湖水地方、パニール 5
「水を干上がらせてしまえば調査も楽になるはずですが、さすがにこの量は無理でしょうし」
僕とクレアなら、あとはおそらく少しならばエストも、《水を操る魔法》を使える。
それは、水を生み出すだけでなく、言葉どおり、今ある水を操作したりすることもできるのだけれど、さすがに、この湖の量ほどの水を一斉に操り、持ち上げるだとか、干上がらせる、などといった芸当は不可能だ。
「一応、水質の調査はしておきましょう」
湖の水を一部、《水を操る魔法》で汲み上げる。
濁っている水からは、毒などの反応も見受けられる。あとは、魔物や生物の反応もしていることから、すべての生物が侵されているというわけでもなさそうだ。
「これは、蛭の一種、あるいは、変種でしょうね」
一匹を解剖して調べてみたけれど、どうやら、普通の蛭に似てはいたけれど、毒腺を持ち、吸い付いた先から流し込むような、より厄介な魔物になっていたりする。
あとは、線虫に似た、おそらくは寄生してくるタイプの魔物もいたり、積極的に噛みついてこようとする、亀と蛇の混合種のようなやつもいる。
それらは、今汲み上げた水の中だけでも見られたものであり、より詳しく調査をすれば、もっと他にもいることだろう。
これがもともとの生態系なのか、それとも湖がこうなってしまってから生み出されたものなのかは、不明だけれど。
「どうですか、エスト」
「解毒自体は可能だと思います。ただし、毒を放出している元凶がこの湖にいる、もしくはあるはずですが、それをどうにかしない限り、すぐにまた汚染されてしまうでしょうから、意味があるとは思えません」
球体になった濁った水を見つめるエストは難しい顔で語る。
専門である神官がそう言うのだから、そのとおりにするべきなのだろう。つまり、このように湖を汚している元凶を叩かなければならない、ということだ。
ただし、湖の中から感じられる魔力の反応は、大小含めて様々であり、どれが本来の黒幕――と呼ぶべきかどうか――なのかわからない。
もっとも大きな反応がそれかもしれないけれど、そうでないという可能性もある。
もともとのこの湖の生態系などわからない以上、無暗に処理してしまい、生態系を破壊する結果になどはしたくはない。
とはいえ、推測すること自体はできる。
先程まで遊んでいたような湖もあったのだから、おそらくは、あちらがもともとのこの地の湖の水質なのだろう。
普通、濁らせるほうが浄化するより簡単であるはずだし。
それに、この湖ができたのが何年、いや何千年か何万年か、どれほど前なのかはわからないけれど、最初期から濁っている場所があったのなら、僕たちがこうして訪れるまでに、他の湖まで汚染されていないというのは、おかしな話だ。
そして、現在進行形で汚染が広がっているということは、最初だけ手を出して、汚染が広がるのを待っている魔族がいるわけではなく、今もこの湖の近く、もしくはこの水中で汚染を続けている存在がいるということだろう。
「では、少しづつ処理してゆくというのはどうですか?」
顎に指をかけたままのクレアが周囲を見渡す。
「あの、クレア様。その――」
困ったように口を開きかけたエストを、腕を出して制止する。
「待ってください、エスト。クレアはたまに無謀な行動をとったりもしますが、基本的には考えがあってのことです。話を聴いてから判断してみても、遅くはないと思います」
「私は無謀な行動を起こしたりはしません」
わずかに拗ねたようにクレアが唇を尖らせるけれど、最初に一人で魔族を倒すために旅に出ようと決断して、さっさと出て行ってしまったことを忘れているはずがない。
もちろん、あれは即座に判断できなかった僕も悪かったし、状況が切羽詰まっていたということもあったのだろうけれど。
それに、結果的に助けられたから良かったとはいえ、エストと出会ったときにも、相手のことを良く知る前に飛び出して行ってしまうし。
もちろん、目の前の困っている人を見捨てない、助けるために飛び出した行動は、とても素敵だと思うけれど、いざというとき、考えるよりも先に身体が動いてしまう、というのがクレアだと思う。
だから、こうして考えているときは、大抵、大丈夫なはずだ。
「ルシオンの私に対する認識には、遺憾を表明したいところですが、今はいいでしょう。つまり、この湖から水路を何本か引っ張り、水を移動させて、それらを個別に処理してゆくということです。わずかづつではありますが、そうすれば確実に浄化させてゆくことが可能でしょうし、時間はかかっても、確実な方法かと思います」
それはそうかもしれないけれど。
「けど、姫さん。その水路ってのはどこに引っ張るんだ? それから、どうやって引っ張るつもりなんだ?」
「先程までいた湖や、他の湖へ流し込みます。もちろん、汚染されたままでは先程の綺麗な湖までもが汚染されてしまうことになりますが、水路の大きさを調節すれば、ある程度、流れる速さをコントロールできるはずです。それで、流れている最中に浄化しきるこのとできる程度の流れにすればいいのです」
さっそく準備をしましょう、とクレアが歩き出す。
「待ってください、クレア。どこへ向かうつもりですか?」
「もちろん、街に戻ります。あなたたちは素手で水路を掘り進めるつもりですか? ルシオンはともかく、シュロスにはスコップでもあったほうが効率が良いはずです」
たしかに僕たちは、旅の荷物としてのスコップを持ち合わせてはいない。
それに、普段から持ち歩くようなものでもないし、借りることができるのであれば、助かることも事実だった。
「もちろん、私も手伝いますから」
「それは駄目です」
「それは駄目だろ」
しかし、続くクレアの言葉は、僕とシュロスで同時に打ち消した。
「二人とも――」
クレアにも考えはあるのだろうけれど、僕たちにも矜持というか、最低限のプライドはある。
「クレア。女性にそんなことを積極的にさせる男はいません」
「そうだぜ、姫さん。それから、エストも。二人は、水の浄化のほうに力を注いでくれ。俺……にできないことはないけど、普通にやると時間がかかり過ぎるんでな。魔法でできるってんなら、それに越したことはねえ」
たとえば、石やら布やらを敷き詰めた瓶などで、ゆっくりと水をろ過するという方法もあるけれど、これだけ大量の水をとなると、それこそ、何年、いや、何万年かかることになるのか、見当もつかない。
しかし《浄化する魔法》であれば、ある程度の量を一気に解決してゆくことが可能だし、エストの浄化能力は、普通の魔法師のそれをはるかに上回る。
それに、エストが先に挨拶に向かっていた教会の方にも手伝ってもらえれば、同じ神職に就いているということで、僕やクレアより、浄化等に関する系統の魔法には優れているだろう。それなら、もっと早く終わらせることができるはずだ。
だからこそ、エストには、体力や精神力、魔力なんかを温存していてもらいたい。
「それでは、私は手伝っても問題ない、ということですね」
「いえ。クレアは終わった後の食事の準備でもしていてください」
理屈の上では、クレアだって作業を手伝うことはできるだろうけれど、そんなことをさせたくはない。というか、エストに言った理由だって、それらを隠すための言い訳みたいなものだし。
どこの世界に、女の子に積極的に力仕事を任せたいと思う男がいるだろうか。
それよりは、仕事を終わらせた後に癒してもらう、労わってもらう、そういう役を引き受けてもらいたいと思う男のほうが多数派だろう。
向き不向きというか、パーティーでの前衛、後衛と同じように、日常の事柄にだって、役割というか、適材適所というものはある。




