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もし日本がアラスカを手に入れていたら  作者: 如月 愁
第一章 統治まで

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第5話 アラスカ買収成立

では、どうぞ

 慶応三年十月、契約の最終的な裁可を仰ぐべく、小栗忠順は将軍徳川慶喜への上申を行った。


 この時期の江戸城内の空気を理解するためには、当時の政治日程を思い起こす必要がある。同じ十月、土佐藩を中心とする勢力からの建白を受け、慶喜は大政奉還を決断し、十月十四日、これを朝廷に上奏した。政権の自発的返上という、幕府二百六十余年の歴史において前代未聞の決断が下されたのが、まさにこの時期であった。


 小栗の提出した書状が慶喜のもとに届けられたのは、この大政奉還の決断のわずか数日前であったと複数の史料が示している。


 当時の幕閣の中でこの書状に対する反応は、大きく分かれていたと伝えられている。一部の重臣は、政権の先行きすら不透明な状況で、巨額の対外契約を結ぶことに強く反対した。すでに政権を朝廷に返上しようとしているこの段階で、新たな対外的負債を背負い込むことにいかなる意味があるのか、というのが反対派の論旨であった。


 一方、小栗をはじめとする一部の開明派官僚は、これとは全く逆の論理を展開した。政権がどのような形になろうともこの国土と、その上に立つ何らかの政府は存続し続ける。ならば、たとえ幕府という政体が終わりを迎えるとしても、その最後の事業として、この国の将来に資する資産を遺すことには、十分な意義があるという主張である。


 慶喜自身が、この二つの論理のいずれにより強く心を動かされたのか。これについて直接の証言は残っていない。ただ、後年に編纂された『徳川慶喜公伝』には、この時期の慶喜の心情について、次のような記述がある。


「公、深く思案せられしが、つひに小栗が議を容れ、契約の締結を許されたり。公曰く、たとひ我が手を離るるとも、この国の行く末のためになるならば、是非に及ばず、と」


 この記述の史料的な信憑性については、後世の歴史家の間でも議論が分かれるところであるが、少なくとも慶喜が最終的にこの契約を承認したという事実そのものは、複数の独立した記録によって裏付けられている。


 慶喜の裁可を得た小栗と榎本は、ただちにロシア側との最終調整に入った。サンクトペテルブルクからも、ほぼ同時期に、アレクサンドル二世の裁可が下されたとの報がもたらされている。ロシア側にとっても、合衆国との交渉が依然として停滞している以上、この機を逃す理由はなかった。


 そして慶応三年十一月七日、横浜のロシア領事館において、正式な譲渡契約への調印が行われた。


 調印式には、幕府側から榎本武揚、ロシア側からは本国より急遽派遣された全権公使が出席している。式そのものは、当時の外交儀礼に則った、簡素なものであったと伝えられる。立会人として、当時横浜に在留していた英国・フランスの外交官も、その場に同席していた。後の彼らの本国宛報告書には、一様に、この取引への強い驚きが記されている。


 ある英国外交官は、本国への報告書の中で、次のように記している。


「日本という、いまだ後進的とみなされてきた国家が、これほどの規模の対外取引を成し遂げたことは、我々の見立てを大きく裏切るものであった。この一件は、極東の勢力均衡に、予期せぬ波紋を投じることになるかもしれない」


 契約の内容は、おおむね前話で述べた通りであったが、ひとつ、調印の直前になって追加された条項があったことが、後年発見された契約原本の写しから明らかになっている。それは、譲渡される領土の統治について幕府が直ちに本格的な統治機構を整備することが困難な場合、一定期間、現地における暫定的な統治体制の構築を認める、という条項であった。


 この条項が誰の発案によるものか、明確な記録は残っていない。だが、結果としてこの一文が、後に「委任統治」と呼ばれることになる体制の法的根拠のひとつとして機能することになる。江戸の政情がいかに不安定であったか、契約に立ち会った当事者たちもまた、ある程度の予感を抱いていたのかもしれない。


 調印を終えた榎本は、その夜、横浜の宿で随行していた幕臣たちと、ささやかな酒席を持ったと伝えられている。何を語り合ったか、その詳細を記す史料はない。ただ、この時まだ誰も、わずか二ヶ月足らずの後に、自分たちが置かれることになる立場を、正確に予見してはいなかったはずである。


 契約成立の報せは、ただちに各国の公使館を通じて、世界へと打電された。


 ロシアより日本国幕府へ、北米大陸の領土譲渡さる――この報は、ヨーロッパの新聞各紙にも、小さくはあるが、確かに掲載されている。ロンドン・タイムズ紙は、この件について「極東の小国による、思いがけない大事業」と評し、パリの新聞各紙も、おおむね驚きをもってこれを報じた。


 だが、この報せが世界を巡るのと、ほぼ時を同じくして、江戸ではすでに、次の局面に向けた歯車が、静かに回り始めていた。


 十一月九日、慶喜は朝廷に対し大政奉還を正式に上奏した。そしてその先に待っていたのは、誰も望んではいなかったはずの武力衝突への道であった。

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