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重度カードゲーマー女子、過労死転生した異世界でも恋愛をプレミして詰んだ件  作者: 酣睡


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綻びだらけの怪奇譚と、長生湯の秘め事

本堂の内に居並ぶ、腕ほどの太さもある数百本の白蝋燭が、音もなく静かに燃え盛っていた。


地脈の深淵から立ち上る熱き気息は時に強く、時に弱く、朱塗りの神道欄干と仏門の垂らす古き経幡を吹き抜け、堂内を満たす灯火を激しく揺らめかせる。


明滅を繰り返す光斑は、老いた檜で敷き詰められた滑らかな床の上を狂おしく引き裂き、引き伸ばし、二人の影を奥まった障子戸へと投げかけていた。


それはまるで、暗闇の中で無言の盤上遊戯に興じる二柱の森然たる物の怪の如くであった。


頭上高くでは、人の背丈ほどもある八角の走馬灯が、雲母の風輪に引かれて飽くこともなく巡り続けている。


絹紙に朱砂で描かれた笑顔の紙人形が次から次へと追い縋り、瞬く蝋燭の光の下に青白い虚影を幾重にも引き連れ、微かな軸受けの擦れ合う軋み音とともに、大殿の奥深い静寂の中で異様なまでに不気味に響いていた。


ルシアは粗末な茣蓙の座布団の上に座し、その身構えは鞘に収まる冷たき刃のように凛と引き絞られていた。


右腕を覆う重厚な戦術錬金装甲からはすでに圧縮魔力が排気されていたものの、その指先は依然として衣の袖口を硬く掴んでいる。


深い翠の瞳には解けることのない霜雪が張り巡らされ、向かいに座す枯れ果てた肉体へと寸分も引くことなく縫い止められていた。


たとえ体内の死線レーダーが無言の冷たい痛撃を送り続けようとも、彼女が一歩たりとも退く気配を見せることはなかった。


茶卓を挟んだ向こう側では、盲目の老僧が大きく広がる法衣の袖の内へと両手を収め、埃の積もった古き石仏の如く泰然自若として微動だにしない。


周囲には、時折パチリと弾ける芯の小さな音のほか、濃厚な白檀の香りと温泉の硫黄が奇妙に混じり合った気配が、空気の底を静かに流れるばかりであった。


この無言の対峙がどれほど続いたであろうか。茶卓の上に置かれた熱き茶の湯気が次第に薄れゆくのを見計らい、老僧はようやく枯れ枝のような顎を極めて僅かに上げた。


彼は膝の上に置かれた、黒光りする濃色の数珠を爪繰り、その唇の端を溜息とも憐憫ともつかぬ弧へと緩やかに歪ませた。


死の白翳に覆われた濁った瞳を微かに動かすと、低く掠れた声音が揺れる燭影の中を静かに漂い始めた。


「大殿は冷え込み、夜もとっぷりと更け申した。この長生寺の床下に眠る泥濘を抉り出す前に……施主、老僧の語る一つの話に耳を傾ける興はござらぬか?」


「お話、ですって?」


ルシアの深い翠の双眸が微かに細められ、その眼底に鋭い警戒の燐光が宿る。


この干乾びた老僧が腹の底で何を企んでいるのか、まるで見当がつかない。


もしも口を封じる気であるならば、【詭計術式・悪意の贈り物】のトリガーとなる害意すら踏み越え、音もなく命を刈り取るほどの底知れぬ実力をもってすれば、敷居を跨いだ瞬間に彼女の首を撥ね飛ばすことなど造作もないはずなのだ。


それにもかかわらず、殺気を押し殺し、あまつさえ泰然と腰を落ち着かせて「お話を聞かせる」などと切り出してくるなどと。


火花散る思考が一瞬のうちに組み替えられていく。ルシアは即座に悟った――この深山幽谷の古刹と温泉郷の地下に眠る秘密には、神殿の石板と太古の理が複雑に絡み合い、口にすることすら憚られる絶対の禁忌が存在するに違いない。


