第1話 開戦と参戦
では、どうぞ
大正三年(一九一四年)七月、ヨーロッパで戦火が上がった。
オーストリア=ハンガリー帝国によるセルビアへの宣戦布告を皮切りに、同盟関係に縛られた列強諸国が次々と参戦し、わずか数週間のうちにヨーロッパ全土を巻き込む大戦争へと拡大した。後に第一次世界大戦として知られることになるこの戦争は、人類がそれまで経験したことのない規模と破壊力を持つものであった。
日本の参戦は大正三年八月二十三日のことであった。日英同盟に基づく参戦義務そして、ドイツが東アジアに保有していた権益への関心が、日本を連合国側に押し込む主な要因であった。日本はただちにドイツ領青島の攻略を開始し、またドイツ領南洋諸島の占領へと動いていくことになる。
日本の参戦が北氷道の歴史に与えた影響は間接的ではあったが、決して小さなものではなかった。この戦争を通じて、北氷道の資源が初めて国家の戦争遂行において本格的な役割を果たすことになったからである。
第二章で述べた通り、日露戦争の時期に嶺林国産の石炭が限定的な形で艦艇用燃料として供給されたという実績があった。だが、第一次世界大戦における需要の規模はそれとは比べものにならないものであった。
開戦直後から、海軍省は北氷道の資源調達を戦時体制に組み込むための協議を道庁との間で開始している。大正三年十月、海軍省と道庁の間で締結された「北方資源供給協定」は、嶺林国の石炭・石油を優先的に海軍へと供給するための枠組みを定めたものであり、以後、戦争終結に至るまでこの協定のもとで、相当量の燃料資源が、北氷道から本州の軍需施設へと送り届けられることとなった。
また、鉄鋼についてもこの時期から、北氷道産の鉄鉱石が本州の製鉄所に供給されるルートが本格的に整備され始めている。これは、第二次世界大戦期における北氷道の鉱物資源の大規模な軍需利用の最初の萌芽と言えるものであった。
もっとも日本にとってこの戦争は、ヨーロッパの列強が直接的・壊滅的な打撃を受ける中で、むしろ棚からぼた餅的な利益を享受できる稀有な国際的機会でもあった。ヨーロッパ列強がその目をヨーロッパに向けている間に、日本はアジアにおける商業的・外交的な影響力を大幅に拡大させることができたからである。
北氷道もまた、この時期、ある種の特需を享受することとなった。ヨーロッパからの物資輸送が戦争によって大幅に制限される中で、北氷道産の資源に対する日本国内外からの需要が急増したのである。嶺林鉱業をはじめとする北氷道の資源産業各社の業績は、この時期、軒並み戦前の数倍規模へと膨らんでいったことが当時の営業報告書から確認できる。
私の家の二代目は、この時期、嶺林鉱業の中核的な技術者として増産の要請に応えるべく奔走していたと考えられる。当時の嶺林鉱業の記録には彼の名が、増産計画の立案に関わった人物の一人として、複数回にわたって確認されている。彼にとってこの戦争は、自らの仕事が文字通り国家的な規模の意味を持つものとして評価される、最初の経験でもあったのかもしれない。
第一次世界大戦は、結果的に北氷道の産業的な基盤を飛躍的に強化する機会となった。この時期に積み上げられた資本と技術の蓄積が、後の大艦建造計画、そしてやがて来る第二次世界大戦期のより大規模な軍事的・産業的な動員の土台となっていくのである。
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