その二 近ごろ流行りの物語
第一話
従三位 中納言 源 朝臣 淳明 卿、陰陽師 菅原 馨子に生霊を調伏させたる語
その二 近ごろ流行りの物語
「近ごろ京に流行るもの~」
と始まるわらべ歌などがございますが、最近その言葉に続く歌詞はこうだとか。
「陰陽寮の美青年〜稀代の陰陽師~、そは何某の~」
話は殿上の間で男君たちの恋愛談義が行われた雨夜から、しばらく日が巻き戻ります。
「はあ、どうしよう」
と文机に突っ伏したのは、下級官人姿の若君でございました。
文机に開げられているのは文。
なにやら解文(公文書)のような文でございます。
「ねえ、時実、知っている? 最近、有閑マダムたちの間で、パーティに陰陽師を呼ぶのが流行っているって」
若君が暮らす小さな邸の奥にこもっていた中原時実は、筆を操る手を止めもせず、
「ふ~ん。俺が知っている流行ものは、『本朝妖草子』って物語の方だな。洛陽の紙価を高めているとか」
洛陽の紙価を高めている。
それは、みんなが紙を買うから紙の値段が急騰している。それくらい本が売れまくり、という意味でございます。
『本朝 某々』なる平安文学のタイトルなぞ、聞いたこともございませんけどね。
時実が言いますには、最近、公卿や殿上人(上流階級)の間で若く美しい陰陽師が大活躍しては、貴族の婦女子たちを助ける『本朝妖草子』なる仮名の物語が、手に手に渡り、書き写され、読まれているのだとか。
この時代、コピーはないし印刷もないので、本はすべて手で書き写すのです。
物語は数多あるのですよ。中でもあの大長編をすべて書き写すなんて、どれほど大変だったことでしょう。
コンプリートボックスを贈られた更科の娘が舞い上がり、お后になるよりも幸せと読み耽ったのも、もっともなことと申せましょう。
「男もすなる日記というものを」とかなんとか始まる『本朝妖草子』の作者は覆面で、そのあたりも人々の好奇を煽っているのでございます。
案外、作者は陰陽師本人ではないかなどの憶測も流れ、作者を探せ遊びが密かに上流貴族たちのパーティの余興になっているのだとか。
「陰陽師なんて、陰陽寮に属して陰陽道にかかわるただのしがない公務員だっていうのに」
「いやいや、占い師で怨霊祓いでしょ。伝奇にはぴったりだよ。夢は見なきゃ」
時実の描く若く美貌の陰陽師は、
「地獄の業火にのたうち苦しめ」
とのたまって怨霊を屠るのです。
なにそれ、と訊きますと、時実はにやりと教えてくれました。
「正義の味方には決めゼリフが欲しいからね。できるだけ恐ろしそうなのを捻り出してみた」
そんなわけで、物語の中の京は怨霊まみれ、主人公の陰陽師はあり得ないくらい毎日が大忙しなのでございます。
「時実、僕がどれだけ叫ばされてるか、知ってる? 毎夜、毎夜、貴族のパーティで、「地獄の業火にのたうち苦しめ」って」
このパフォーマンスに、みなさま、やんややんやの大喝采でございます。
叫ぶだけでは芸がないので、偽形代や偽式札に偽霊符なんかを盛大に散らして差し上げたりして、工夫をこらしているのですよ。
「で? 次は何をやらせる気?」
「うん、この前のパーティーでそれとなくリサーチしたところでは、どうやらマダムたちは禁断の恋をご所望らしくてね」
齋王となられる皇女との許されざる恋がいいか、それとも帝の后と相思なんていうのはどうかな。
とプランを語り出す時実に、若君は、
「あああ」
うんざりした声をあげました。
「来るんじゃなかった、なんて思ってる?」
「よくわかるじゃない、覆面作家殿」
「まあ、マダムのお相手も副収入が入るんだからよしと思うんだね。借金もかなり返せたし、珍しい品など贈られて、うらやましがられてるんだろう?」
「時実、うらやましいなら、いつでも替わってあげるよ?」
「いや、うらやましくないな。俺は書いてる方が楽しいもん」
「ふ、そうですかそうですか」
「俺が広報、お前が営業。二人でアルバイトと思えばいいじゃないか」
「気楽なことを言ってくれる。まあね、確かに、競うみたいにチップを弾んでくれるマダムもたくさんいて、以前より暮らし向きは楽になりました。だけどさー」
若君はむーと口を尖らせます。
「切りもいいし、そろそろ帰るかな」
覆面作家の時実が紙筆をしまって立ち上がり、
「自分ちで執筆すればいいのに」
「それじゃ覆面が剥がれる」
と言い残して帰って行き。
「あーあ。来るんじゃなかったって? 時実、違うよ。来るしかなかったの」
田舎の故郷、親王しか太守になれない三つの超大国 、親王任国の狭間に位置する狭い狭い下の下国にいた頃、等身大の薬師仏に最上級のお祈りポーズ、五体投地でお祈りしたのです。
「僕を京に行かせてください。そして、もうここに戻らなくてすむようにしてください」
たちまち願い叶って京で陰陽寮に勤める下級官人となった若君。
ですが、京での暮らしは田舎で思い描いていたのとは大違い。
借金だらけで貴族たちに顎で使われる毎日。
若君は深くため息をつき、
「従三位さまなんて公卿(貴族のトップ)さまからの文じゃ、どうせ断れないんだ。内密に、なんて、思わせぶりだよね。どうせパーティなのに」
潔く立ち上がられ、衣裳をあらためようと奥へと向かわれたのでした。
基本的にこの時代の建物はワンルーム。壁などなく円い柱があるばかり。
そのかわり室内を区切るために御簾や几帳などの調度がありました。
それらをいくつか置いて広い屋内を区切るのです。
若君が壁代(壁の代わりに垂らしたカーテン)をめくって向かった、奥の一間。
そこに女君用の衣裳などが置いてあったのは、本当に偶然でございました。
すっかり忘れておりました。
「先に行って、思いっきり京暮らしを楽しんでなさい。わたしたちも次の除目(人事異動)では、きっと京へ戻れるだろうから」
と両親が用意してくれた一揃えの女君の衣裳。
単衣、袿、袴の三点セット。
人生、しばしば魔が差すもの。
陰陽師は他にもいるというのに、それどころか自分は陰陽寮に席があるだけの、正式にはまだ陰陽生(学生)だというのに、毎晩毎晩上流マダムたちのご指名を受けるのは自分でした。
他はむさ苦しいおじさんばかりだったからでしょうね。
ほんの一瞬、いつもみんなが指名しては恋愛ごっこを楽しむ相手が実は同性だと知ったならば。
上手くすれば指名先が少し替わるのではないかしらん、と。
せめて週休二日、時々在宅ワークくらいがちょうどいいかな、と。
そのくらいに仕事量を調整できたらな、と。
そんな期待が脳裏をかすめ、ついと女君の衣に手を伸ばした時。
檜扇などそこにあったりしたものですから。
「よし」
若君はいそいそとそちらに着替えはじめたのでした。
*国のランクについて
「国」は現代の「県」くらいの行政区でした。そして「国」は、大国、上国、中国、下国、とランク分けがされておりました。この物語では「下の下国」とさらに下のランクの小さな国を創作しておりますが、歴史上は存在しないランクです。
*親王任国は常陸国、上総国、上野国の三国です。




