第2話 北氷道の資源と建艦
では、どうぞ
第一次世界大戦は、海軍力の在り方を根本から問い直す契機となった。
ドイツ海軍の潜水艦による通商破壊戦、ユトランド沖海戦における戦艦同士の激突、そして、まだ萌芽的な段階にあったものの、航空機の海上利用という新たな可能性の台頭。これらの経験は、世界の海軍首脳に次の戦争における制海権争いが、それまでとは全く異なる様相を呈するであろうことを、強烈に意識させるものであった。
日本海軍も、この変化を真剣に受け止めていた。大正三年から七年にかけての戦争期間中、日本は、ヨーロッパの戦場で展開されている海戦の情報を、様々なルートから収集・分析していた。この分析の結論として、日本海軍の首脳部がたどり着いたのは、次の大規模な海上戦闘においては戦艦と巡洋艦からなる主力艦隊だけでなく、航空機、潜水艦、そして艦艇の高速化と火力の強化が勝敗を左右する決定的な要素となるという認識であった。
この認識が、大正七年以降に本格化する八八艦隊計画の策定に直接影響したことは、すでに広く知られている通りである。戦艦八隻・巡洋戦艦八隻を主力とする強大な艦隊の構築を目指すこの計画は、後のワシントン軍縮条約によって大幅な見直しを余儀なくされることになるが、計画が立案された大正期においてこれを支える資源基盤として、北氷道が果たすことになった役割は小さくなかった。
石炭については、嶺林国の炭鉱群が戦争期間中を通じて増産を続け、大正七年(一九一八年)の終戦時点での年間採掘量は、開戦前の約三倍に達していたとされている。この石炭の一部は、艦艇用燃料として海軍に供給されたほか、製鉄用の原料炭として本州の製鉄所にも送られた。北氷道産の原料炭を用いて生産された鉄鋼が、本州の工廠で艦艇の材料となり、その艦艇が北方艦隊を構成するという生産の連鎖が、この時期、初めて本格的な形で機能し始めたのである。
石油については、大正初期に本格的な採掘が始まった海湾国沖の油田がこの時期、重要な役割を担うこととなった。当時、艦艇の動力源として石炭から重油への転換が世界的に進みつつあり、日本海軍においても新造艦を中心に重油専焼あるいは石炭・重油混焼の主機関の採用が進んでいた。北氷道産の石油は、この需要に応える国内自給の供給源として、海軍省から高く評価されることとなった。
鉄鉱石については、この時期、嶺林国の山間部における本格的な調査が進み、これまで主要産物であった金鉱・炭鉱に加えて、製鉄に適した鉄鉱石の埋蔵が、複数箇所で確認されている。終戦後の大正八年から九年にかけて、この鉄鉱石の採掘を本格化させるための設備投資が行われており、これが、後の大艦建造計画において、北氷道産の鉄鋼を活用する基盤となっていく。
こうした資源の供給増大を背景に、北氷道工廠の設立計画も、より具体的な形で進展することとなった。前話(第三章第五話)でも述べた通り、大正九年に正式に設立が決定された北氷道工廠は、まさにこの第一次世界大戦の経験が、その設立を後押しした最も重要な要因のひとつであった。
この戦争が、日本の軍事的・産業的な文脈において残した最も重要な教訓のひとつは、資源の自給能力が国家の戦争遂行能力を根本から規定するという、冷厳な事実の再確認であった。資源を他国に依存する国家は戦時において、その依存を断ち切られた瞬間に、たちまち戦争遂行能力を失う。北氷道の資源はこの教訓を前にした時、日本にとって他の何物にも代えがたい国家的な資産であることがあらためて明確になったのである。
私の家の二代目が晩年、自らの仕事について語ったとされる言葉が嶺林鉱業の社史に引用されている。
「我らの掘った石炭が、艦を動かした。それだけのことだ」
簡素なこの一言は、しかし、北氷道の資源産業が第一次世界大戦を通じて担った役割の本質をよく言い表しているように本書では思う。
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