その八 入内
第一話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に生霊を調伏させたる語
その八 入内
馨子はゆっくりと怨霊に近づいていきました。
「どうしたの? なにかあったの?」
童女はぐずぐずと両手で目をこするようにして泣いていました。
「雀の子が」
「雀の子を飼っているの? 僕も子供の頃に飼ってたよ。雀の子は心ときめきするよね」
「伏籠の中に入れておいたのよ。だけど犬君が逃がしてしまって。せっかく慣れて可愛くなっていたのに」
「そうなの。烏なんかに見つかったら大変だ」
「烏? 食べられちゃうの?」
「そうなる前に、一緒にその雀の子を見つけよう」
手を差し出すと、童女は小さな手を伸ばして馨子につかまりました。
「どこから探そうか」
「上手くお空を飛べなかったから、きっと庭のどこかにいると思う」
「じゃあ、すぐに見つかるね」
「うん」
童女は馨子を引っ張るように、庭によくよく目をこらして雀の子を探し始めました。
馨子が一緒に探している振りでちらりと横に視線を流すと、猫の小麻呂がしっぽをくるりとはたくようにして、髭を前へ向けました。
「あ、ねえ、あちらで羽音がしなかった?」
馨子が耳をすますようにすると、童女もきょとんと上げた目をそちらに向けました。
じっと全身で音を聞き取ろうと緊張した童女は、すぐにはじかれたように駆けはじめました。
「いたわ!」
ぱっと草の間に両手を付き、大喜びで握りしめたそれを持ち上げました。小さな両手の中で小鳥が羽を振るわせ声を上げております。
「よかったね」
「うん。今度は犬君に見つからないように隠さなきゃ」
童女はくるくるとあたりを見回しました。馨子が朗らかに言いました。
「伏籠を取ってこようか?」
「うん」
庭に投げられたままだった伏籠を手に戻ってくると、童女はしゃがみ込んでいて、どうやら殿舎の下部に気をとられているようでした。
「ここにする」
しゃがんだまま、童女は馨子を見上げました。
「ここ?」
「うん。この下」
童女は雀の子を胸元にしっかり抱いて、薄暗い床下に入っていきました。
馨子もその後に続きました。
淳明さまはただはらはらとその様子を見守っておられました。
童女はただ幼い様子で馨子になついているようでしたが、この嘘の夏を生み出している怨霊なのです。
じりじりと待ち続けている淳明さまには、恐ろしく長い時間でした。
「遅い」
二人が建物の床下に消えてどのくらい経ったのでしょう。
次第に口がへの字に曲がり、眉根が寄り、淳明さまは足踏みまではじめておられました。
「うむう」
ついに淳明さまは突き立っていた自分の太刀を地面から引き抜いてしまいました。
結界がしおれるように嘘の夏に飲み込まれます。
これで退路はなくなったのです。
一度太刀を振るって先に付いていた土を払うと、鞘に収めもせず、淳明さまは馨子たちが消えた床下へ、自分も膝をついて潜り込みました。
ところが、そこは外の光の届かぬ影の中ではなかったのです。
確かに殿舎の床下に頭を入れたはずなのに、なぜかどこかしらの部屋に入り込んでいるのです。
「この部屋は一体?」
部屋としても塗籠(納戸のような部屋)のように暗かろうはずが、そこは色鮮やかな調度と、衣桁に掛けられ御衣櫃(衣裳箱)に収められた装束に埋め尽くされた、立派な部屋なのでございです。
淳明さまは呆然と立ち上がりました。
これも怨霊の力か、と淳明さまは目を見張りました。
なにより淳明さまが目を見張ったのは、女房たちに取り囲まれて佇む馨子の姿でした。
全員が同じ容貌に同じ衣裳の女房たち。
それは馨子の式神と思われました。
式神たちがかいがいしく馨子に装束を着せかけているのです。
髪を上げ、花釵(簪)を挿し、檜扇まで持つ、それは唐衣裳装束(通称十二単)でした。
馨子は着せかけやすいようにと手を少し上げていて、無理強いという感じには見えませんでした。
ですがその表情をよく見ると、あきらかに目の力を失って虚ろを見ている顔つきなのです。
「あなたのせいですからな」
突然足下で声が上がりました。
「あなたのために結界を張るので、馨子は力を使い切っていたのだ」
猫でした。
あの小麻呂でした。
目の前の現実に、淳明さまも怨霊など信じてないの奇しい物事がどうのと言っている場合ではありません。
「どういうことですか」
「一度にいくつも呪をうまく操るのは難しいのですよ。特に本人不在の結界は、よくよく気を張らねばならん。相手に気取られぬようにするだけで本当は精一杯なのだ。それなのにのこのこあなたが出てこられるから」
「では馨子さんは」
「怨霊につかまったのだ。わたしには助けられん」
猫はしっぽをぐるぐる振って、術なくうろうろするばかりでした。
自分の式神も相手の自由にされた陰陽師は、意志をすべて奪われているのです。
なす術なく淳明さまが茫然と立ちつくしていると、むっと駄々をこねた顔つきの童女が目の前に現れました。
「怨霊か」
「お父様なんか嫌い」
父と呼ばれた淳明さまでした。
怨霊は先ほど庭で見た時よりもさらにその様子が幼くなって見えました。
「お父様の悲願だからって、わたし、 入内なんかしないから」
「入内?」
「わたしは宮中なんか行かないもん」
ぱっと後ろを振り返ります。
「わたしのかわりにあのお姉ちゃんが行くの」
身支度を終えたのでしょう。馨子は美しく装ってそこに立っていました。
「入内」
淳明さまは黙し、唇を噛み締めました。
「入内は主上(帝)がお決めになられたこと。この国に断れる者はいないのです。怨霊よ、あなたが行くと決まったものならば、あなたは行くしかない」
淳明さまは太刀を振り上げました。




