設定集(忘れ防止用)
架空戦記『日本領アラスカ』設定資料
作品コンセプト:
1867年、財政破綻寸前の旧幕府が南北戦争の長期化によって買い手を失ったロシアからアラスカを買収する。戊辰戦争を経て、アラスカは旧幕府方による委任統治領となり、日露戦争終結(1905年)を機に正式な明治政府領となる。アラスカの資源を背景に国力を増した日本は太平洋戦争で対米辛勝を収めるが、満州では対ソ外交的敗北を喫する。
物語は2020年代、ある日本人歴史学者が自らの家系(アラスカ開拓に始まる四代の血筋)を辿りながら綴る歴史書という体裁を取る。
語りの形式:一般向け歴史読み物(歴史書)。地の文・史料引用・分析的記述を中心。
全体構成(全六章)
章
時期
内容
第一章 統治まで
1867年〜1869年頃
買収交渉、戊辰戦争、函館降伏
第二章 統治中
1869年頃〜1905年
榎本武揚らによる委任統治、開拓団の苦難、先住民同化
第三章 明治政府統治
1905年〜大正期
日露戦争終結を機に正式編入(円滑な引き渡し)
第四章 第一次世界大戦
1914年〜1918年
史実通り参戦。アラスカ資源による軍艦量産
第五章 第二次世界大戦
1930年代〜終戦
返還要求、禁輸合戦、開戦、対米辛勝、対ソ外交的敗北
第六章 現代まで
戦後〜2020年代
経済発展、研究者の執筆、火星着陸のニュース
歴史改変
1867年・買収の経緯
南北戦争が史実より長期化し、アメリカが買収交渉に応じられる状態にない。
ロシアはアラスカ防衛の負担に耐えられず売却を急ぐが、本来の買い手を失う。
財政破綻寸前の旧幕府が接触し、買収を成立させる(榎本武揚らが交渉に関与)。
買収成立直後に鳥羽伏見の戦いが勃発、戊辰戦争へ。
戊辰戦争〜委任統治の開始
戊辰戦争は史実通り進行し、旧幕府軍は敗走を続け、函館(五稜郭)で降伏。
アラスカは旧幕府方(榎本武揚ら)の委任統治領となる。
理由:買収から降伏までの期間が短く、現地統治体制が未整備。新政府も内戦直後に広大な北方領土の統治コストを負いたくない。榎本らの処遇問題(助命後の任務)としても機能する。
委任統治は1905年(日露戦争終結)まで続き、その後円滑に明治政府領へ編入される(統治者は変わらず、所属のみ変更)。
行政区分
アラスカは日本名に改称され、北海道に類する「北氷道」として位置づけられる。
道内は3国に区分:
海湾国(南部):海軍の軍事拠点(カリフォルニア攻撃部隊の出撃基地、ハワイ奇襲部隊の基地)
嶺林国(中部):資源開発・農業(一族が根を張った土地。金鉱、後に石油等)
極北国(北部):先住民の伝統的生活圏
※()内は各国の旧国名(読み方)
先住民政策
統治機構は先住民(イヌイット、アサバスカン、トリンギット等)の土地知識・生活技術を利用しつつ、同化政策(日本語教育、生活様式の同化)を進める。
描写方針:事実として淡々と記述するのみ。研究者の省察やコメントは加えない。一族(開拓団員)はこの政策の傍観者・受益者という立場に留まる。
第一次世界大戦(史実との差分)
日本の参戦・連合国側の立場は史実通り。
アラスカの資源を背景に軍艦を大量建造し、国力を伸ばす。
二代目(鉱業従事)はこの資源開発ブームを傍観する立場(直接の関与はない)。
第二次世界大戦への道
日本領アラスカがアメリカ本土への直接的軍事的脅威として認識され、アメリカが返還を要求。
交渉は決裂。経済戦争へ発展:
アメリカ → 日本:工作機械の禁輸(史実の石油禁輸に相当)
日本 → アメリカ:貴金属の禁輸(報復)
開戦の発火点(史実との反転):アメリカがフィリピンから台湾へ奇襲攻撃。
台湾防衛戦は南方艦隊が担当。
奇襲の1週間後、日本側の報復攻撃を実行(パールハーバー攻撃+カリフォルニア攻撃、同時敢行)。
太平洋戦争の結末
