7 再確認
エドゥアール……この国の第三王子、末男。美貌と、芸術支援で国民から人気。王宮にほど近い屋敷に暮らしている。
デオダ……競技場の闘士。突然エドゥアールにスカウトされ専属護衛に。
デオダの教育について、マナーや社交など一般教養の覚えは早く既にほぼ問題ない、という報告が上がった。
闘技場で見た時には正直言ってそんな風には見えなかったので少し意外だった。人気があったようだから、試合後などに客から食事などに誘われたこともあっただろうか。今は、主要な貴族の名を覚えるとか、各地方の特色を知るとかいった知識教養を叩き込むことに注力しているらしい。
別に彼自身を社交界で活躍させるわけではないが、ちょっとした雑談についてきてくれるなるならそれに越したことはない。
「殿下、ただ今戻りました」
報告に来ていた教育係を下がらせると、デオダがそれをちらりと見る。
「なんだ、何か心配しているのか? 逆だ、お前を褒めていたぞ」
デオダがわずかに安堵の色を滲ませる。素直なやつだ。
「訓練はどうだった」
「はい、継続してサーベルとフルーレ、それと今日から棒術の訓練も始まりました。あれは護身に役立ちそうです」
正直言って武術の内容にはほとんど興味がないが、デオダが一生懸命話すのはこの時ぐらいしかないので、いつも敢えて詳しく聞いた。伝えようとする様子がいじらしい。
「へえ。具体的には?」
まっすぐ立つデオダは、歩法訓練を受けたせいなのか立ち姿がますます美しくなり見惚れるほどになった。
「あの……、殿下?」
真剣なつもりがつい笑顔が漏れてしまい、デオダが不思議そうに見ている。
「すまない、少し別のことを考えてしまった。お前の部屋のことなんだ。俺の寝室の前に移動してもらいたい。前室を通らないと寝室に入れないから護衛には一番の場所だ」
お互い信頼が築けたら移動、という話はデオダに言ってあった。
「一層気を引き締めてお守りします」
切れ長の目は、喜ぶとき少しだけ丸みを帯びる。
「そんなに気を張る必要はない。デオダ、少し窮屈な生活になるが本当に大丈夫そうか? 今ならまだ、闘技場に戻って自由に生きる選択肢もお前にはあるが……」
いつも通り微笑んではいたが、そう言いながら一瞬、胸にちくりとした痛みを感じた。
ただ、デオダがこの仕事を今さら断れなくなっていないかを確かめたかった。
少し強引なやり方で連れてきてしまった自覚ぐらいはある。やはりこんな形ではだめだろうか。
できれば、納得した上でここにいてほしい。
「そのような……私はこれまでで今が一番自由なのです。お傍に置いてください、どうか……」
捨てられるとでも思ったのか、デオダが縋るように一歩進み出る。
「いや、なら良いんだ。後で嫌になられたら困ると思って少し聞いただけだ。では、これからも頼めるか」
握手の手を差し出すと、ほっとして駆け寄ったデオダが喜んでそれを両手で包む。
「もちろんです。私は戻りません。貴方をずっとお守りするのが望みです」
ほっとしたのは俺も同じだった。
良かった、どうやらもう少しここに居てくれるらしい。
これまでで今が一番自由、とは不思議なことを言うな。
部屋の移動はすぐに済んだようだ。
デオダの使用人室より少し広くなったし、行き来も楽になるから、どうにかここで慣れてくれればいい。
前室を通って主寝室に入る作りなので、仮にデオダが熟睡していようと簡単には侵入できないはずだ。これから本格的に護衛に当たれる。
そう、これは護衛のためだ、あくまで。
***
この夜、デオダが部屋で剣術指南の本を読んでいると、主寝室から静かなリュートの音がぽろりと聞こえてきた。エドゥアールは日中よくチェンバロを弾くが、夜になると専らリュートの気分になるらしい。
壁を隔てて小さく聴こえる音色が何とも幸せな時間であり、きっと天国もこんな風なんだろうとデオダは思う。こんな日々がずっと続けば良いのにと、かつてない穏やかな気持ちを覚えた。
やがて、毎朝時間になると、デオダは静かなノックをして部屋に入り、カーテンと窓を開けるのが決まりのようになった。
そして水のグラスをベッドサイドに置き、そっと声をかける。
「殿下、お目覚めの時間です」
「……」
エドゥアールは極度に朝が弱く、従者の仕事のうちこれが一番時間がかかる。
それまでの係であった従者は、デオダが代わってくれたお陰で仕事が少し減ったことを喜んでいたほどだ。
予定に遅刻などするわけにいかないので、デオダは時間が迫ってくると強制的に抱き起こす。
「殿下」
「……む」
ずっと眉根を寄せて苦しそうにしているのを、微笑ましく見守る。
この時ばかりは、高邁な王子もまったくただの少年だった。
エドゥアールはベッドに上体を起こしているように見えるが、デオダが抱いているだけであり、首もぐにゃりと項垂れている。
「午前中は彫刻協会と支援についての打ち合わせ、昼食は大学教授らとの懇談です。確かあのレストランはお気に入りでしたよね」
「……ポト、フ」
「そうでした、ポトフがお好きでしたね。牛肉がとても柔らかだと教えてくださいました。今日も楽しみですね」
「……」
「殿下」
朝の会話をエドゥアールがその後も覚えているかの確率は、五分であることが徐々に判ってきた。
いずれにせよこの曖昧なやり取りをデオダは気に入って、ゆっくり起きられるよう少し早めに起こすようにした。
***
昼食会でふと思い出す。
そういえば今朝、デオダとポトフを食べる夢を見たような。なぜかあいつが俺の皿に肉ばかりを入れてきて。
今やデオダはどこへでもついてきて卒なく護衛をこなしてくれるようになった。今も部屋の隅に立ち、気配を消している。
あいつが同行すると思うと外出も公務も苦でなくなったし、屋敷で執務にあたる時も、ぼんやりと休んでいる時も、余計なことを考えずに済むようになった。
「……と、そういう諸々の事情で、教授陣の待遇の改善が必要だと思うのです。いかが思われますか、殿下」
「あ、ええ、その通りですね。検討させて頂きましょう」
「これは心強い。ありがとうございます」
部屋の隅をちらりと見ると、デオダはいつものきりりと鋭い目つきをしている。
それがたまらなく可愛いとは、おかしいだろうか。
デオダは腰に、数度の調整を終えて手元にやってきたばかりのレイピアを携えている。黒曜石とイエローダイヤモンドが煌めいてよく似合っていた。




