第10話 更地に鬼灯
取り壊しまで、あと1日。
翌朝、蔵の床の石の蓋は、開いたままだった。
昨夜、ちかがずらしたままの形で、穴蔵の口が、黒くぽっかりと開いていた。3トンのジャッキでも動かなかった石が、今は、大輔が片手で押しただけで、ごとりと動いた。
大輔が、懐中電灯を持って、石の階段を下りた。
僕は、穴蔵の縁に立って、それを見ていた。
しばらくして、穴の底から、大輔の声がした。
「……蒼。警察、呼んでくれ」
かすれた声だった。
*
穴蔵の底には、小さな骨が、二人分あった。
ひとつは、ぼろぼろに朽ちた桃色の布切れに包まれていた。もうひとつは、部屋の隅で、膝を抱えるような形で、壁に寄りかかっていた。白いTシャツの、色褪せた切れ端が、骨にまとわりついていた。
その足元に、赤いクレヨンが一本、転がっていた。短く、ちびて、ほとんど指先ほどの長さしかなかった。
警察が来て、屋敷の周りに黄色いテープが張られた。
穴蔵は、屋敷の床下の空洞と、細い隙間で繋がっていたことが分かった。奥座敷の押し入れの床下から、蔵の基礎の石の隙間を抜けて、穴蔵の中へ。子供なら、這って通れるくらいの隙間だった。
その隙間は、20年前の秋の長雨で、土砂が崩れて塞がっていた。
僕が床下で突き当たった、石の壁の、すぐ裏側だった。
「かくれんぼで、奥座敷の押し入れから床下に入って、ここまで這ってきたんでしょう」
年配の刑事が、穴蔵を見下ろしながら言った。
「石の蓋は、内側からは持ち上がらない。戻ろうにも、暗くて、道が分からなくなったのかもしれない。……20年前にも、この蔵は調べたはずなんですがね。床板の下の、さらに石の下までは」
刑事は、帽子を取って、穴蔵に向かって頭を下げた。
*
午後、由紀さんが来た。
黄色いテープの外で、長いこと、蔵を見つめていた。
警察の人が、赤いクレヨンを、ビニール袋に入れて見せた。由紀さんは、それを見て、小さく頷いた。
「あの子の、です。夏休みの宿題の絵日記を描くのに、使ってたの」
それから、僕のほうを向いた。
「……ありがとう、蒼くん」
「僕は」
「見つけてくれて、ありがとう」
由紀さんは、それだけ言って、また蔵のほうを向いた。
その横顔は、泣いていなかった。ただ、ひどく静かで、疲れていて、それでいて、どこかほっとしているように見えた。
*
9月1日。
鬼灯屋敷の解体が始まった。
大輔が、重機の運転席に座った。
長屋門が、最初に崩された。黒い瓦が、音を立てて地面に落ちた。土塀が、砂煙を上げて崩れた。
母屋の屋根に、重機のアームが伸びた。
僕は、道の向かい側に立って、それを見ていた。
屋根が崩れ、梁が折れ、柱が倒れていった。20年前の夏、かくれんぼの隠れ場所だった襖も、押し入れも、縁側の柱も、全部、瓦礫の山になっていった。
仏間の床板が剥がされたとき、大輔が、重機を止めた。
運転席から飛び降りて、瓦礫の中に駆け寄った。しばらく、何かを覗き込んでいた。
それから、振り返って、僕を手招きした。
仏壇があった場所の、床下だった。
土の中から、小さな竹の虫かごが、半分顔を出していた。
編み目が、すっかり黒ずんで、朽ちかけていた。その下に、白いものが見えた。
「……ミノル」
僕は、呟いた。
大輔は、黙って、また警察に電話をかけた。
その日の夕方、一人の年配の女の人が、現場を訪ねてきた。大塚茂の姪だという人だった。叔父の遺品の整理をしていて、日記を見つけたのだと言った。
「毎年、8月の終わりに、同じことが書いてあるんです。67年間、1年も欠かさずに」
女の人は、古い手帳を開いて見せてくれた。
几帳面な、細い字だった。
『今年も、門をくぐれなかった。稔、すまん。もういいかい。』
最後のページは、去年の8月の日付だった。
『来年こそ』
それだけだった。
女の人は、手帳を閉じて、瓦礫の山に向かって頭を下げた。
「叔父は、ずっと、弟が見つからないのは自分のせいだと言っていました。……見つけていただいて、ありがとうございました」
*
夕暮れ近く、母屋の最後の柱が倒れた。
大黒柱だった。黒光りする、太い欅の柱。重機のアームに押されて、ゆっくりと傾き、地響きを立てて瓦礫の上に横たわった。
砂煙が、夕日の中に舞い上がった。
そのとき、確かに聞こえた。
砂煙の向こうから、子供たちの笑い声が。
ひとりではなかった。男の子の声。小さな女の子の声。それから、少しだけ得意げな、聞き慣れた声。
いーち、にーい、さーん。
誰かが、数を数えていた。
楽しそうに。
重機の運転席で、大輔が、ハンドルに額を押しつけていた。
作業着の背中が、小刻みに震えていた。
僕は、何も言わずに、その背中を見ていた。
笑い声は、砂煙が晴れるのと一緒に、夕方の空へ遠ざかっていった。
*
秋の初めに、柚葉の葬儀があった。
小さな葬儀だった。由紀さんと、北海道から来た柚葉の父親と、何人かの親戚。それから、大輔と、僕と、僕の母。
