その四 正体
第一話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に生霊を調伏させたる語
その四 正体
「あなたが会いに来た、陰陽師です」
「見間違いでしたらお許しいただきたい。わたしには先ほどのお姿、陰陽師ではなく、女君、に、見えました。もしそうでしたら、あなたにきまりの悪い思いをさせてしまったかと心配です」
「あなたが来るのはもうちょっと後だと思って油断していました」
文には「夕刻参る」とありました。今はもう昼とも言いにくい時間でしたが、まだ夕刻と言うには若干早かったでしょうか。
「『本朝妖草子』を読んだことはありますか?」
陰陽師がたずねました。
「残念ながら、寡聞にして、ありません」
「そうですか。読んでいてもらえたなら説明が早かったんだけど」
「自分では読んでいませんが、だいたいどういう事が書いてあるのかは察しがつくと思います」
「例えば?」
「怨霊退治、そういったありもしない 流言飛語、ただの妄言綺語でしょう。実に人々はそれをこそ、陰陽師の役柄と思いこんでいるようですけれど。 加持祈祷など、やっておけば気も済み、なんとなく安心というくらいでしょう。わたしは怨霊など見たことも感じたこともありませんので」
淳明さまの物静かで落ち着いたお声には、かすかに苦々しいものが混ざっておりました。
「ふんー。まあ、そうです。あなたの言う通り、あれはそういう話。大陰」
陰陽師が呼ばわると、先ほどはらりと落ちた式札が一つ、ひょいっと立ち上がりました。
「第一冊をお持ちして」
人形代という人の形に切り抜いた紙片に変じた式札は、人をまねるように足を交互に動かして歩いて行き、ご丁寧に手らしきあたりで壁代を持ち上げて、それをくぐってゆきました。
「これから話す事は、僕の秘密。誰にももらさないと約束してもらえますか?」
「なんのことか、わかりかねては恐ろしい気もしますが、わかりました、約束しましょう」
淳明さまはうなずきました。
「本当に、本当に、本気で、約束してくださいね」
「本気ですとも。これでもわたしは一途な男なのです」
大陰と呼ばれた式札が、草子(本)を一つ頭上に差し上げてよたよたと戻ってまいりました。
「お見せして」
大陰は草子に潰されそうになるのをなんとか踏ん張って、淳明さまの元へやってきました。やれやれといわんばかりに草子を淳明さまの前に置き、自分はその下から這い出てくると、はーっとため息をつく仕草までして、その場にはらりと落ちました。
「これを読めと?」
「はい、お願いします」
淳明さまは草子を取り上げ、広げられました。
「読んでいただきたいのは、ここから」
陰陽師がそう言ったとたん、どうやら読まなくてもよいらしき文字がぼうっと揺れはじめ、みょんと白い紙から身を剥がすと、宙に漂い出たのです。
文字はべろべろと紐のようにひと続きに部屋を飛んでゆきます。その様は羽のある長虫でも見るようでした。
「後で戻すから気にしないでください」
「うむ」
淳明さまは草子に目を落とされました。
そこには文字はさっぱりなかったので、ぱらぱらページをめくり、ようやく文字のあるところを見つけ、それを拾い始めました。
「東路のはてよりもなほ奥つかたに生ひいでたる人いかばかりかはあやしかりけむを」
名は明かせぬが京から遠いとある町に、幼少の頃からセンス抜群の才能を持った少年がいました。
生まれた日には瑞雲があり、夕暮れに「そはたれそ」と幼い口を開くので大人が見やっても誰の姿もなかったのが夜、百鬼夜行あり。
などという出来事は日常茶飯事。
人の吉凶をズバリと当て、失せものの発見、病の治癒はお手のもの。
はては津波警報を出して近隣の村々までもを救った救世主。
お株を奪われた法師などがひどい陰口をたたいて村八分にしようとたくらむほどで、少年はいっそ陰陽道の本場、京に出ようと考えるに至ります。
その頃、少年の噂が京にまで届き、偉い陰陽師がわざわざ足を運ばれて、真偽を確かめに参りました。
すると陰陽師の問いただす謎かけに、少年はすべて正しい答えを返すありさま。
これは噂は真実と大喜び。
と言いますのも、その偉い陰陽師にはあいにく息子がおりませんでした。
これはようやく自分の技を受け継ぐべき者に出会えたことだと感激された陰陽師は、早速その子の父母に話をつけて自分の弟子とし京へ連れて来たものの、半年と技を教えぬうちに他界。
そうして京には若い陰陽師が一人残されたのでした。云々。
草子にはそのような物語がつづられておりました。それ以降の文字は宙を舞っているらしく白紙です。
「そこに書いてあることは、ほぼ真実。その少年って僕のことなのです」
「なるほど。これが、あなたの秘密ですか」
それほど重大なことだったのか、少し疑わしいと淳明さまは思われたようです。それよりも、売り込みのための宣材かエントリーシートか。そういう印象をお持ちになったのでしょう。
淳明さまは感銘を受けたようでもなく、草子をそっと閉じました。
すると、文字たちが宙から引き寄せられて、草子の隙間から中に滑り込んでゆくのです。
さすがに淳明さまも気になったらしく、草子をちらっと開かれてみると、空白だったところも文字が綺麗に整って並んでいました。
こういう技を次々に見せられたのでは、少なくとも「センス抜群の才能を持った少年」の部分は、淳明さまもうなずかざるを得ません。
ところが陰陽師は、
「ううん。その物語には書かれていない、誰も知らない秘密が、もう一つあるんです」
「それは?」
「実は、僕、女なんです」