目の前の老僧は、意味もなく勿体ぶっているわけではないのだ。


何らかの呪詛に等しい誓約によって縛られているがゆえに、血塗られた真相をあからさまに語ることが叶わず、架空の物語という皮を被せることで、彼女自身の手でその致死のパズルを拾い集めさせようとしているのだと。


「左様、お話にございます。施主におかれては、荒唐無稽な鄙びた怪談として聞き流してくださればようございます。心に留める必要など毛頭ございませぬ」


老僧の声はどこまでも暮れ方の梵鐘のように平坦で、不気味なほどに慈悲深く響く。


しかし、ルシアの背筋の産毛は、抗う術もなく一本一本逆立っていた。


足首を伝って毒蛇が音もなく這い上がってくるような寒気がいや増していく――直感が狂おしく叫んでいた。あの血塗られた真相へと近づけば近づくほど、足元の断崖は深く口を開けていくのだと。


「物語」という薄絹が完全に剥ぎ取られたその刹那、待ち受けているのは、魂をも万劫の深淵へと引きずり込みかねぬ荒れ狂う嵐に他ならない。


黒髪の乙女が必死に押し殺している緊張と恐れを見透かしたかのように、老僧は小さく頭を横に振った。その口元に浮かぶのは、怯える幼き獣を見守る年長者のような温和な笑みであった。


「熱き茶をお召し上がりなされ。此処はいかように申せど、そなたらの畏怖する『神殿』の内。この山泉の粗茶も、幾ばくかの無用な恐れを鎮める助けとなりましょう」


言葉を終えるや否や、老僧は彼女に杯を取ることを強いるでもなく、自らの法衣の袖からもう一つの無骨な陶器の茶碗を取り出した。


彼は平然とした仕草で枯れ木のような両手を伸ばし、ルシアの前に差し出されていた湯気の立つ茶碗を持ち上げると、彼女の射抜くような鋭い視線を受け止めながら、何食わぬ顔で空の茶碗へと半分ほど湯を注ぎ分けた。


そうして老僧は首を微かに傾げ、立ち上る茶煙の狭間で、緑がかったその苦茶を淀みなく一息に飲み干してみせた。


流れるような所作には、一片の躊躇いもない。


彼は最も無垢な振る舞いをもってルシアに示していたのだ――茶に毒など含まれておらず、己もまた神殿の暴虐なる守護者ではなく、この地を訪れた行きずりの客を害する理由など何処にもないのだと。


「長生寺の領域とは、去りし日の執念のすべてを呼び覚ます回廊に他なりませぬ。此処に足を踏み入れれば、凡夫は欲望の海に溺れ、施主のように二度の生死を彷徨い数奇な運命を辿りし旅人であれば、その魂魄は九死に一生を得た危難の記憶に幾度も苛まれ、引き裂かれることとなりましょう。そなたの身を苛むその臨戦の死の警兆も、その大半は……過ぎ去りし死の影が今この場に呼応したに過ぎませぬ。この茶は地脈の冷泉を引いたもの。心火を鎮め、記憶が神経に及ぼす軋みを和らげてくれますぞ」


その言葉は重き槌の如く、ルシアの思考の死角を瞬時に打ち砕いた。


完全に腑に落ちた。


本堂へ足を踏み入れた瞬間から、なぜ体内の「死線レーダー」が神経の末端で狂ったように警鐘を鳴らし続け、その一方で自らの張り巡らせた【詭計術式・悪意の贈り物】が死水のように沈黙を保ち、実質的な害意の欠片すら検知し得なかったのか。


老僧が彼女に対して殺意を向けていたからではない。この長生寺の「記憶の領域」そのものが引き起こした悪戯だったのだ。


前世における過労死の窒息感、破壊の神殿で限界まで追い詰められた凄惨な瀕死の記憶、そしてカリーナやオースに対する息も詰まるような警戒心――理性の底に力づくで押し込められていたあらゆる「死への恐怖」が、この古寺の走馬灯によって際限なく増幅され、己の神経を逆流して蝕んでいたのだ。


