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第18話 温かいスープは、嘘を少しだけ溶かす

 白狼亭の食堂に、ルグラン商会の男たちが座っていた。


 三人とも、最初は落ち着かなかった。


 当然だろう。


 森で迷い、白狼に拾われ、敵かもしれない宿へ運び込まれ、目の前には王都の貴族めいた銀髪の少女がいる。


 さらに暖炉の前には、巨大な白狼。


 窓際には、こちらを睨む獣人の少女。


 逃げたくなる状況としては、かなり完成度が高い。


「……食え」


 ノアが短く言った。


 足を怪我した男が、びくっと肩を跳ねさせる。


「え、あ、はい」


「毒は入ってない」


「それ、言われると逆に怖いんだが……」


「食べないなら森に返す」


「いただきます!」


 男は慌てて木の器を持ち上げた。


 ミラさんのスープは、今日も湯気を立てていた。


 野菜と豆、干し肉を煮込んだ白狼亭のスープ。


 森で冷えきった体には、それだけで十分すぎるほどの薬だった。


 三人は最初こそ疑うように口をつけていたが、一口飲んだ瞬間、表情が変わった。


「……うまい」


「なんだこれ」


「体が、ほどける……」


 短剣を持っていた気の強そうな男まで、器を両手で抱えて黙り込んだ。


 ミラさんは少しだけ安心したように笑った。


「おかわりもあります。焦らず食べてください」


 エリスは、その様子を椅子に座ってじっと見ていた。


 優しい顔ではない。


 でも、怒鳴りつけるわけでもない。


 相手が温まり、警戒を緩め、口を開きやすくなるのを待っている。


 公爵令嬢というのは、剣を抜かずに相手を追い詰めるらしい。


 俺は足を怪我した男の包帯を締め直した。


「痛むか?」


「少し。でも、さっきより楽だ」


「黒い泥が傷に残っていた。今夜は歩かない方がいい」


「歩く気なんかねぇよ……森はもうこりごりだ」


 男は心底怯えた顔で言った。


 その反応は演技には見えない。


 エリスが静かに口を開いた。


「名前は?」


 三人が揃って顔を上げる。


「あなたたちの名前よ。所属と役目も」


 短剣の男が警戒したように口を閉ざす。


 だが、足を怪我した男が先に答えた。


「……俺はジム。ルグラン商会の下働きだ。荷運びと雑用」


「俺はカイル。同じく下働き」


 震えていた若い男が続く。


 最後に、短剣の男が渋々言った。


「バート。護衛見習いだ」


「見習い?」


 ノアが低く言った。


「森では役に立たなかった」


「うるせぇな!」


 バートが言い返しかける。


 その瞬間、白狼が暖炉の前で片目を開けた。


 バートは即座に黙った。


 学習が早い。


「あなたたちは、なぜ森に入ったの?」


 エリスが聞く。


 バートは答えない。


 代わりにジムが器を置いて、弱々しく言った。


「荷を回収しろって言われたんだ」


「何の荷?」


「知らない。本当に知らないんだ。俺たちは浅い森の古い沢まで行って、そこに置かれた小袋を取ってこいって」


「これ?」


 ノアが蔓で包んだ黒い小袋をテーブルの上に置いた。


 三人の顔色が変わった。


 エリスが目を細める。


「知らないと言う割には、反応が正直ね」


「中身は知らない!」


 カイルが震える声で言った。


「ただ、絶対に素手で触るなって。破ったら弁償じゃ済まないって。あと、白い獣を見たら逃げろって言われた」


 白狼の耳が動く。


「誰に?」


 エリスの声が冷たくなる。


 三人は顔を見合わせた。


 バートが低く言う。


「名前は出せない」


「なら、森に返す」


 ノアが即答した。


「おい!」


「森は嘘つきを嫌う」


「脅しかよ」


「忠告」


 ノアの目は本気だった。


 ジムが青ざめながら口を開く。


「監督役の男だ。俺たちは“灰羽の旦那”って呼んでる」


「本名は?」


「知らない。ルグラン商会の正式な番頭じゃない。けど、みんな逆らわない。黒い外套で、左手に銀の手袋をしてる」


 エリスの表情が変わった。


「銀の手袋……」


「知っているのか?」


 俺が尋ねると、エリスはゆっくり頷いた。


「父の屋敷に出入りしていた男かもしれない。顔は見たことがないけれど、使用人が噂していた。ディオンが夜に会っていた“銀手袋の商人”」


 ハーゲンが腕を組む。