日本軍が真珠湾、フィリピン、アメリカ領南洋諸島を占領。アメリカ本土の一部にも侵攻。この戦果をもって講和、戦争終結(アメリカ全土制圧には至らない「かろうじての勝利」)。
講和会議中、ソ連が満州国へ侵攻(新京付近まで攻め込む)。
日本軍は猛攻撃で押し返すが、対米講和を優先せざるを得ず、最終的に外交的敗北として満州(北満州)の権益を譲歩。
一方、海軍はウラジオストクを攻撃し、ソ連極東艦隊を壊滅(全滅)させる=「陸では負け、海では勝つ」というねじれた戦果。
天城艦長・祖父(一式陸攻パイロット)は対ソ戦には直接関与せず、背景として触れられるのみ。
太平洋戦争・軍事編成
艦隊区分(3艦隊体制)
艦隊:(担当方面)
北方艦隊:北海道・アラスカ
連合艦隊:日本本土防衛
南方艦隊:台湾・南洋諸島
主力艦配備編成
大和型戦艦:大和、武蔵ともに連合艦隊
大和型空母:
信濃:連合艦隊配備
近江:北方艦隊配備
越前:北方艦隊配備
伊予:南方艦隊配備
ワシントン軍縮条約(1922年)の比率・保有量
史実との比較
史実では、主力艦保有比率は米5:英5:日3(対米英6割)、日本側保有量は31.5万トンで確定した。日本全権・加藤友三郎は当初、対米英7割を主張したが、最終的に6割で妥結している。
この物語における比率
北氷道という、本土から遠く隔たった広大な領域の独立防衛が不可欠であるという主張により、日本は史実で実現しなかった対米英7割(比率:米5:英5:日3.5:仏1.67:伊1.67相当)を勝ち取る。
主力艦保有量(基準排水量トン数)
アメリカ:50万トン
イギリス:50万トン
日本:35万トン(史実31.5万トンから約3.5万トン増)
フランス・イタリア:各16.7万トン
空母保有量
アメリカ:13.5万トン
イギリス:13.5万トン
日本:9.45万トン(史実8.1万トンから増)
日本の主力艦保有内訳(1922年条約発効時点・隻数)
史実で保有が認められた長門型2隻・伊勢型2隻・扶桑型2隻・金剛型4隻(計10隻、保有量約30万トン強)に加え、増加分の3.5万トン枠を活用し、老朽艦の代艦建造、あるいは紀伊型の一部建造継続が、条約上は可能となる。
長門型(長門・陸奥):2隻、保有継続
伊勢型(伊勢・日向):2隻、保有継続
扶桑型(扶桑・山城):2隻、保有継続
金剛型(金剛・比叡・榛名・霧島):4隻、保有継続
紀伊型(紀伊・尾張):条約上は2隻とも保有枠内で建造継続が可能となったが、後述の通り関東大震災により建造中の紀伊が損傷、結果的に1隻(尾張)のみ建造継続、紀伊は廃艦。後年、廃艦となった紀伊の代艦として、改めて「紀伊」が建造される(尾張に続く2隻目の紀伊型(空母へ簡略改造可)として竣工)。この紀伊型2隻(尾張・紀伊)は、後の昭和期、空母へと改造。
主力艦合計:史実の10隻に対し、この物語では条約発効時点で11隻体制(紀伊型1隻を含む)。トン数枠の残りは、後の代艦建造・近代化改装の余力として留保される。
日本の空母保有内訳(条約発効時点)
鳳翔:史実通り保有
天城:北氷道工廠建造のため関東大震災の影響を受けず、計画通り空母として完成
赤城:本州にて空母として改造・完成(史実通り)
加賀:史実と異なり、天城が無事であるため、当初計画通り戦艦として復元される可能性と、空母として転用される可能性の両論があったが、最終的に空母として改造(保有枠に余裕があるため、天城・赤城・加賀の三隻体制が可能になった)
史実で「天城が被災し加賀で代替」という一対一の交代劇が起きたのに対し、天城が無事であった結果、天城・赤城・加賀の三隻がすべて空母として揃うという、史実より手厚い空母戦力が、すでに1920年代半ばの時点で成立する。
大和型空母(1930年代後半・無条約時代に新規建造)