そこまで理解するや、ルシアに躊躇う理由はなかった。彼女は迷うことなく手を伸ばし、重みのある粗陶の茶碗を手に取った。


首を垂れ、温かな茶を唇に寄せると、小さく一口啜る。

微かな苦味を帯びた薬草の気配が、清冽な泉水とともに喉を滑り落ちていく。その刹那、熱く澄み渡る清流が食道を伝って天霊蓋へと一気に駆け上がった。


脳を圧し潰さんばかりだった死の悲鳴が、まるで引き潮のように急速に引いていく。


沸騰し荒れ狂っていた記憶の大海は柔らかな堤防によって遮られ、前世にまつわる灰色の断片は依然として脳裏に刻まれながらも、もはや彼女の理性を揺るがす恐慌の嵐を巻き起こすことはなかった。


五感が、再び冷徹なる支配のもとへと帰還した。


「どうやら、施主もようやく老僧を信じてくださったご様子。これでようやく、穏やかに言葉を交わすことが叶いましょう」


老僧は空となった茶碗を静かに卓の上に置き、再び両手を合わせた。その表情は凪いだ水面の如く淡泊であり、身に纏う星海の如き深淵の気配には微塵の波紋も立たなかった。


ルシアはこの古木のような老僧を見据え、胸の内にあった敵対心を、不可知なる絶対への警戒と諦念混じりの安堵へと静かに塗り替えていった。


この老僧には、確かに害意がない。あるいは、凡俗の尺度を遥かに越えた果てしない命の営みの中で、「善と悪」といった世俗の道徳観など疾の昔に塵芥へと風化してしまったのかもしれない。


見た目は今にも朽ち果てそうな老体でありながら、時間すら凍結されたこの神殿の中で数十年、数百年、あるいは千年もの長きを座し続けてきたその計り知れぬ実力は、世俗の血腥い殺戮などによって証明する必要すら端からないのだ。


輪廻を見通すその濁った盲目には、武装を固め、全身の神経を尖らせているこの黒髪の娘など、運命と権力闘争に背中を押されて走り続け、精一杯牙を剥いて威嚇することしかできない哀れな雛鳥としか映っていないのだろう。


討つことも敵わず、逃れる術もなく、相手に今すぐ牙を剥く気がないというのなら――静観するほかあるまい。

ルシアは音もなく深く息を吸い込み、左手を僅かに動かすと、傍らの影の中に身を潜めていた機械梟の刻刻を抱き上げた。


冷たく滑らかな精鋼の羽毛を白く華奢な指先でそっと撫でる。微かな金属の感触と、規則正しく刻まれる機関核の震えだけが、この奇怪極まる古殿において彼女が己に許した唯一の碇であり、安らぎであった。


本堂の白蝋燭は、微風を孕んでなおも狂おしく揺らめき、堂内一面に不気味な陰影を蠢かせている。


老僧の白濁した眼差しが、巡り続ける八角の走馬灯へと僅かに落とされた。枯れ果てた唇が開き、錆びた鑿の如き掠れた声音が、血塗られた温泉の下に葬られた古の来歴をゆっくりと削り出していく。


「遠き昔のこと……。未だこの温泉郷が切り拓かれず、瘴気と寒風に閉ざされた見渡す限りの蛮荒の地であった頃、遥かなる異郷より訪れし男たちの群れが、この地脈へと足を踏み入れ申した」


老僧の語り口は遅々としており、その言葉は薄暗い梁柱の間で幽かな反響を繰り返す。


「彼らは一生の心血と知恵のすべてを注ぎ込み、岩壁を穿ち、熱泉を通わせ、荒れ狂う霊脈を鎮め……ついにこの世の煉獄であった地を、一歩ずつ、大陸中に名を轟かせ高官貴族がこぞって詣でる長生の聖地へと育て上げ申したのじゃ」


