序章 黄昏
――あの日、太陽はゆっくりと沈んでいった。
リエラは、あの日の空を今でも覚えている。
戦争が始まって、すでに三ヶ月が経っていた。
十二歳のリエラにとって、戦争というものは、遠くから聞こえてくる砲撃の音と、日に日に少なくなっていく祖母の笑顔、その程度のものだった。
「ここで待っていなさい。勝手に動いちゃダメよ」
出発する前、セシリアはリエラの前に立ち、風で乱れた少女の髪をそっと整えた。
「わかった?」
「わかった」
リエラは素直に頷く。
「何があっても、陣地から出ないこと」
「……わかってるってば」
「勝手に魔法を使わないこと」
「わかった」
「それから、戦場には絶対に来ないこと」
「わかったって!」
リエラは不満そうに頬を膨らませた。
「私、もう子供じゃないんだから」
セシリアは笑った。
「私にとっては、いつまで経っても子供よ」
そう言って、セシリアは背を向けた。
それが、リエラが祖母の無事な姿を見た最後の瞬間だった。
――轟音。
突然、遠くで大きな爆発音が響いた。
大地が小さく揺れる。
リエラは顔を上げた。
陣地の外から、慌ただしい足音が聞こえてくる。
さっきまで整然としていた軍営が、瞬く間に混乱へと変わっていった。
「敵襲!」
「何が起きた!?」
「側面を突破されたぞ!」
リエラは呆然と立ち尽くした。
そして――
聞きたくなかった言葉が、耳に飛び込んできた。
「月影魔女様が襲撃を受けた!」
手にしていたカップが、地面に落ちた。
カラン、と乾いた音が響く。
「……おばあちゃん?」
返事はない。
リエラは走り出した。
夕日はすでに地平線へ沈みかけていた。
戦場全体が、赤黒い色に染まっている。
倒れている兵士。
遠くで燃え上がる天幕。
そして――
その中に、見慣れた人影があった。
セシリアが倒れていた。
服は血で赤く染まり、魔杖を握っていた手も力なく地面に落ちている。
その周囲には、見知らぬ男たちが数人立っていた。
そのうちの一人が、ゆっくりと武器を持ち上げる。
「魔女はここまでだ」
「――おばあちゃん!」
リエラの声が悲鳴に変わった。
少女は駆け出した。
その瞬間、何も考えていなかった。
敵のことも。
戦場のことも。
祖母の命令を破ったことさえも。
ただ一つ。
――助けなきゃ。
それだけだった。
リエラはセシリアの傍らに膝をつき、震える両手をその身体に当てる。
「治癒……!」
柔らかな魔力が掌から溢れ出す。
セシリアの傷が、少しずつ塞がっていく。
しかし――
目を覚まさない。
「足りない……」
リエラは歯を食いしばった。
さらに魔力を流し込む。
「もっと……」
治癒魔法の光が強くなる。
「早く起きてよ……」
声が震える。
「おばあちゃん……」
その背後から、足音が近づいてくる。
「先にあのガキを始末しろ!」
リエラは振り返らなかった。
ただ、必死にセシリアを見つめていた。
九歳の頃。
リエラはすでに「界魔法」を生み出していた。
人を殺す方法も、知っている。
そして――
今、自分が何をしようとしているのかも。
それでも。
一方の手では、治癒魔法を使い続ける。
もう一方の手を、ゆっくりと持ち上げた。
「……来ないで」
誰も止まらない。
「来ないでって……言ってるのに」
敵はなおも近づいてくる。
リエラの瞳から、感情が消えていく。
「……死ね」
次の瞬間。
周囲の空気が、何かに断ち切られたかのように揺らいだ。
爆発は起こらなかった。
耳をつんざくような轟音もなかった。
ただ、一瞬。
先頭を走っていた男が倒れた。
続いて、二人目。
三人目。
そして、さらに多くの者が倒れていく。
リエラは一度も振り返らなかった。
片方の手では、治癒魔法を使い続ける。
もう片方の手では、「界魔法」を繰り返し発動させる。
一人。
また一人。
次々と敵が倒れていく。
それでもリエラは、ただ同じ言葉を繰り返していた。
「早く……」
「早く……」
「早く……!」
魔力が身体を内側から引き裂きそうになる。
そして――
セシリアの指が、ほんの僅かに動いた。
「……リエラ?」
「!」
リエラが勢いよく顔を上げる。
「おばあちゃん!」
「どうして……こんなところに来たの……」
セシリアの声は弱々しかった。
それでも、いつものような叱る声音は残っている。
「陣地で待ってなさいって……言ったでしょう……」
「私……」
リエラの目から、涙がこぼれ落ちた。
「死んじゃったと思った……」
セシリアはしばらく黙っていた。
やがて、震える手を伸ばし、リエラの頭をそっと撫でる。
「……馬鹿ね」
「……」
「私はまだ死んでないわよ」
リエラは何も言わず、セシリアの服を強く握りしめた。
その頃、遠くの戦場では、未だ混乱が続いていた。
敵軍の巨大な陣形は、たった一人の少女によって大きく崩されていた。
誰も知らない。
この十二歳の少女が、一体何者なのか。
なぜ、これほどまでに恐ろしい力を持っているのか。
ただ一つ、誰もが理解したことがある。
――少女は、夕暮れの戦場に立っていた。
そして一人で、敵軍のおよそ半数を打ち倒した。
それが起きたのは、ちょうど黄昏の時間だった。
夕日が大地を赤く染める。
少女の髪さえも、赤く染める。
後に人々は、この戦いをこう呼ぶことになる。
「黄昏の戦い」。
そして、その戦場の中央に立っていた少女には――
新たな名が与えられた。
――「黄昏魔女」。
ただし、誰も知らなかった。
災厄の象徴として恐れられることになるその魔女が、あの日、最後まで願っていたことは――
たった一つだった。
自分の祖母を、救うこと。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
作者は外国人のため、日本語の表現や文法に不自然なところ、間違いなどがあるかもしれません。もしお気づきの点がございましたら、ご指摘いただけると大変ありがたいです。
まだまだ未熟な作品ではありますが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
これからもリエラたちの物語を、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