ワシントン・ロンドン軍縮条約体制が1936年に失効し、無条約時代に入ったことを受け、北氷道の資源と工業力を背景に、大和型戦艦2隻(大和・武蔵相当、連合艦隊配備)とは別に、同型の船体規格を流用した空母4隻が新たに建造される。北氷道工廠がフル稼働してこの大型艦建造計画を支える。
信濃:連合艦隊配備(本州・呉工廠にて建造)
近江:北方艦隊配備(北氷道工廠にて建造)
越前:北方艦隊配備(北氷道工廠にて建造)
伊予:南方艦隊配備(本州・長崎-佐世保工廠にて建造)
これにより、北方艦隊の正規空母8隻のうち2隻(近江・越前)が大和型空母、連合艦隊の正規空母のうち1隻(信濃)が大和型空母、南方艦隊の正規空母のうち1隻(伊予)が大和型空母という構成になる。
紀伊型2隻(尾張・紀伊)の空母改造も、ほぼ同時期(1930年代後半〜昭和初期)に行われ、北方艦隊・連合艦隊の正規空母戦力の中核を形成していく。
太平洋戦争開戦時(1941年)保有艦艇(概要)
戦艦
大和型:2隻(大和・武蔵相当、対空対雷強化型)連合艦隊配備
長門型・伊勢型・扶桑型・金剛型等:3艦隊に分散配備
空母
正規空母:合計14隻程度(史実の倍近い規模)
北方艦隊:8隻(近江・越前〈大和型空母〉、尾張・紀伊〈紀伊型空母〉、加賀を含む)
連合艦隊:3隻(信濃〈大和型空母〉、天城、赤城を含む。パールハーバー攻撃部隊として一部抜粋)
南方艦隊:3隻程度(伊予〈大和型空母〉を含む)
軽空母:北方艦隊2隻(戦闘機専用)に加え、連合艦隊・南方艦隊にも若干数
秘匿艦
八咫烏:6万トン級、ステルス型防空司令空母。連合艦隊所属(非公開)
補助艦
工作艦:旧戦艦土佐を中心に、北方艦隊向けに強化
潜水艦:史実よりやや強化された規模
巡洋艦・駆逐艦
北方艦隊:巡洋艦12、駆逐艦20
連合艦隊・南方艦隊:それぞれ史実規模に準じつつ、総数として史実より多め
技術水準
秘匿艦を除き、史実よりやや進んでいる程度(戦艦・空母にレーダー装備)。
大和型戦艦:史実の弱点(防御区画・対空火力等)を修正した改良型。2隻を連合艦隊(本土防衛)に配備。
空母機動部隊の総保有規模:3艦隊合計で史実日本の約2倍。そのうち大和型空母4隻
潜水艦等補助艦:史実より少し強化した程度。
北方艦隊(主力編成)
正規空母8隻、軽空母(戦闘機のみ)2隻、戦艦4隻、巡洋艦12隻、駆逐艦20隻。 ※準主力・補助艦はアラスカ防衛のため残留(カリフォルニア攻撃には参加せず)。
カリフォルニア攻撃部隊
北方艦隊主力(全出撃)+ 連合艦隊からの増援:大和型戦艦1隻、駆逐艦6隻、秘匿艦1隻。 → 天城(空母)はこの部隊に所属。天城艦長(四代目)が指揮の一翼を担う。
パールハーバー攻撃部隊(連合艦隊から抜粋)
正規空母3隻(一式陸攻部隊の補助的役割)、戦艦2隻、巡洋艦6隻、駆逐艦8隻。 → 攻撃の主役は空母艦載機ではなく、アラスカから飛来する一式陸攻部隊。空母機動部隊はこれを支援・護衛する位置づけ。
一式陸攻(史実でいう深山級の大型四発爆撃機)部隊(パールハーバー攻撃)
編成:小隊3機、中隊9機(3小隊)、大隊27機(3中隊)。4個大隊参加 → 総計108機。
運用:アラスカ南部基地(アッツ島)から増槽を装着して離陸。往復を前提とした作戦。
安全策:アラスカ南部基地周辺に二式大艇を待機(不時の燃料不足に対応)。
先導機:108機全体を率いる。搭乗者は祖父(三代目)。中国戦線での実戦経験(渡洋爆撃等)により抜擢。
秘匿艦
艦名:八咫烏 / 公式コード名「Y」(大和との混同を誘う攪乱目的)
艦種:ステルス性能に全振りした、艦隊大型防空司令艦。空母としての役割も兼ねる統合艦。
所属:連合艦隊所属。カリフォルニア攻撃部隊に随伴。
排水量:6万トン級
艦形:
三胴船を基本としつつ、艦首から見るとほぼ単胴船のシルエット。艦尾に向かうにつれ船体が左右(右舷・左舷)に分岐していく特殊構造。
