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遺書 その⑧

 早朝、ケイトは激しい物音で目を覚ました。

 台所から、両親の言い争う声と、食器の割れる音が聞こえる。会話の内容から、金の取り分を巡って、両親が喧嘩していることがわかった。


 両親が喧嘩をするのは、いつものことだ。だが今日は、いつにも増して喧嘩が激しい。ベッドで丸くなり、耳を塞いで、ケイトは喧嘩が終わるのを待った。


 ひと際大きな物音がして、急に静かになった。胸騒ぎを覚えたケイトは、そっとベッドを抜けだした。物音を立てないように注意して、ドアを開ける。するとドアの向こうには、想像を絶する光景が広がっていた。


 仰向けに倒れている父は、目を大きく開いて、虚空を見つめている。床に落ちている鉈で、腹を切られたのだろう。父の腹は引き裂かれており、はみでた臓物が、ヌメヌメと光沢を放っている。羽音を立ててハエが群がり、楕円形の黄色い卵を、臓物に産みつけていた。


 父はすでに絶命していたが、母はまだ生きている。といっても、母の頭頂部には深々と斧が突き刺さっており、生きているのが不思議なぐらいだ。

 テーブルの上にある金貨の入った皮袋に、母は緩慢な動作で手を伸ばした。


「◎△$♪〇」


 脳を損傷した影響なのか、母の言葉は不明瞭で聞きとれなかった。

 袋を手にした母は、涎を垂らしながら笑った。直後、目玉が上を向き、溶けるように床へ崩れ落ちる。一生遊んで暮らせるほどの金貨を握りしめ、母は笑顔で逝った。


 けっきょくケイトの家族は、みんな死んでしまった。生きているのはケイトだけだ。

 母の手から、金貨の入った袋をとる。逃亡する際には、この金がきっと役に立つだろう。自分の部屋に戻り、ケイトはスーツケースに金貨の入った袋を詰めた。


 スーツケースの中には、不思議なノートも入っている。ノートを開いてみたが、新たな書きこみはなかった。

 このノートを見るのも、これで最後になるのだろうか?


 沈んだ気持ちでノートをパラパラめくる。すると、最後のページになにか書かれていた。


〝爆弾の作り方〟


 爆弾の製造に必要な材料と、その作り方がメモされていた。

 なぜ爆弾の作り方が書かれているのだろう? 気にはなったが、それを考えている時間が今はない。空はすでに明るくなってきている。そろそろ出かけなければならない。


 出かける準備を整えて、自分の部屋を出ると、猫の鳴く声が聞こえた。こんな悲惨な状況にもかかわらず、猫は甘えた声でケイトを呼んでいる。

 猫の世話をしない弟たちの目を盗んで、ケイトはこっそり猫の世話をしていた。最初は牙を剥いていた猫も、今では喉を鳴らすほど懐いている。


 ケイトは猫の入った籠を持って、家を出た。籠を開けると、猫は一目散に逃げだした。今まで世話をしていたケイトには、もう目もくれない。チャンスを見逃さない猫の逞しさに、ケイトは小さく笑った。


(私もあの猫のように自由になるんだ。ここから新しい人生を始めるんだ)


 希望を胸に、ケイトは港へ歩きはじめる。

 日の出前の澄んだ風に吹かれて、涙で濡れた頬が冷えた。ケイトは袖で涙を拭う。


 家族とは仲が悪かった。いい思い出なんて、思いだそうとしても、一つも思いだせない。それでも、天涯孤独となった寂しさは、骨身に染みた。


 水平線から、オレンジ色の朝日が昇る。今まで見た朝日の中で、一番キレイな朝日だった。その美しさに心が震えた。

 こんなに感動するのは、きっと体が生きたがっているからだ。まだ私は生きていたい。

 ケイトはもっと美しいものを見つけるために、未知の世界へ踏みだした。




 ケイトたち成績優秀者を乗せた船が、ゆっくりと港を離れる。

 生まれたときから村で暮らしていた子供たちが、村を出ていくというのに、見送りは一人もいなかった。しかし、船上で談笑するクラスメートの顔は、みな一様に明るい。まだ見ぬ都会に、胸を躍らせているのだろう。


 ケイトは、その輪に入れなかった。ケイトだけが、これから起こることを知っている。密かにスーツケースから、ピリリキノコの粉末が入った袋を取りだして、ポケットに忍ばせた。

 海の向こうに見える陸が小さくなったところで、奴隷商人と傭兵が甲板に姿を現した。傭兵たちは、ケイトたちを素早く取り囲んだ。


「痛い目にあいたくなかったら、大人しくするんだな」


 突然のことに、他のクラスメートは目を丸くしている。その中の一人が、震える声で状況を問う。


「あなたたちは誰ですか? 私たちに、なにをするつもりなんですか?」

「俺たちは奴隷商人に雇われた傭兵だ。お前たちは、これから奴隷として売られることになる。その前に、ちょっぴり楽しませてもらうがな」


 傭兵はケイトを見て、下卑た笑い声をあげる。どうやら気に入られてしまったらしい。傭兵がどんな想像をしているのか、考えたくもなかった。

 急に奴隷になれと言われて、それをあっさり容認できる人間なんていない。先ほど声を発したクラスメートが、涙ながらに懇願する。


「見逃して下さい。私たちは留学生なんです。卒業後は外国で働いて、村に仕送りをしなければならないんです」


 すべての事情を知っている傭兵は、騙されているクラスメートを見て、ゲラゲラと笑った。


「留学の話は嘘だ。お前たちは村の大人に騙されて、奴隷として売られたんだよ。お前たちの親は、お前たちを売った金で、今頃パーティーでもしているんじゃないか?」


 両親に騙されたことを知り、クラスメートは言葉を失っていた。情け容赦のない傭兵たちは、呆然とするクラスメートたちをロープで縛りあげていく。

 ノートに書かれていたことは、これで本当だと証明された。奴隷として生きていくなんて、絶対に嫌だ。やるなら今しかない。


 ケイトはポケットから袋を取りだすと、ピリリキノコの粉末を宙にバラまいた。潮風に乗って、黄色い粉が宙を漂う。


 サイパス村の村人は、ピリリキノコの毒に対して耐性を持っている。しかし、村人ではない奴隷商人や傭兵たちは、毒への耐性を持っていない。粉を吸いこんだ奴隷商人と傭兵は、たちまち気を失って倒れた。


 毒の効果は一時的なものだ。急がないと、奴隷商人と傭兵は意識を取り戻してしまう。ケイトはクラスメートに、素早く指示を飛ばした。


「今のうちに、この人たちをロープで縛って!」


 ケイトたちは傭兵が所持していたロープを奪って、そのロープで奴隷商人と傭兵を縛った。ひとまずの安全を確保したところで、ケイトはクラスメートに呼びかける。


「みんな、聞いたでしょ? 私たちは村の大人に騙されたんだよ。もう村には戻れない」

「これから私たちは、どうすればいいの?」


 子供たちの中で、一番落ち着いているのはケイトだった。みんながケイトに、すがるような視線を向けている。


「この船に乗って、別の国に逃げましょう。だいじょうぶ。私たちなら、きっとやれるよ」


 ケイトは不安を隠して、明るく笑った。

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