そこまで語ると、老僧が数珠を繰る指先が微かに止まり、濁った白瞳の奥に計り知れぬ深い憂愁が影を落とした。


「されど、凡夫とて歳月の侵食には抗えぬもの。かの異郷の開拓者たちも寿命尽き果て、相次いで黄泉路へと旅立つその間際……外つ国の風雪の奥底より、未だ襁褓に包まれたひとりの赤子を連れ帰り、この温泉郷へと残していき申した」


老僧は重々しく息を吐き出した。その音は寒風に擦れ合う枯葉のように乾ききっていた。


「そして……素性も知れぬ、何処より来たりしかも定かならぬその女子の赤子が……巡る星霜の果てに、温泉郷のすべての運命を塗り替え、支配することとなったのでございます」


「その女が、罪なき人々を人柱として生贄に捧げさせた元凶なのですか?」


ルシアは老僧の語りを遮って問いを差し挟んだ。


年長者や上位者が口を開いている最中に口を挟むことが無礼極まりない行為であることなど先刻承知であったが、奇怪な領域に包まれたこの古寺において、世俗の礼節などすでに脱ぎ捨てて久しい。


常に研ぎ澄まされた尋問の姿勢を崩すわけにはいかなかった――目の前の老僧の語り口は慈悲深く柔らかに聞こえようとも、一歩間違えれば話の急所に巧みな論理の罠を仕掛けられ、致命的な誤認へと引きずり込まれかねない。


神殿と教皇庁の狭間に立つ身にとって、一度の判断の狂いはそのまま灰燼を意味するのだ。


その切っ先を突きつけるが如き遮断に対しても、老僧は不快の色を微塵も見せず、老木の樹皮の如き深い皺の奥に、むしろ薄い賛別の色を浮かべた。


刃の切っ先で舞い踊る者に、嘘を噛み砕くほどの警戒心すら備わっていなければ、温泉郷へ足を踏み入れたその日のうちに暗渠に沈む名もなき白骨と化していたはずなのだから。


「然り、されど否」


老僧は黒ずんだ数珠を繰り、羽毛の如く軽く、されど万鈞の重みを孕んだ言葉を返した。


ルシアの眉間が険しく引き結ばれ、その瞳に冷たい当惑が走る。


「然り、されど否……?」


そのような曖昧模糊とした返答こそ、論理の構築において最も厄介な毒物である。


確固たる疑惑が成立しつつも完全には成り立たないということは、事件の骨組みの裏側に、意図して隠蔽された「第三の変数」が存在することを意味する――その語られざる、目に見えぬ未知の要因こそが、因果の歯車を根底から狂わせているのだ。


老僧はその謎を直接解き明かそうとはせず、枯れ枝の如き両手を法衣の中へと仕舞い込み、茶卓を越えて、堂内の奥で蝋燭の光に明滅する障子戸の群れへと視線を投げた。


低く掠れた声音が再び紡ぎ出される。冷たい針葉樹と湿った湯気が絡み合うような淀んだ寒気を纏い、まるで雨の夜に密やかに語り継がれる古き怪談の如くに。


「かの赤子は……温泉郷の者たちに育まれ、一日また一日と成長していき申した。息を呑むほどに見目麗しく……否、妖異と見紛うばかりの美貌を誇り、この寒村の片隅が抱えきるにはあまりにも過ぎた美しさを宿しておった」


老僧の言葉の歩みは、棺に積もる塵を数え上げるかのように遅かった。


「いつの頃からであったか、かの女子は己の器量に対して病的なまでの執着を抱くようになり申した。肌に刻まれる一本の小皺を狂おしいまでに恐れ、目尻に兆す僅かな衰えにすら怯え慄いた。やがて戸を固く閉ざして外に出なくなり、風も通わぬ暗室に自らを幽閉しては、日夜を分かたず……鏡に向かって紅を引くようになったのでございます」


