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もし日本がアラスカを手に入れていたら  作者: 如月 愁
第六章 現代まで。

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第1話 戦後の北氷道

では、どうぞ

 昭和二十年夏の講和から、北氷道の戦後が始まった。


 本州において、戦後の史実日本が経験した苦難、すなわち占領期の主権制限、財閥解体、農地改革といった、外部から押しつけられた構造変革はされなかった。日本は独立した主権国家として戦後を迎えており、これらの変革は内部からの、自発的な(ないし自発的であることを余儀なくされた)ものとして進んでいくことになる。


 北氷道においては、戦時中の軍需体制から平時体制への移行が最大の課題であった。


 嶺林国の鉱業は、戦時の軍需優先から民間需要を中心とした生産体制へと、転換を進めた。石炭は、戦後の復興に必要なエネルギー源として、引き続き旺盛な需要を保っていた。石油については、海湾国沖の油田からの産出が戦後の燃料需要を下支えするものとなった。北氷道の資源は、戦時においてと同様戦後においても、日本全体の経済復興において、重要な役割を担うことになったのである。


 北氷道工廠は、軍艦建造から民間造船へと、その主要業務を切り替えていった。戦後の貿易再開に伴い、商船の需要が急速に高まる中で、北氷道工廠の持つ大型艦建造能力は、民間造船においても大きな価値を発揮することになった。


 昭和三十年代に入ると日本経済は、いわゆる高度経済成長の時代に突入していく。この成長の恩恵は、北氷道にも及んだ。嶺林国では、鉱業に加えて製造業の集積が始まり精密機械、電子部品といった分野での工場立地が相次いだ。海湾国では、北氷道工廠を核とした重工業地帯が形成され、本州の主要工業地帯と並ぶ生産能力を誇るようになっていった。


 また、この時期北氷道の観光資源が注目されるようになったことも、記しておく必要がある。広大な原野、豊かな自然、そして独特の文化的な重なり(日本文化と、先住民の伝統、そしてかつてのロシア的な要素が混在する北氷道の文化的景観)は、本州からの観光客を引きつける魅力として、徐々に認識されていった。昭和三十年代後半から四十年代にかけて北氷道への航空路線が拡充され、旅行者の数が急増していったことが、当時の道庁の統計から確認できる。


 人口の推移も、この時期著しいものがあった。戦後の引き揚げと、本州からの新たな移民の流入によって、北氷道の人口は、戦前の水準を大きく上回るようになっていった。特に、嶺林国と海湾国への人口集中は顕著であり、昭和四十年代までにこれらの地域は、近代的な都市インフラを備えた人口密集地としてその姿を整えていくことになる。


 こうした発展の中で、北氷道は日本の「北の玄関口」としての地位を確立していった。本州から北氷道へ、そして北極海へとつながる航路と航空路は、日本の経済圏を物理的に拡張するものとして機能した。


 戦争という坩堝を経て、北氷道は新たな時代へと踏み出していた。

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