第3話 台湾沖の砲声
では、どうぞ
昭和十六年十二月一日、早朝。
台湾北部の基隆港沖合に、合衆国フィリピン方面艦隊の一部が姿を現した。
この艦隊の動向は、すでに前日から台湾防衛を担う南方艦隊の哨戒網によって把握されていた。だが、それが単なる示威行動であるのか、それとも実際の攻撃を意図したものであるのかについては、南方艦隊司令部においても、この時点では判断しかねる状況であった。
午前六時十五分、判断を待つ必要は消えた。
合衆国艦隊から発進した航空機が台湾北部の基地に対し、爆撃を開始したのである。攻撃は、あらかじめ綿密に計画されたものであることが、その精度と規模から明らかであった。基隆の港湾施設、台北郊外の陸軍飛行場、そして台湾北部沿岸の海軍哨戒基地がほぼ同時に攻撃目標となった。
この奇襲攻撃の報は、ただちに南方艦隊司令部、そして東京の大本営へと伝達された。
大本営においてこの報に接した者たちの反応は、一様にある種の安堵に近いものを含んでいたと、後年の回顧録には記されている。それは、長く張り詰めていた緊張が、ついに形を変えたという奇妙な解放感であった。
台湾への攻撃は、日本にとって数ヶ月にわたって検討されてきた開戦計画を、実行に移すための最後の引き金となった。日本が準備してきた報復攻撃計画、すなわちパールハーバー攻撃と北氷道からのカリフォルニア攻撃の同時敢行は、この台湾奇襲からちょうど一週間後に実行されることが、即日決定された。
だが、それまでの一週間、台湾では戦闘が続くことになる。
南方艦隊は、台湾防衛のための緊急展開を開始した。当初の奇襲で一定の損害を受けながらも、南方艦隊の艦艇と航空隊は、急速に迎撃態勢を整え、合衆国艦隊のさらなる接近を食い止めにかかった。
この台湾防衛戦における攻防は、後の太平洋戦争全体の経過から見れば、比較的限定的なものにとどまった。合衆国フィリピン方面艦隊は、奇襲の初撃こそ成功したものの、南方艦隊の反撃によって、台湾本島への追撃能力を大きく削がれることとなった。一週間後に日本側の報復攻撃が実施されるまでの間、台湾周辺の戦闘は一進一退の状態が続いた。
一方この一週間は、日本国内、そして北氷道において報復攻撃に向けた最後の準備が、粛々と進められる時間でもあった。
北氷道の海湾国に展開していた北方艦隊主力は、この台湾奇襲の報を受けて、ただちに出撃準備を完了するよう命令を受けた。同時に、海湾国南部の一式陸攻基地においても、出撃準備が開始されていた。
パールハーバー攻撃とカリフォルニア攻撃、二つの同時作戦を実行に移すための、最後の一週間が始まった。
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