老僧がそこまで語ると声音は一段と低く沈み、本堂の壁を彩る白蝋燭の焔が一斉に縮み上がったかのようであった。


「鏡と申しても、名のある瑠璃や磨き抜かれた銅鏡などではございませぬ。異郷の廃工坊から拾い集めてきた、裏の銀すら剥げ落ちたありふれた曇りガラスに過ぎなんだ。そのような煤けた濁り硝子に映る顔など、歪み、ぼやけてしかるべきもの。されど彼女は、その虚妄の影に向かって幾度も、幾度も、来る日も来る日も分厚い鉛白と鮮血の如き紅を塗りたくり続けた」


老僧の枯れた指が膝の上をことりと打つ。その声は幽鬼のように梁の間を漂った。


「粗悪な毒の鉛華で肌を塗り潰し、死人の如く白く塗りたくり、細かく磨り潰した朱砂をもって唇を引き裂くような血の色に染め上げる。毒は毛孔を伝って骨髄へと染み渡り、幻覚が毒蛇の如く神経を蝕んでいく。当時、飯を運んでいた村人の話では……夜更けにそのあばら屋の側を通りかかると、黄ばんだ障子の向こうに、揺らめく灯火を浴びて機械仕掛けのように強張った黒い影が、一本、また一本と眉墨を這わせているのが見えたそうな。……己の顔を描き殴りながら、何も映らぬ濁り硝子に向かって、夜梟の鳴くような、途切れ途切れの甲高い忍び笑いを漏らしながらな」


老僧の言葉は、ルシアの脳裏にありありとした情景を結ばせていた。


記憶を直接他者の脳髄へと転写する精神魔術の一種であろう、老僧の記憶の糸を辿り、ルシアの眼裏には狂気に憑りつかれたかの女の姿がまざまざと浮かび上がっていた。


「そして……土砂降りの雨が降り頻る、ある嵐の夜更けのこと。戸が押し開かれ申した」


老僧は重く濁った息を吐き出す。その声音には、洗い落とせぬ血と腐敗の匂いが滲んでいた。


「息絶えておったのじゃ。死因は、長年にわたり毒粉を吸い込み続けたことによる臓腑の爛れ。されど、打ち捨てられたその骸の姿は……目にした村人全員の魂を抜き去るほどに奇怪極まるものであった。彼女はなおも割れた硝子の前に端坐し、五体は鉄の如く硬直したまま、顔面は分厚い鉛白で塗りたくられて生気を失い、朱砂で染められた口元は耳朶の際まで引き裂かれ、凄まじいまでの獰猛な哄笑の形に固まっておった。見開かれた双眸は白く濁り、鏡の中に映るはずもなき己を、空ろに見つめ続けていたのじゃ」


老僧の白濁した盲目が、ここでルシアへとゆっくり向けられた。乾き割れた唇に、見る者を戦慄せしめる昏い笑みが刻まれる。


「悪鬼の如きその死相に村人たちは肝を潰し、死化粧を施す者すらおらず、ただ山精や怨霊の呪いと恐れおののいた。その夜のうちに、気骨ある幾人かの若者が粗末な筵で白塗りの骸を雑に包み込み、夜陰に乗じて裏山へと担ぎ上げ、湿り気の立ち込める土穴を慌ただしく掘り進めて、泥の中へと乱暴に埋め捨て申した」


老僧の声がそこでぴたりと止まり、本堂は水を打ったような静寂に呑み込まれた。ただ頭上の走馬灯に描かれた朱砂の紙人形だけが、絹の壁の上を倦むことなく巡り、擦れ合っている。


「されど……誰が思い至りましょうか。不吉を覆い隠すために打ち込まれたその一振りの鋤が、奇しくも……地下深くに数百年の長きにわたり封じられていた霊脈の泉源を、真っ向から穿ち貫いてしまったことなど」


