第十二回 萊山乙女、駄弁る
「今度の交流会、岱山からはどなたがいらっしゃるのかしらっ?」
「そうねぇ、前回は掌門の林不惑様とその一番弟子の王達様だったでしょう? 前々回は確か莫進様と……」
「その一番弟子の趙暁明様っ」
「ああ、そうそう、あの顔だけのお兄さん」
山門前の掃き掃除をしながら萊山派の弟子達が会話に花を咲かせる。
萊山派は女性だけの流派であり、必然雑用を任されるのは入門したての年若い娘ばかりである。姉弟子たちの目から解放されて、話題は自然と少々俗っぽい方向へと流れて行く。
「顔だけって、また辛辣ねぇ」
「だってあの人、うちの弟子みーんなに負けちゃったじゃないの。“女性に剣を向けることなど出来ません”なんて言い訳までしちゃってさ」
「その情けないところが可愛いんじゃないの。ねっ、そう思うわよね?」
「私はその二人なら王達さんの方が可愛いと思うけどなぁ」
「えー、どこがぁ? 強くておっきくてなんだかぬぼっとしてて、可愛いとは対極じゃないの」
「あー、でもなんか分かるかも。容姉さんとの試合で姉さんの着衣が乱れちゃった時の取り乱しようとか、ちょっと可愛かったかも」
「そうなのよっ。岱山派の次期掌門で五岳の若手筆頭なんて言われてるくらいなのに、とっても純朴そうなところが良いのよっ」
「えー、趣味悪くない?」
「顔だけしか見てない貴方に言われたくないわよっ」
「ねえっ、秀蕾。貴方はどう思う?」
「――あの、お姉様方、お話ばかりしていないでもう少し真面目に掃除をしましょうよ」
話題を向けられた一番の新入り――夏秀蕾は呆れ口調で返した。
「ああー、そういえば秀蕾はまだ交流会に参加したこと無いものね。退屈な話を聞かせちゃったわね」
「いや、そういうことを言っているわけではなくてですね」
「ああそうか、どっちにしろ秀蕾には関係ない話か。岱山派のお弟子さんなんて貴方の眼中にないものね?」
「そうそう、秀蕾は恩人の馮お兄様に夢中だものっ」
「ちょっ、誰があんなお馬鹿をっ」
「お馬鹿だなんて、愛しい愛しい馮お兄様にずいぶんな口のきき方するのね」
「だからっ、違うと」
「違わないでしょう。名前が出た途端、そんなに顔を真っ赤にしちゃって」
「うっ、くうっ」
頬の熱を自覚し、夏秀蕾は反論の言葉を呑み込む。
「それにしてもいったい何者なのかしらね、その馮迅って人。師母もご存知だったみたいじゃない?」
「それもずいぶんと親し気なご様子だったわよね。“萊山の目の前まで来ておいて顔も見せないなんてどういうつもりかっ”なんて珍しく声を荒げていらっしゃったけど」
「あ、ひょっとして噂の師母の男だったりして」
「噂って、……ああ、二、三か月に一度師母は山を下りて数日戻らないから、男にでも会ってるんじゃないかってあの話? う~ん、さすがにそれは、――あり得るわねっ」
「どうする、秀蕾? 師母が恋敵になっちゃうかもしれないわよ?」
「恋敵って。ないない、さすがにそれはないですって」
「分かんないわよぉ。師母、お年の割にすっごく若く見えるし、お綺麗だし」
「だからこそ山育ちで世間知らずの馬鹿となんかじゃ釣り合いませんよ。萊山派開祖、天下の女傑李仙姑が相手にするほどの男じゃありません」
「ふ~ん、まるで弟子の自分となら釣り合うとでも言いたげね」
「恋敵ってのも否定しなかったわね」
「まっ、劇的に命を救われたんなら好きになっちゃうのもしかたないわよねぇ」
「だから違いますって、――って、お姉様方? どうされたんです?」
上機嫌に話していた姉弟子達の身体がふらふらと揺らぐ。
「あ、あらぁ?」
「ごめんなさい、なんだか、……っとっと」
「あ、危ないですよ。具合が悪いのなら、お休みになってください」
「え、ええ、そうさせてもらおうかしら」
「もうっ、そんなところにお座りにならず、休むのならお部屋に。みんなして、いったいどうしちゃったんです? ――っ!?」
姉弟子たちの様子を見ようと屈み込んだ瞬間、不意に膝から力が抜けた。そのまま前のめりに身体が傾ぐ。
咄嗟に踏み出そうとした足も、受け身を取ろうと持ち上げようとした腕も、本人の意に反してぴくりとも動いてくれない。むき出しの顔面に地面が迫るも、思考に靄がかかって激突の恐怖すらが曖昧だ。
「……あ」
完全に意識を失う直前、夏秀蕾はふわりと優しく抱き留められた。どこか懐かしい――
「危うく怪我をさせるところだったぞ、祭酒様」
「うっさいわねぇ。五岳派は太陰教にとって殺したって飽き足らない仇敵なんだから、そんな細かいことに構っていられないわよ」
と言いつつ、今回も白怜が使ったのは眠りに誘う“睡蓮”だ。実に穏健に門前の弟子の排除を成し遂げている。
「そんなことよりその娘、貴方の知り合いなの? 恩人だとか言っていたけれど?」
睡蓮を嗅がせるために山門近くの繁みに隠れてしばし様子を伺っていた。少女達の会話もばっちり聞き取れている。
