第5話 出撃前夜
では、どうぞ
昭和十六年十二月七日。
その日、北氷道のアリューシャン列島最西端、アッツ島一式陸攻(史実の深山級の大型四発爆撃機)基地では、日没後も作業が続いていた。最後の燃料補給、最後の爆装確認、最後の無線機点検。翌朝の出撃に備えた作業は、深夜に至るまで、粛々と進められていた。
百八機の爆撃機を擁する攻撃隊の先導機に搭乗することが決まっていた、私の祖父(三代目)が、この夜をどこで過ごしたか。断片的な記録が残されている。
基地の士官食堂に残された記録によれば、彼はこの夜の夕食を、部下の搭乗員たちと、同じ食卓で取っている。献立は、白米と味噌汁、煮魚であったと食堂の当番兵が後年の聞き書きの中で述べている。特別な出陣前の宴でも訓示でもなく、淡々とした、いつもと変わらぬ夕食だったという。
食事を終えた後、彼は自室に戻り、しばらく地図を広げていたとされる。アッツ島からハワイ真珠湾へ南下し、そのままマーシャル諸島(またはウェーク島)へと至る、太平洋を縦断する壮大な片道航路。何度も見慣れたはずのその地図を、彼がその夜、改めて見つめ直していたとすれば、それは儀式のようなものだったかもしれない。なお、この作戦において海軍は、燃料不足や被弾による不測の事態に備え、ハワイ北西のフレンチフリゲート礁近海に数機の二式大型飛行艇を極秘裏に待機させていた。洋上での救難・補給網までを組み込んだ、当時としては緻密を極めた作戦計画であったことが、のちに判明している。
一方、そのほぼ同じ時刻、カリフォルニア攻撃部隊とともに太平洋上に展開していた私の父(四代目)は、天城の艦橋において、翌日の攻撃目標と航路の最終確認を行っていたと、後年公開された天城の航海日誌から読み取ることができる。
航海日誌の記述は、簡潔である。
「十二月七日二十三〇〇。天候晴。風速七ノット。作戦準備完了。全乗員の士気、良好なり」
これが、天城の艦橋から見た、開戦前夜のすべてである。感慨も、迷いも、そこには記されていない。歴史書として本書がこれ以上の心情を推察することは、史料の限界から、適切ではないだろう。
ただ、一点だけ付記しておきたいことがある。
この夜、父が指揮する天城の一角に、一枚の写真が置かれていたという証言がある。出撃直前、天城の副長が艦長室に入った際に見たという証言で、後年その副長が語ったとされる内容が、遺族の手記に記録されている。
「古い写真だった。二人の人物が写っていた。一人は若い。もう一人は、少し年配だった。艦長が何者の写真かを話すことはなかった」
この写真が誰を写したものであったか、本書では確かめる手段を持たない。だが、本書を読み進めてきた読者には、想像がつくかもしれない。
父と祖父、二人が同じ夜に、別々の場所で、それぞれの翌朝を待っていた。二人の間には、何百海里という距離があった。交わされた言葉は、この時期に残された記録のいずれにも、存在しない。
昭和十六年十二月七日深夜、北氷道の夜空は、前夜に続いて、静かに晴れていた。
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