老僧は笑みを収め、低く最後の一節を紡ぎ落とした。


「その夜、女が土に埋められた直後……血の赤と硫黄の混じり合う熱き濁流が墓穴から天を突いて噴き上がり、山の半分を呑み込み申した。――それこそが、この温泉郷において『長生湯』が人の世へと産声を上げた、始まりの刻でございます」


荒唐無稽な怪異譚を聞かされ、ルシアの表情は僅かに硬直していた。


深い翠の瞳の奥で理性の歯車が激しく噛み合い、思考の鎖が音を立てて紡がれていく――どれほどおどろおどろしい装飾が施されていようとも、怪奇の皮を一枚剥ぎ取ってしまえば、本質的には恐慌に駆られた人間が引き起こしたただの「事故」に過ぎない。


「鉛の毒に侵されて狂死した女を埋めようとして、偶然にも封印されていた霊泉を掘り当ててしまった」


ルシアは平静な声調を保ち、物語の継ぎ目に横たわる最大の断層を冷酷に突いた。


「湯が湧き出たのは純然たる偶然。ですが……それと、数十年後に罪なき子供たちを薬包に仕立て上げ、生きたまま暗渠へと沈めて生贄に捧げる凶行と、一体どのような必然の繋がりがあるというのです?」


急所を抉る問いかけを前にしても、盲目の老僧は焦る様子すら見せなかった。


ただ深く眉目を伏せ、枯れ枝の如き指先で黒ずんだ数珠をひとつ、またひとつと繰り続ける。仏珠の擦れ合う乾いた音が、静寂の堂内に酷く耳障りに響いていた。


「人の胸の内に巣食う悪念と恐れは、暗がりの中で幾年月も発酵し沈殿すれば、やがて凡俗の理を越えた業へと姿を変えるもの」


死の白翳に覆われた老僧の盲目が再び持ち上げられた。焦点を結ばぬその濁った両眼は、底知れぬ寒潭の如くルシアの眉間を絡め取って離さない。


「神仏とは……往々にして、そのようにして産み落とされるものにございます」


老僧はついに、猛毒を孕んだ因果の核心を吐き出した。


「かの夜の村人たちは、女の死相に魂を削り取られ申した。噴き上がる霊泉の奇跡も彼らの罪業を洗い流すことは叶わず、骨の髄まで染みついた忌避と後ろめたさは日を追うごとに募るばかり。幾万の民の恐れ、貪欲、そして妄執が地脈の底へと淀み、やがて……泉源に巣食う邪神を産み落としたのでございます」


老僧の声には悲しみも喜びもなく、ただ絶対の宿命論めいた冷徹さが漂っていた。


「欲深さは人に不老長寿を渇望させ、恐れは人に額を地へと擦り付けさせる。もしもこの温泉郷が、穢れなき童を生贄として暗渠の奥底へと捧げ続けねば……長生湯の延命の奇跡は瞬く間に枯れ果てるのみならず、万人の悪念によって肥え太った邪神が湯脈を伝って大地を裂き、温泉郷のすべてを骨の髄まで深淵へと呑み干すことでしょう」


ルシアは押し黙って耳を傾け、無意識のうちに腕の中の機械梟刻刻をより強く引き寄せていた。


民俗学や神秘学の理屈としては通っている――恐怖が信仰を醸成し、その信仰が歪んだ偽神や呪詛として受肉する。この大陸の神権秩序においては、掃いて捨てるほど転がっている話だ。


しかし、ルシアは所詮、地球の近代的な思考様式を骨の髄まで宿した異分子であった。彼女は瞼を僅かに伏せ、冷徹な観察眼を曇らせるどころか、より深い疑念をその双眸に滲ませた。


