第12話 講和
では、どうぞ
昭和十九年秋、太平洋における日米の戦局は、一進一退の消耗戦の様相を呈していた。
日本はハワイ、フィリピン、南洋諸島という広大な占領地を維持しながらも、合衆国の反攻によって、その防衛線は徐々に圧迫されつつあった。合衆国もまた、太平洋での反攻を進めながら、ハワイ奪還作戦に多大なコストを支払っており、戦争の長期化は双方にとってもはや望ましいものではなかった。
こうした状況のもと、中立国スイスを介した非公式の接触が始まったのは、昭和十九年九月のことであった。当初は、いずれの政府もその存在を公式には認めないという形での、探りを入れ合う性格のものであった。だが、満州でのソ連の攻勢が続き、日本が二正面での戦争継続を余儀なくされる中で、この接触は昭和十九年末から昭和二十年初頭にかけて、より具体的な内容を帯びるようになっていった。
講和交渉の最大の争点は、当然のことながら北氷道の帰属であった。
合衆国側は当初、北氷道の返還を、講和の絶対条件として譲らなかった。日本側は、これを断固として拒絶した。両者の立場は、開戦前の外交交渉と変わらず平行線をたどった。
だが、交渉を動かしたのは、戦場での現実であった。
日本は、太平洋での一定の勝利を収めていたが、北満州ではソ連軍の圧力が続いており、二正面での消耗は限界に近づきつつあった。合衆国もまた、太平洋での反攻に膨大なコストを支払い続けることへの、国内世論の疲弊を無視できなくなっていた。双方が完全な勝利よりも、現実的な妥協を模索し始めていたのである。
最終的な講和の枠組みが合意されたのは、昭和二十年春のことであった。
主要な合意内容は、以下の通りであった。まず、北氷道の帰属については日本の主権を維持する。合衆国が開戦理由とした北氷道の返還要求は、実質的に撤回される形となった。次に、日本が占領していた地域のうち、フィリピンについては独立を認め、南洋諸島については、日本の委任統治を継続する。ハワイの帰属については、国際的な管理のもとに置くことで合意し、日米双方の軍事利用を制限する特別な地位が与えられることになった。
これは、日本にとって完全な勝利ではなかった。だが、戦争の目的であった北氷道の死守という点においては、その目的を達したかろうじての勝利とでも呼ぶべき結果であった。
一方ソ連との交渉は、太平洋での講和と並行して進められていたが、こちらは、日本にとってはるかに厳しいものとなった。北満州において、ソ連軍を完全に退けることは結局できなかった。昭和二十年夏、ソ連との間で締結された停戦協定では、北満州の一部地域における実質的な権益をソ連に認めることとなった。これが、本書で繰り返し言及してきた、対ソの「外交的敗北」の具体的な内容である。
ウラジオストクで極東艦隊を壊滅させた海軍の勝利と、北満州で押し返せなかった陸軍の苦戦。この対照的な結末が日本の戦後処理に複雑な陰影を与えることになった。
昭和二十年夏、長かった戦争が、ようやく終わった。
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