第9話 戦火の拡大
では、どうぞ
昭和十六年十二月八日の同時攻撃は、太平洋における戦争の幕開けを告げるものであった。だがそれは同時に、長く、消耗の激しい戦争の始まりでもあった。
パールハーバーへの攻撃は、合衆国太平洋艦隊に大きな損害を与えた。湾内に停泊していた戦艦数隻が撃沈または大破し、航空基地の飛行機の多くが地上で破壊された。だが、この攻撃において合衆国の空母は湾外に出ており、攻撃を免れている。これは後の戦況に、少なからぬ影響を与えることになる。
カリフォルニアへの攻撃は、サンフランシスコの港湾施設と軍事拠点に、相当の損害を与えた。だが、これもまた占領を目的としたものではなく、合衆国本土の防衛体制に心理的・物理的な打撃を与えることを主眼とした、一撃離脱の作戦であった。合衆国西岸の住民に与えた衝撃は甚大であり、その後の戦争遂行に対する合衆国世論の動向に複雑な影響を及ぼすことになる。
開戦後の数ヶ月、日本軍の進攻は順調に進んだ。南方においては、フィリピン方面の合衆国・フィリピン連合軍に対する攻勢が開始され、南方艦隊と陸軍の共同作戦によって、フィリピン各島の攻略が進んだ。アメリカ領南洋諸島についても、開戦後二ヶ月以内に主要な島々が日本軍の手に落ちた。
ハワイについては、フィリピン攻略の目処が立った昭和十七年春以降、本格的な作戦が検討され始めた。パールハーバー攻撃で生き残った合衆国の空母を含む機動部隊と、日本の北方艦隊主力との間で太平洋中部において、大規模な海戦が行われることになる。この海戦については、本書では詳述しないが、日本側が決定的な勝利を収め、ハワイへの上陸・占領作戦が実施されたことを、ここに記しておく。
ハワイの占領は、昭和十七年夏のことであった。この時点で、合衆国の太平洋における戦略的拠点は、大きく後退した。だが、合衆国の工業生産力と本土防衛への意志は、いささかも衰えていなかった。東岸の工廠では、新たな艦艇が次々と建造され、合衆国軍は太平洋の東半分において、徐々に反撃の態勢を整えつつあった。
この時期、北氷道は、戦争遂行の後方支援基地として、その機能を最大限に発揮していた。嶺林国の資源産業は戦時動員体制のもとで、石炭・石油・鉄鋼の生産量を戦前比の数倍規模に引き上げていた。北氷道工廠では、損傷を受けた艦艇の修理が行われまた、補充艦艇の建造が続けられていた。
だが、この時期の北氷道が、戦争においてのみその姿を見せていたわけではない。戦時下においても嶺林国や極北国では、農業と林業が続けられ、一般の住民の生活が、困難の中ながらも営まれていた。戦争は、北氷道の住民にとっても日常のすぐそばにある現実であったが、本州に比べれば直接的な空襲や地上戦の脅威は、この段階では、まだ遠いものであった。
しかし、戦争の重力は確実に、北氷道へと近づきつつあった。合衆国が反撃に転じ、その矛先が太平洋西部へと向かった時、北氷道は最も近い日本の領土として、最初の標的となる可能性を孕んでいた。
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