「筋は通っているように聞こえますが……不自然な綻びがあまりにも多すぎますね、住職殿」


ルシアは身を乗り出し、黒木の茶卓に両肘を預け、粗陶の茶碗の縁を爪の先で小さく弾きながら、胸中に燻る矛盾を一言一句、冷徹に叩きつけた。


「仮に邪神への人柱であるならば、水底へ沈めるか、喉を掻き切って血を流せば事足りるはず。なぜ暗渠に沈められた子供たちは、幾重もの特製の香料と薬草に包まれねばならなかったのです? あまつさえ、その骨肉の髄に至るまで、なぜ『長生湯』と寸分違わぬ匂いになるよう念入りに仕立て上げられていたのですか?」


深い翠の瞳が老僧の微かな表情の変化を捉えて離さない。ルシアは乾いた唇を湿らせ、追撃を重ねた。


「長生湯そのものが、元より延命の奇跡を秘め、生まれながらに濃厚な薬香を放つ霊泉であるならば――泉水そのものに効能があるというのなら、なぜ子供たちをわざわざ『長生湯の味』に漬け込む必要があるのです? ……名状しがたき邪神を喜ばせるためですか? それとも、湯に浸かる凡俗共に対して、何か都合の悪い真実を覆い隠すための小細工ですか?」


温泉郷の化けの皮を剥ぎ取らんとする苛烈な追及が落ち、堂内には走馬灯の風輪が擦れ合う微かな音のみが残された。


だが、ルシアの推論を突きつけられてもなお、盲目の老僧には動揺の色など微塵もなかった。


「ほほ……ほほほ」


乾ききった低き笑声が老僧の胸の奥から転がり出で、薄暗い梁の間を不気味に木霊した。


「施主は、いささか執着が過ぎますな」


老僧の面輪には依然として慈悲の光のみが宿っていた。


彼は弁明することもなく、言い争う素振り配すら見せず、ただ法衣の広い袖を掻き抱いて両手を合わせ、向かいの黒髪の娘へと向けて静かに、緩やかに頭を垂れた。


「老僧は先ほど申したはず――深山の古寺に伝わる、ありふれた怪談に過ぎぬと。聞き流せばよいものを、何をそこまで虚実に囚われる必要がございましょうや」


言葉を結ぶや、老僧はそのまま深く首を垂れ、双眸を完全に閉ざした。その姿は瞬く間に風化し、現世の息吹を断ち切った古仏の如く、ルシアの目の前で深い瞑想の静寂へと沈み込んでいった。


堂内の白蝋燭は、吹き抜ける冷たい隙間風に煽られて激しく揺れ、老僧と走馬灯の影を障子戸へと歪に、怪奇に焼き付けている。


ルシアは完全に気配を消し、枯れ木と化した老僧を見つめ、この固く結ばれた唇からこれ以上の言葉を引き出すことは最早不可能であると悟った。


彼女は静かに上体を起こした。その胸の内には、迷いと疑念の靄が濃く立ち込めている。


老僧の語った言葉は、半分が真実で、半分が虚構だ。


死せる狂女、泥に埋められた骸、噴き上がった熱泉、そして薬包として沈められた子供たち――これら血塗られた事実は、おそらく全て真実なのだろう。


だが、「村人の恐怖から産まれた邪神」や「長生湯を保つための生贄」という筋書きは、この老僧自らが撒き散らした煙幕に過ぎない。


それどころか……彼が最後にこれらの矛盾をあえて晒してみせたこと自体が、意図的な誘導なのだ。


荒唐無稽にして綻びだらけの怪奇譚を餌として投げ与え、教皇庁や村人共の紡いだ欺瞞の檻から彼女自身の力で脱却させ、裏山の泉源と暗渠の最深部へと自ら赴かせて、全ての因果の根底に横たわる真の残骸を泥濘の中から掘り起こさせようとしているのだと。


ルシアは冷ややかに視線を切り、腕に抱いた機械梟の双眸に灯る昏い紅の光を見下ろすと、本堂の奥深くへと続く濃密な闇の向こうへと、静かに身を翻した。

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