思います。北の白い塔に、心当たりがあるようでした」


 ミレイアは驚いて顔を上げる。


「わかるの?」

「少しだけですけどね」


 ルークは小さく笑った。


「王宮勤めが長いと、人の表情を読むのが多少うまくなるのです」


 なるほど、とミレイアは思う。それで彼女のことも、よく見抜くのだ。悔しいが、少し心が軽くなった。ひとりで抱えなくてもいいのかもしれない、とそう思うことができたのだ。

 ミレイアは窓の外を見つめながら、何度目かの息を吐く。そして、ぽつりと呟いた。


「……ちょっとだけだけど」


 ルークが首を傾げる。ミレイアはそっぽを向いたまま、ぼそりと続けた。


「ちょっとだけなら、あいつに協力してあげてもいいかなって」


 彼は目を瞬いていたが、やがて吹き出した。


「……っ、ふ」

「なによ」

「いえ。申し訳ありません」

(可愛いな)


 ミレイアは即座に手に持っていた筆記板で彼の肩を叩いた。


「最低」


 しかし彼女の頬は、少しだけ緩んでいた。

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