第11話 不機嫌な護衛騎士
それから数日後。王宮図書館には、珍しい顔ぶれが揃うようになった。
聖女ミレイア、王太子アレクシス、そして聖女の護衛として同行するルーク。
神託に関する古文書調査だと称しているが、実際にかなり密な共同作業だ。
神託に出てきた「北の白き塔」が何を指すのか。「三つ目の夜」とは何を起点とするのか。「王の血を継ぐ者」とは誰のことなのか。
候補を絞るため、古い記録や地図、過去の神託を洗い直していた。意外だったのは、アレクシスが想像以上に優秀だったことだ。どうせ顔だけの腹黒王子で、適当に命令して他人を使うお偉いさまだと決めつけていたのだが。
「二十七年前の北方遠征記録を持ってきてください。それと、監視塔一覧も。年代順で並べられている物で」
指示が早く、正確だ。自部も資料に目を通し、必要な情報だけを抜き出していく。ただの顔がいい飾りなのではなく、本当に頭が切れる。ミレイアもまた筆記板に素早く書き込んで、紙を差し出した。
『北方監視塔は四つあります。ですが、その中でも白き塔と呼ばれる記録は二つです』
アレクシスは一目で読み取り、すぐに頷く。
「そうですね。監視塔の建物自体は白い場合が多いですが、すべてが”白き塔”とは呼ばれていないですからね。その二つに絞り込んで、調査を進めていきましょう」
ミレイアは少し目を見開く。同じことを考えていた。余計な質問が要らないお陰で会話が早い。そのことに感心した。アレクシスも、同じことを感じたらしい。彼は資料を閉じながら穏やかに笑う。
「聖女殿は、非常に頭の回転がお早いのですね」
(助かるな。話が通じる相手は貴重だ)
ミレイアの眉がぴくりと動いた。彼の言い方は鼻につくが、彼の気持ちは分かる。
神殿の神官たちは、何かと回りくどい。質問一つにも余計な礼節が多い。だが、この王太子は違う。目的のためなら無駄を省く。その合理的なところは嫌いではない。
ミレイアは筆を走らせる。
『殿下も、思ったよりも使えます』
アレクシスはそれを呼んで、珍しく吹き出した。
「これは手厳しい」
(思ったより、か。以前の印象はよほど悪かったようだ)
口元は笑っていて、心の声も笑っている。不思議なことに、その笑いには嫌味がない。
ミレイアは、肩の力を抜くことができた。
昼過ぎ。長机に資料を広げたまま、二人は簡単な食事を摂っていた。ルークは少し離れた位置に立ち、いつも通り護衛に徹している。
しかし、ミレイアは何となく彼の違和感に気付いていた。今日は、妙に静かだ。普段も職務中は話すことの方が少ないが、心の声が少ない。彼の心の声が、今日は全く聞こえてこない。いつもなら「可愛い」「綺麗だな」「無理をしていないか」などうるさいほどに聞こえてくるのに。
神託について集中して考えているのかと思ったが、視線を向けると、ルークは窓の外を見ているだけだった。その横顔はいつも通り整っているが、少し冷たい。気のせいだろうか。
「聖女殿?」
アレクシスの声で意識が残る。目の前に地図が広げられていた。
「この街道です。北の監視塔へ向かうには最短の道になるでしょう」
ミレイアは地図を覗き込み、口を開いた。
「でもこの道、今の時期は凍っているんじゃないの?」
言ってから固まった。アレクシスも目を丸くしている。どう切り抜けようと必死に考えていると、彼は口元を押さえ、少し笑った。
「……なるほど。やはり、お話できたのですね」
ミレイアは顔をしかめた。よりによって、一番面倒くさい相手に知られてしまった。しかしアレクシスの心の声は、意外なものだった。
(筆談だけでは細かな議論が難しかったからな。助かる)
……こんな時にも、そんなことを考えるのか。嫌なことを考えられるよりもマシではあるが、妙に腹が立つ。ミレイアはむすっとしながら言った。
「人前で話すと面倒なだけよ」
アレクシスは笑みを深めた。
「秘密を共有して頂けるとは、光栄です」
その言い方が妙に芝居がかっていて、ミレイアは顔を顰める。
「言い方が胡散臭いのよ」
「率直なお言葉だ」
そう言いながらも、彼は本気で楽しそうだ。そのやり取りを、少し離れた場所から見ているルークの表情がわずかに硬くなったことに、彼女は気づかない。ただ、資料を指差しながら、アレクシスと議論を続けていた。
「起点は神託の日からではなくて、月が関係しているのかもしれないわ。今までも、満月の夜が起点になったことが多いみたいよ」
「昨晩は満月でしたね。それならば、神託の日はおよそ二月後」