棺の中に、麦わら帽子と、鬼灯の実がふたつ、入れられた。
ひとつは、押し入れで拾った、萎びた鬼灯。もうひとつは、あの夜、穴蔵の中で柚葉が僕の手に載せた、瑞々しい鬼灯。
なかなおりの、ほおずき。
火葬場の煙突から、白い煙が、秋の空に上っていった。
その夜、柚葉の家の門灯が、20年ぶりに消えた。
由紀さんが、自分の手で、スイッチを切ったのだと、あとで聞いた。
「もう、帰り道が分からなくなることはないから」
由紀さんは、そう言ったそうだ。
*
1年後の、8月24日。
僕は、芦原町に帰ってきた。
有給を取って、東京から新幹線とローカル線を乗り継いで。駅前の商店は、去年よりもまた一軒、シャッターが増えていた。
坂道を上った。
竹藪の向こうに、もう、瓦屋根は見えなかった。
鬼灯屋敷の跡地は、低い鉄柵に囲まれた更地になっていた。買い手は、まだついていないらしい。
その更地の一面に、鬼灯が生えていた。
誰も植えていないのに。大輔が、解体のあとに、土を入れ替えて、きれいに均したはずなのに。
膝の高さまで伸びた茎に、朱色の実が、提灯のようにいくつもぶら下がっていた。夏の終わりの陽射しを受けて、燃えるように赤く光っていた。
「毎年、増えるんだ」
声がして、振り返ると、大輔が立っていた。作業着姿で、缶コーヒーを2本、持っていた。一本を、僕に放ってよこした。
「刈っても刈っても、次の年にはまた出てくる」
「……灯るのか。夜になると」
「いや」
大輔は、更地を眺めながら、首を振った。
「もう、灯らねえ。普通の鬼灯だ」
僕たちは、鉄柵に寄りかかって、しばらく並んで缶コーヒーを飲んだ。
蝉が、鳴いていた。
*
町の外れの墓地に、柚葉の墓があった。
小さな、新しい墓石だった。早瀬柚葉、と彫られていた。享年8歳。
墓の前に、先客がいたらしかった。線香の煙が、まだ細く立ち上っていた。花立てには、白い菊と、鬼灯の枝が挿してあった。
由紀さんだろう。
僕は、墓の前にしゃがみ込んで、手を合わせた。
それから、ポケットから、鬼灯の実をひとつ取り出した。
更地で摘んできた、赤い実。
この1年、東京のアパートで、何度も練習した。実を揉んで、種を掻き出して、皮を口に含んで。何十個も、破いた。
皮を、口に含んだ。
舌で、そっと押した。
ぎゅう、と、鳴った。
蛙の鳴き声のような、少しだけ不格好な音だった。
でも、確かに、鳴った。
「……鳴ったぞ、柚葉」
墓に向かって、言った。
「へたくそだけど、鳴った」
風が吹いた。
花立ての鬼灯の枝が、さわさわと揺れた。
そのとき。
背中のほうで、くすっと、笑う声がした。
息を殺して、それでも笑いをこらえきれないというような、あの、かくれんぼの最中の子供の笑い声。
それから、声がした。
少しだけ得意げで、少しだけ嬉しそうな、女の子の声。
「――蒼くん、みいつけた」
振り返った。
墓地の小道には、誰もいなかった。
夏の終わりの陽射しが、墓石の列を白く照らしているだけだった。
遠くの坂道の上に、一瞬だけ、赤いリボンの麦わら帽子が見えた気がした。
瞬きをすると、消えていた。
僕は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
それから、ようやく気がついた。
20年間、隠れていたのは、柚葉だけじゃなかった。
僕も、ずっと、隠れていたのだ。あの日の本当のことから。自分がしたことから。誰にも見つからないように、心の一番深いところに。
その僕を、柚葉が、見つけてくれた。
「……みつかっちゃった」
僕は、呟いて、少しだけ笑った。
鬼灯の皮を、もう一度、口に含んだ。
ぎゅう、と、鳴った。
さっきよりも、少しだけ、上手な音だった。
(了)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
見つけてもらえなかった子と、探すのをやめてしまった子。
「みいつけた」は、見つけた側の言葉であると同時に、許しの言葉でもあるのかもしれない。そんなことを考えながら書いた物語でした。
読み終えたあと、子どもの頃のかくれんぼを少しだけ思い出してもらえたら嬉しいです。
もし楽しんでいただけたら、ページ下の☆☆☆☆☆から評価をいただけると、とても励みになります。
感想も、ひと言でも大歓迎です。
この作品で、和風ホラー3作の連続投稿はひと区切りです。
ほかの2作も完結していますので、よろしければあわせてどうぞ。
『ただいまを返してはいけない部屋』
毎晩11時、玄関から「ただいま」。3回返事をしたら、終わり。
『水神の花嫁は、雨を降らせない』
日照り40日。村は、神社の娘を井戸の底へ嫁がせる。
これからも新しい作品を書いていきますので、作者フォローしていただけると、新作の通知が届きます。
また次の物語でお会いできたら嬉しいです。




