第13話 戦後
では、どうぞ
昭和二十年夏の終戦は、日本に勝利でも敗北でもない、奇妙な終わり方をもたらした。
太平洋においては、北氷道の死守という目的を達した。だが、北満州での対ソ外交的敗北は、講和の喜びに深い影を落とすものであった。戦争を戦い抜いた人々の多くは、自分たちが何かを得たのか、失ったのかをしばらくの間、判然とさせることができなかったと、当時の証言の多くが示している。
私の祖父(三代目)は、終戦をどこで迎えたのか。具体的な記録は残されていないが、終戦の時点で彼がなお現役の軍人であったことは確かである。彼が正式に退役したのは、終戦から一年余りが経過した昭和二十一年末のことであったと、残存する軍籍記録から確認されている。
退役後の祖父の生活について、本書が参照できる記録は乏しい。ただ、彼が北氷道の嶺林国に戻り、晩年をそこで過ごしたことは後年の戸籍記録から確認されている。飛行機に憧れた少年が、先導機として百八機を率い、ハワイの空を往復した男が、最後には自らの生まれ育った嶺林国の土地に帰った。それ以上の記録は、今のところ見つかっていない。
一方、私の父(四代目)は、終戦後も軍に留まった。
終戦直後の混乱期を経て、日本海軍は、再編の過程に入っていた。太平洋での戦争を経験した将校たちの多くがこの再編の中核を担うことになったが、父もまた、その一人であった。
父が、対ソ警戒を主任務とする北極海方面の司令官に任じられたのは、昭和二十三年のことであった。北満州での外交的敗北を経た日本にとって、ソ連の北方からの脅威は、現実のものとして残り続けていた。特に、北氷道と本州を繋ぐ航路の安全確保、そして北極海における対ソ監視は、新たな国防の課題として浮上していた。
この任務において、父が指揮下に置くことになったのが、かつてカリフォルニア攻撃の作戦海域で初めてその姿を現した、秘匿艦・八咫烏であった。
八咫烏は、終戦後もその存在を公式には明かされることなく、北方艦隊に編入されていた。ステルス性能に特化した設計と、限定的な砕氷能力を持つこの艦は、北極海という特殊な環境において、対ソ監視の任務に独自の有用性を発揮した。北極海の氷海を他の艦艇より自由に行動できるその能力は、冷戦初期のこの海域において、かけがえのない戦略的価値を持っていたのである。
父が北極海方面の司令官として任務にあたった期間は、昭和二十三年から二十八年頃までであったと推定されるが、その間の詳細な行動記録は、現在も機密指定が解除されていない部分が多く、本書では全容を明らかにすることができない。
父の没年については、本書の冒頭で述べた通り私が高校生の頃であった。その死については、本書では深く立ち入らない。ただ、彼がその生涯を戦争の時代の最前線から、冷戦の静かな海へと常に国家の防衛という課題とともに歩み続けた人物であったことは、記しておきたい。
父と祖父の世代が担った役割は、ここにひとつの区切りを迎えた。二人は、この国がかつて経験した中で最も大きな戦争を、それぞれの持ち場で生き延びた。戦死はしなかった。それだけのことかもしれない。だが、歴史という長い流れの中では、生き延びたという事実そのものが、次の世代へと何かを手渡す条件であったとも言える。
次章では、その後の北氷道と日本が、どのような歩みを続けていくことになったのかを、現代まで辿っていくこととしたい。
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