「早いわね……」
言葉を交わすたびに話が弾む。気づけば二人とも身を乗り出して、同じ地図を覗き込んでいた。アレクシスがふと微笑む。
「聖女殿」
「なに?」
「貴女と話していると、時間が経つのが早い」
ミレイアは一瞬固まった。彼の心の声が流れ込んでくる。
(本当に有能だ。これほど助かるとは。今後も協力を要請するのも悪くはない)
……そういうことか。変に意識してしまった自分が腹立たしい。
「それはどうも」
ぶっきらぼうに返すと、アレクシスはまた笑った。
日が傾く頃、調査は一旦終了した。結論として、神託にある「白き塔」とは、北辺の旧監視塔である可能性が高い。そして、三つ目の夜というのは二か月後。時間があまりない。
王太子はすぐに調査隊を編成すると言った。ミレイアも同行を申し出たが、当然却下された。
「危険ですからね」
と、表向きは穏やかであったが、その本音は、
(聖女を連れて行って何かあれば国は終わる。それに、神殿を言いくるめるのが面倒だ)
ということらしい。彼の気持ちはまあ分かるが、腹が立った。
帰りの馬車の中で、ミレイアはずっとぶすっとしていた。向かいに座るルークは、今日はなぜかほとんど喋らない。
神殿に戻り、私室に入った時。ミレイアはショールを外しながらため息をついた。
「疲れた……」
セシルがすぐさまお茶を淹れに行く。部屋にはルークと二人きりになった。いつもなら、このくらいで少し空気が緩む。だが今日は違った。ルークは、扉の傍に立ったまま動かない。静かすぎる。
ミレイアは彼に視線を向けた。
「……何? 何かわたしに言いたいことがあるの?」
ルークは答えない。少し遅れて、心の声が聞こえてくる。
(楽しそうだったな)
ミレイアは瞬きをした。ルークはようやく口を開く。
「王太子殿下と、随分打ち解けられたようですね」
その声は硬い。ミレイアは眉を顰めた。
「別に。一緒に調べものをしていただけでしょ」
「そうですね」
(俺以外の前でも、あんなに楽しそうに笑っていた)
そこで、やっと気づいた。この男は不機嫌だから、ずっと黙っていたのだ。その理由もなんとなくわかる。分かった瞬間に、可笑しくてたまらなくなった。ミレイアは口元を押さえる。
「……まさか」
ルークがわずかに眉を寄せる。
「何ですか」
ミレイアはにやりと笑った。疲れが吹き飛んでいくような感覚だ。
「やきもち?」
沈黙の後、ルークの耳が、ほんの少し赤くなった。冗談半分であったが、え、本当に? とミレイアは目を見開く。
(……何も言わない方が余計に怪しいか。だが何を言えばいい。いや、そもそもなんで殿下とあんなに楽しそうに笑っていたんだ。貴女は殿下のことが嫌いではなかったのか)
ミレイアは吹き出した。
「うそでしょ。まさかほんとに?」
「違います」
否定が遅い。しかも視線は逸らされていて、顔も心なしかむすっとしている。ミレイアはソファに座りながら肩を震わせた。
「ふふっ……あはは……!」
久しぶりに、声を出して笑った。ルークの表情はますます不機嫌になっていく。その様子がまた面白い。彼女は涙目になりながら続けた。
「だってあれ、ただの共同調査よ? 何をそんなに」
そこでふと、ルークが視線を上げた。真っ直ぐと見つめられる。その瞳は真剣で、笑えなくなった。
「……貴女様は、楽しそうでした」
その言葉に、ミレイアの笑いが止まる。その心の声は、もっと具体的だった。
(俺の知らない顔をしていた。普通に声も出して、話をして、笑って……。気に入らない)
心臓がどくんと鳴る。何それ。ルーク自身も言いすぎたと思ったのか、少し視線を逸らす。
「失礼しました。忘れてください」
彼が踵を返そうとしたその前に、ミレイアは彼の下へ駆け寄って、彼の袖を掴んだ。ルークが振り返る。ミレイアは顔を赤くしながらも、そっぽを向いたまま言った。
「……あなたの前でも、楽しそうでしょ」
声はとても小さかったが、ちゃんと届いた。ルークが目を見開いている。彼女はさらに続けた。
「あなたといる方が、楽しいわよ」
沈黙の後、心の声が、微かに響いた。
(……まじか。殿下よりも俺の方が? やばい、嬉しすぎて口が緩む)
ミレイアはその声を聞いていられなくて、彼の胸に額を押し付けた。もう駄目だ。これ以上は心臓に悪すぎる。
ルークはそんな彼女を見て、ようやく笑みを浮かべた。さっきまでの不機嫌な様子は消えていて、そのことに安心してしまうのだった。




