第十一回 馮迅、至宝を背に懊悩す
「剣も刀も槍も散々盗んできたようだが、この儂の斧はどうかなっ! 儂に負けるようならっ、おひいさまの護衛は代わってもらいますぞっ!」
そう言って、熊崩山はもう一度ドスンと斧の頭を地面に叩きつけた。
太陰教の十大分家はそれぞれに独自の武術を磨いて本家を補佐する。序列第三位――今は一位らしいが――の熊家の家伝武術は斧術である。それも一見ではそれと理解しがたいほど巨大な斧を用いた。
木製の柄は短槍ほどの長さがあり、先端に付いた刃は大人の胴体ほどもある。
「……ちょっと貴方、斧の相手はしたことがあるの?」
白怜が珍しく気遣わしげに聞いてくる。
「斧か。はて、どうだったかなぁ」
太古、斧は戦いの象徴だった。君主が将軍に軍権を預ける際にその証しとして斧鉞を与えたと言うほどだ。
しかし現在、武術として斧を第一の武器とする流派はほとんど存在しないのではないだろうか。重心が極端なまでに先端に寄った斧は取り回しが非常に悪く、武術の目指す精妙な術理や理合といったものとの相性が極めて悪いのだ。
「ちょっと、大丈夫なんでしょうね? 今さらお目付け役の帯同なんてまっぴらよ」
「まあ、なんとかなるだろうさ」
「ふははっ、軽く言ってくれるではないかっ。噂の偸刀鬼と言えど、この十大分家序列第一位熊崩山の斧を奪えるかなっ?」
熊崩山が大斧を肩に担いだ。
そう、巨漢であり、二の腕など子供の胴回りほどもありそうな熊崩山をして肩に担ぐことで保持している。肉体的な強さにおいては鍛え上げた常人以上ではない馮迅ではあの大斧は持ち上げることすら難しい。持つことすら出来ないものを、果たして奪えるのか――
「いきますぞっ! うおおおおおお~~っっ!!」
熊崩山は怒号を上げバタバタと忙しい足さばきで間合いを詰めると、盛り上がった肩の筋肉で押し出すようにして大斧を振り下ろす。
「おおうっっ!?」
そっと手を添え導いてやると、大斧は熊崩山の手からすっぽ抜けて旋回しながら明後日の方向へと飛んで行く。
「ちょっ、ちょっとそこで待っておれ!」
熊崩山は駆け足で斧を拾いに行くと、肩に担ぎ直してまた駆け足で戻ってくる。
「わ、儂としたことが今のはちょっと失敗したわいっ。もう一度だっ!」
再び大斧は振り下ろされ、同じく再びすっぽ抜け飛んでいく。一度目よりも飛距離が出た。
偸刀鬼などとあだ名されているが偸盗は目的ではない。馮迅とすれば奪うまでもなく、相手の手から得物が失われてしまえばそれで良いのだった。
「くうっ、そこで待っておれよっ!」
もう一度熊崩山が斧を拾い直して戻る。
大斧を振り下ろしてさらにもう一度。再三、再四――
「はあっ、はあっ、はあっ。やっ、やるではないかっ、若造っ」
十数度も繰り返した後、熊崩山は膝に手を付き肩で大きく息をした。
大斧での一撃はそれ自体が奇手であり、不意打ちのようなものだ。江湖でも稀有な得物である斧、それも馬鹿げた大きさの巨斧ともなれば相手は必要以上に警戒する。そこへ大振りで明け透けな一撃を叩きこめば、さらに相手は委縮して普段通りに戦うことなど出来ない。が、馮迅にとっては旧知の得物であり技である。不意打ちは成り立たない。
――それに、そうでなくともこれはなぁ。
下山以降に出会った莫進や無影剣と言った使い手達にこんな奇手は通用しないだろう。初手を避けて斬られるか、あるいは初手を振るう前に斬られるかだ。