「ああ、天問山を降りてすぐに知り合った子でな。むしろ俺にとってこそ大恩人なんだ」
師父の死後、たいした目的もなく下山した。
師父の“世間を知ってこい”という言葉があったし、岱山派の関係者にご挨拶の一つもしておこうと言う気持ちもあった。かつての縁者達の近況もせっかくなら知っておきたい。そんな漠とした心持ちでしかなかったから、ある程度江湖を巡って世間を知ったなら再び師父と暮らした天問山に籠ろうと思っていたのだ。
今は、もう少し江湖で生きてみようと言う気持ちになっている。
“あんたはこれから先、どんなクズの命も助けなさい”、そして“誰よりもまず自分自身の命を守りなさい”という夏秀蕾と交わした約束が馮迅の行動方針であり、ひいては江湖を生きる目的とすらなっているのだ。――もっとも後者は強敵を前に破り掛けたこともあったが。
「ずいぶんと親し気な様子だったじゃない。馮お兄様なんて呼ばせちゃって」
「呼んでいたのは別の弟子のようだったけれど」
実際には“あんた”とか“この世間知らず”とか、ましなところで“馮迅”と呼び捨てにされた覚えしかない。
「ちょっとちやほやされたぐらいで良い気になるんじゃないわよっ」
ふんっと白怜が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「おひいさまっ、そんなことよりもこの娘たち、気になることを言っておりましたぞ。偸刀鬼よ、お主、李仙姑と知己と言うのは真か?」
「ええ、師父の親しいご友人で」
「そりゃあこの間抜けは馮一剣の弟子を騙っているのだから、李仙姑とだって知り合いでしょうよっ」
「いえっ、そういう問題ではっ。問題はその話が萊山派の弟子の口から出たと言うことで」
「あら、言われてみるとおかしいわね。ああでも、この間抜けが師父と暮らした天問山とやらは萊山の近くにあるって話だったわね。――なるほど、師父と李仙姑が友人と言うのは事実なのね。それで同じく李仙姑の友人である馮一剣の弟子だなんて騙りを思い付いたってわけね」
「ははっ、まあそういうことにしておくかな」
白怜が勝手に推理して勝手に納得する。
どうあっても馮迅が馮一剣の弟子などと言う話は信じる気になれないらしい。まあ天下第一剣の弟子が剣術も使えなければ刃物自体苦手だなんて、信じろと言う方が無理があるか。
「……むむぅ」
熊崩山は首をひねりつつも次期教主の言葉に異議を唱えはしなかった。ここで無駄に揉めて貴重な戦力を失う愚を避けたか。
「李仙姑と言えば、その子達が言っていた話は本当なの?」
「どの話のことだ?」
「貴方が李仙姑の男で、李仙姑が貴方の元に通い詰めていたって話よ」
「なんだ、その話か。秀蕾も言っていたけど、李仙姑が俺なんか相手にするはずないだろう」
もっとも彼女達の会話には“当たらずも遠からず”なものも一部含まれていたが。
「まあそりゃあそうよね。それじゃあただの師父の友人ってだけなのね?」
「いや。むこうがどう思ってくれてるかは分からないけど、俺にとっての李仙姑は、――母さんの一人ってところかな。」
「母さんの一人? なんだかおかしな言い回しね。まるで母親が何人もいるみたいな――」
そこで白怜は言葉を切った。
五十八人の母親達の献身の果てに生まれた一人の息子の存在に思い至ったのだろうか。
「……それにしても確かに不穏な者どもが萊山の周りに潜んでいるみたいだな、それもかなり多い」
馮迅は話題の矛先を変えた。――正体を明かす踏ん切りも付けていないくせに、ついそれらしいことを言って気を引いてしまうのは我ながら未練ったらしい。
「貴方、そんなことまで分かるの?」
「俺がと言うより、虫や鳥、動物たちがな。山が静かすぎる。これは十や二十じゃきかないくらいの人数が山に入り込んでいるな」
山育ち、それも天問山があるのは萊山から程近い。この季節、この辺りで普段どんな虫が囁き、鳥がさえずるのかは熟知している。それが今日はあまりに静かだった。生き物たちが山に潜む異物を警戒しているのだ。
「でもおかしいわね。兄さんは事を成す時はいつだって一人で、部下を引き連れるなんてしないはずだけど」
「ふぅむ、さすがに五岳の一角を襲撃するともなればお坊っちゃんも慎重になられたのかもしれませんな」
「あの兄さんが? そんなことってあるのかしら?」
白怜は怪訝そうに首を傾げる。
萊山派は掌門も弟子も女性のみの流派であるが、その実力は決して他の五岳に劣るものではない。むしろ剣技においては岱山派と並んで武林の双璧と見なされており、掌門の李仙姑は馮一剣に次ぐ天下第二の剣と評されて久しい。――そんな萊山に一人で殴り込むと妹から思われるような人なのか、今の白凌岳は。
馮迅の脳裏に思い浮かぶのは、かつての自分と同じく病弱で生っ白かった白怜の双子の兄の姿だけだった。