「ルグラン商会の表帳簿には出ない人物でしょうな。裏の素材回収を仕切る者かもしれません」


 エリスはジムたちを見た。


「その男は、どこにいるの?」


「知らない。俺たちは村の東にある古い荷置き場で指示を受けただけだ」


「次の指示は?」


 バートが唇を噛む。


 エリスは見逃さなかった。


「あなたは知っているわね」


「……知らねぇ」


「バート」


 ジムが小さく言った。


「もう無理だ。あれは普通の仕事じゃねぇ。森もおかしい。白狼も本当にいた。黙ってたら俺たち、また行かされるぞ」


「だからって話したら商会に殺される!」


 食堂が静まり返った。


 その一言で、三人の立場が見えた。


 彼らは黒幕ではない。


 使われている側だ。


 商会に属してはいるが、逆らえば切り捨てられる末端。


 ミラさんが静かに言った。


「白狼亭の中では、誰もあなたたちを殺しません」


 バートが睨む。


「宿の女将が何を保証できるんだよ」


「ここは、白狼亭です」


 ミラさんはまっすぐ答えた。


「困っているお客様を、外へ放り出したりしません」


 バートは何か言い返そうとした。


 だが、暖炉の火と白狼と、温かいスープの器を見て、言葉を失った。


 嘘をつくには、ここは温かすぎるのかもしれない。


 バートは深く息を吐いた。


「……夜明けだ」


「何が?」


「夜明け前に、別働隊が森へ入る。封じ石って場所の近くだ。俺たちは、その準備用の荷を集めるだけだった」


 ノアの耳が鋭く立つ。


「封じ石に何をする」


「知らねぇよ! ただ、“残った白い守りを剥がす”って灰羽の旦那が言ってた」


 白狼が立ち上がった。


 低い唸り声が、食堂の床を震わせる。


 ミラさんが息を呑む。


 ノアの顔から血の気が引いていた。


「白い守り……封じ石に残ってる白狼様の封印」


「それを剥がされたら?」


 俺が聞くと、ノアは答えなかった。


 代わりに、白狼が深く唸る。


 その声だけでわかった。


 最悪だ。


 封じ石から黒牙が完全に出る。


 エリスが立ち上がった。


「時間がないわ」


 ハーゲンも頷く。


「夜明け前なら、今すぐ準備しなければ間に合いません」


「待ってください」


 ミラさんが言った。


 全員が彼女を見る。


「森へ行くなら、食べ物と薬草水、布、ランタン、縄。あと、怪我人をここに残すなら見張りと手当ても必要です」


「ミラ」


「急いでいるのはわかります。でも、準備しないで飛び出したら、助けられるものも助けられません」


 エリスは一瞬だけ黙った。


 そして、小さく笑う。


「本当に、あなたが一番冷静ね」


「冷静ではありません。怖いです」


 ミラさんは正直に言った。


「でも、怖いからこそ、ちゃんと準備します」


 俺は工具巻きを握った。


 封じ石。

 黒牙。

 灰羽の男。

 ルグラン商会。


 白狼亭が目覚めたことで、向こうも動き出した。


 こちらの修復は、まだ途中だ。


 屋根も、井戸も、風読みも、星見の間も完全ではない。


 でも、待ってはくれない。


 白狼が俺を見る。


 金色の瞳に、静かな決意が宿っていた。


 ノアも短剣を握る。


「私が案内する」


 初めて、彼女の方からそう言った。


「封じ石まで。今夜」


 ミラさんは深く息を吸い、厨房へ向かった。


「では、夜食を作ります」


 エリスは宿帳と星図を引き寄せた。


「私は行けない分、道と敵の動きを整理するわ」


 ハーゲンは荷の中から携帯用の灯りと防水布を取り出す。


 ガランさんは太い縄と手斧を持ってきた。


 村長は村人たちへ声をかけ、宿に残る者と森へ同行する者を分け始める。


 そして俺は、テーブルの上の黒い小袋を見た。


 白狼亭に運ばれてきた、小さな証拠。


 それは同時に、森の奥で何が起きようとしているかを知らせる警告でもあった。


 暖炉の火が、いつもより強く燃えている。


 白狼亭は今夜、ただ客を迎える宿ではいられない。


 森へ向かう者たちを送り出し、帰る場所として灯りを守る宿になる。


 ミラさんのスープの匂いが、食堂に広がっていく。


 恐怖も、怒りも、嘘も。


 その温かさの中で、少しずつ形を変えていくようだった。

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