その三 来訪
第一話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に生霊を調伏させたる語
その三 来訪
「わたしは陰陽師など、信用しておりませんのに」
淳明さまはそっと嘆息されました。
もちろん、陰陽寮は天文・暦数・風雲気色・有異密封奏聞を管掌 する大切な役所だと、よく承知してはおられますが。
「まあまあ、淳明さま。そうおっしゃらず。陰陽師にお願いすることでお母上さまのお気持ちがほぐれましたら、もうそれだけでよろしいではありませんか」
女房たちに説得されて、母上の気まぐれにつきあうことになったのは、親孝行な息子として不服はございません。
行っておくれと頼まれた先が、さいきん京で人々の好奇の目を集めていると聞く陰陽師だったことに、危うさを感じたのでございます。
とにかく「用事があるから今夕おじゃまする」と文を送り、牛車を仕立てて今まさに陰陽師の邸へ向かわんとしているところでございました。
お供は乳母子の紀昌通。主人の人目を忍ぶ恋の道にはどこまでもお供仕る心意気の男でしたが、そんな機会がまったくないことを密かに残念がっているのでした。
「ごめんください」
真昼の色がゆったりと翳りを見せ始める頃、紀昌通が陰陽師宅の門に呼ぶ声を響かせました。
「はい、ただいま」
すぐに童が取り次ぎにあらわれます。
「源淳明さまですね?」
「わたしは紀昌通。淳明さまの乳母子だ。主人はあちら」
童が門へ首を伸ばすと、なるほど、直衣に烏帽子という私服姿の貴公子が見えます。傾き始めた西日が気になるのかさりげなく扇をかざしておられてお顔が見えませんが、どうにも目を引かれる風情です。
童はうなずき、
「俺のことは大麻呂と、お呼びつけください」
ほお、まだ小さな子供なのに、名前は大麻呂か。名に負けぬよう立派に振る舞って、可愛らしい子だ、と昌通はすっかり感心しました。
「ご案内いたします。どうぞ」
では、と昌通は主人を招き入れました。
案内されて通された接客の間には陰陽師がいるもの、と淳明さまは疑いもせずそちらへ目を向けられました。
ところが淳明さまが目にしたのは、まさに袿に袖を通しかけていた年若い女君だったのです。
「お!」
「え?」
貴族の女君というものは、几帳の影に隠れて男君と面会するもの。このようにいきなり家族以外の男君に顔を見せるのは禁忌でございます。
淳明さまはさっと目をそらし、女君はぱっと無地の檜扇を顔の前にひろげました。
「これ、大麻呂! まだ準備ができておらぬと言うたではないか」
壁代をめくって飛び出してきた女房が慌てて叱ります。
童の大麻呂は「にゃー!」と叫び、そのままどこかへ逃げて行きました。
「それ。急ぎなさい」
さらに飛び出してきた女房が一人二人三人四人さらにさらに。あっという間に御簾が降ろされ、几帳で二人の間が確実に隔てられます。
「これをあちらに」
「あれをこちらに」
女房たちは大慌てでございました。
淳明さまはその様子をじっと見守り、
「昌通」
乳母子に声をかけられました。
「はい」
「この女房たち、わたしには全員、同じ容姿に見えるのですが」
「わたしもそう見えます」
「そうですか」
てっきり自分の目の錯覚かと思われたのです。
十二人の女房たちが、そろいもそろって同じ衣裳に同じ体格、同じ顔とはいかにも不自然。狐狸にでも化かされているのかと、そんな心境でございましょう。
女房の一人がおろおろと辺りを見回し、
「ほれ、円座(丸い座布団)を、早う!」
「はい」
と別の女房が大あわてで取りに行こうとした時です。
ぱん!
その手を叩く音は一度。
ですが耳には音叉が響きでもして、空に紋が広がったように聴き取れました。
と同時に先ほどまでわらわらと立ち働いていた女房たちが、ぽんっ、と姿を消したのでございます。
女房たちのいたところには、かわりに式札と呼ばれる紙片が、はらりはらり、と落ちました。
「今の女房たちはみんな、僕の式神。僕が慌てちゃったものだから式神たちも慌ててしまったみたい。とんでもないお出迎えになって、ごめんなさい」
「いや」
「あなた、びっくりなさらないですね」
乳母子の昌通は尻もちをついて唖然と目と口を開けていましたが、淳明さまは顔色も変えず、すっと立たれたままでございます。
「いいえ。じゅうぶんに驚いています。わたしは陰陽師に会いに来たつもりだったのですが。あなたはいったい、どなたでしょうか?」
*『呪術と科学の有職故実図鑑』八條忠基著 平凡社 より引用
「陰陽寮は天文・暦数・風雲気色・有異密封奏聞を管掌する役所」