子供の頃はその迫力に感動したものだが、今にして思えば十大分家の技と言うのは熊家に限らず奇策に走ったものが多い。武術本来の腕前で江湖の一流の達人に通用するのは序列第二位だった虎家の当主や、序列第一位で江湖を震撼させた父龍捷くらいのものであろう。
「うっ、くっ、――はっはっはっ、確かに噂に偽り無しのようですなっ! いやぁ、お見事お見事っ、すっかりしてやられましたわいっ」
ついにはその場にへたり込んでしまった熊崩山は、ぴしゃりと額を叩き大笑した。
「はぁっ、だらしないわね、熊崩山。仮にも十大分家の序列一位ともあろう者が、こんな間抜けにあっさりと」
「ははっ、そうは申されましても、龍大兄がお隠れになり、虎の兄貴は固辞されたものだから、繰り上がりで序列一位となっただけですからな、儂など」
「それはそうだけれど。もう少しは頑張ってもらわないと、太陰教の面子と言うものがっ」
白怜が悔しそうに睨みつけてくる。いったいどちらに勝って欲しかったのやら。
「しかし、偸刀鬼にこれだけの腕があるのなら、これは何とかなるかもしれませんな。いやぁ、こいつは助かりましたぞ」
「……? 何の話をしているのよ?」
「はい、実は萊山を目指しているのはおひいさまだけではありませんでな。――お坊っちゃんも萊山襲撃を目論んでおられます」
「ええっ、兄さんも?」
「当然狙いはおひいさまと同じ物でしょうな」
「くっ、兄さん、本気なの?」
「いくらあのお坊っちゃんでも、冗談で五岳の一角に襲撃を仕掛けはせんでしょうな。実際、お坊っちゃんがおひいさまよりも先に例の物を手に入れたなら。……十大分家のうちのいくつかはあるいはお坊っちゃんを次期教主と認めるやもしれませんな」
「貴方はどうなのよ、序列第一位の熊崩山?」
「儂はいつだってご兄妹双方の味方ですぞ」
「ちっ」
「とはいえ、お坊っちゃんのやり口は少々手荒すぎますからな。今、五岳の恨みを買い過ぎるのは得策とは言えません。よって十大分家序列第一位の熊崩山っ、今回ばかりはおひいさまに付きますぞっ」
「また都合の良いことを言って」
「はっはっはっ、おひいさまにとっても都合が良いのだから、良いではないですかっ」
「まったく」
「――太陰教では代々女性が教主を務めるもんだって聞いたけど?」
「身内の話よっ、貴方が口を挟むことじゃないわっ! あっちへ行ってなさい、偸刀鬼っ」
白怜にしっしと追い払われる。実際は口を挟む資格なら大いに有るのだが、仕方がない。
――しかし“例の物”か。
馮迅は久しぶりに肩に掛かるわずかな重みに意識を向けた。下山以来ずっと背負い続けてすっかり体の一部のようになった布袋だ。
中に入った長剣は太陰教に伝わる至宝であり、教主の証しでもある。
天然自然より生れ出た稀代の毒器であり、開祖がこの剣を手にしたことで太陰教の歴史は始まったとされる。分家では唯一父龍捷だけが使用を認められ、江湖に災厄をもたらし、――そして父の死と共に教団から失われた。
例の物と言うのはこの剣のことだろう。父を討った馮一剣の岱山派に潜入し、馮一剣と格別親しかった李仙姑の萊山派に次の狙いを定めていることからして間違いない。
「――何をぼさっとしているの、萊山へ急ぐわよっ」
どうしたものかと考えていると、今度は白怜に手招きでせっつかれる。ひとまず熊崩山も帯同して萊山へ向かうということで話がまとまったらしい。
――しかしこれ、本当にどうしたもんかなぁ。
十数年、天問山の頂に無造作に突き立てられ放置されていた毒剣“黒無常”。いつしかすっかり毒が抜けて今やただの長剣でしかない太陰教の至宝を背に、馮迅は頭を悩ませるのだった。




