第8話 大正の息吹
では、どうぞ
大正という時代は、日本の近代史において特異な輝きを放つ時期として知られている。明治の重厚な国家建設の時代を経て、第一次世界大戦後の国際的な平和への希求と民主主義的な政治参加への要求が高まる中で、いわゆる「大正デモクラシー」と呼ばれる自由主義的な思潮が花開いた時代である。
この大正という時代の空気は、北氷道にも確実に流れ込んでいた。
委任統治期の北氷道はその性質上、ある程度権威主義的な統治体制のもとに置かれていた。榎本武揚をはじめとする統治機構の指導者たちは、確かに現地住民の利益を考慮した統治を心がけてはいたが、それは飽くまでも上からの施策によるものであり、住民が統治に直接参画する仕組みはほとんど存在しなかった。
この状況が、明治政府への正式な編入を機に徐々に変化し始めていた。本州に適用されていた地方自治制度が、北氷道においても段階的に整備されていくことになり大正期に入ると、道議会の設置と住民による議員選出が現実的な政治的課題として道庁と本州政府との間で真剣に議論されるようになっていった。
大正十年、北氷道初の道議会が設置された。選挙権は、当時の本州と同様一定の納税額を満たす男性に限定されていたが、それでも北氷道に入植して以来、久しく政治的な発言権を持てずにいた住民たちにとって、この制度の設置はひとつの大きな変化を意味するものであった。
この道議会の設置に際して特に活発な議論が交わされたのが、北氷道の先住民の政治的な地位をめぐる問題であった。同化政策のもとで日本国籍を持つに至った先住民については原則として選挙権が認められるはずであったが、実際の運用においては識字能力の要件や、居留地在住者の戸籍整備の遅れなどを理由に多くの先住民が事実上、選挙権を行使できない状況が続いていた。この問題は、後の章で改めて触れることになるが、大正期においては明確な解決を見ることなく、次の時代へと持ち越されることとなった。
一方経済面では、大正期の北氷道は全体として順調な発展を続けていた。嶺林国の金鉱・炭鉱・油田産業は引き続き拡大を続け、また第四章で詳述することになる第一次世界大戦期に蓄積された資本と技術が、この時期の産業発展の基盤を支えていた。
都市化の進展も、この時期に著しいものがあった。海湾国の中心都市は、北氷道工廠の設立とともに、工廠関係者やその家族を中心に急速に人口を増やしており、大正末期には、映画館、百貨店、喫茶店といった大都市的な施設が相次いで開業していたことが、当時の地方紙の記録から確認できる。
私の家の二代目は、この大正期の終わりを嶺林国で迎えている。すでに還暦に近い年齢となっていた彼は、長年勤めた嶺林鉱業の現場を退き後進に道を譲りつつあった時期である。第二章から第三章を通じて、北氷道の資源産業の発展とともに歩んできた、ひとつの人生の静かな完成を迎えつつあったとでも言えるかもしれない。
大正という時代は昭和元年(一九二六年)の改元をもって、幕を閉じる。次章では、昭和というより激動の時代に入った日本と北氷道が、いかにして第二次世界大戦へと向かっていくかその大きな流れを辿ることとしたい。
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