全長約260m。配分は以下の通り:
艦首〜全長15%(約40m):完全な単胴・砕氷区画(耐氷装甲を持つ最強化区画)
全長15〜35〜40%(約50〜65m):単胴から三胴への移行部(流体力学を優先した滑らかな分岐形状)
残り全長60%強(約155〜170m):完全に三胴へ分かれた後方区画
右舷・左舷それぞれに飛行甲板(各約100m前後)、両飛行甲板に挟まれる形で中央にステルス艦橋(対空指揮・電探区画)。
上空から見ると、艦首から伸びる一本の線がY字型に分岐していく、流線型の独特なシルエット。
耐氷性能:
艦首の砕氷区画により、薄い一年氷程度であれば自力航行が可能。
本格的な多年氷帯・厚い氷盤の突破には別途砕氷艦の先導を要する(完全な砕氷艦ではない)。
戦後、北極海方面での対ソ任務(天城艦長による運用)において、この限定的な耐氷性能が活かされる。
艦載機:常用30〜40機程度。防空戦闘機(艦上戦闘機)中心、攻撃機(艦攻・艦爆)は偵察・誘導用に最小限。「攻撃力で押す空母」ではなく「広範囲の防空網の中核となる、空飛ぶ司令塔」という性格。
武装:艦橋の前後に両用砲を配置。大口径主砲は持たない対空特化型。多数の対空機関砲を併載。
発見の経緯:研究者の祖父母の遺品、およびアラスカの実家から見つかった機密資料(カリフォルニア攻撃中の空母から撮影された写真)に、公開資料にはない艦影が写っている。
正体:戦時中に秘密裏に建造されていた未公表艦。近未来的な艦形を持つ。
戦後の扱い:戦後も機密として隠され続け、天城艦長(四代目)が北極海方面の対ソ司令官に就任した際、彼の指揮下で本格的に運用される。
人物系譜(四代)
研究者(現代の語り手)の家系図。研究者から見て:
初代(没落士族・開拓団員)
↓
二代目(鉱業従事)
↓
三代目=祖父(一式陸攻先導機パイロット)
↓
四代目=父(天城艦長)
↓
研究者(東京大学・日本近代史博士)
初代(曾祖父の代)
旧幕府方の武士。戊辰戦争に敗れ禄を失った没落士族。
戊辰戦争そのものには参加せず、榎本武揚が募集した開拓団に応じてアラスカへ渡る。
中部に根を張り、開拓農民として生きる。
物語内では個人として深く掘り下げず、複数の開拓団員の一人として群像的に描く。
二代目
中部にて鉱業(金鉱、後に石油等資源開発)に従事。
第一次世界大戦期の軍艦建造ブームは傍観する立場(直接関与なし)。
三代目=祖父(一式陸攻先導機パイロット)
少年期、アラスカと本土を結ぶ定期便の飛行機を見て航空機に憧れる。
アラスカの海軍兵学校(総合)卒業後、「空」を志望し、航空機養成のため本土の海軍兵学校(空)へ移る。
中国戦線で実戦経験を積み、ベテランパイロットとして名を知られる。
太平洋戦争開戦時、108機の一式陸攻(史実で言う深山級の大型四発爆撃機)部隊を率いる先導機搭乗者としてパールハーバー攻撃に参加。
終戦後、退役。
四代目=父(天城艦長)
アラスカの海軍兵学校(総合)を首席卒業。
父(祖父)とは違う道を選びたいという思いから、空ではなく艦(水上艦)を志望。
本土の連合艦隊(練習艦隊)で実習を受け、成績優秀により若くして天城艦長に抜擢(背景:人員不足)。
開戦時、カリフォルニア攻撃部隊の一翼として天城を指揮。
終戦後、対ソ警戒のため北極海方面の司令官に就任。秘匿艦を運用し、冷戦を経験。
戦死せず。
研究者(現代の語り手)
アラスカ出身。後に東京大学で学者となる(日本近代史専門、博士)。年配。
祖父母の遺品整理の際、当時機密だったはずの資料を発見。さらにアラスカの実家からも世に出ていない資料(カリフォルニア攻撃中の空母からの写真)が見つかる。
これらの発見を起点に、自らの家系とアラスカの歴史を結びつける調査・執筆を進める。




